第11回金沢創造都市会議

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全体会議

■全体会議 7月16日

進  行
 福光松太郎(金沢創造都市会議開催委員会会長兼実行委員長)

 大内 浩 氏、佐々木雅幸 氏、水野一郎 氏、岡 達哉 氏、竹内申一 氏、
 馬場先恵子 氏、武部 勝 氏 、長谷川祐子 氏 、浜崎英明、砂塚隆広、
 米沢 寛、鶴山庄市(順不同)











(福光) それでは、全体会議の進行をさせていただきたいと思います。今日の北國新聞朝刊に昨日の様子が非常に鮮烈に表現されております。この記事で昨日のことを思い出していただければいいのですが、今日だけ来られている方もいらっしゃいますので、先に簡単に各セッションの様子を、進行した担当から説明したいと思います。
 まず、私はセッション1の進行をしました。「コロナ後の金沢都市戦略の展望〜『金沢ふう』を極める」という題でありました。佐々木先生は、「このコロナ禍が都市を見直す大きなチャンスである」とおっしゃいました。「コロナ禍が終わった後が」という意味ですが、かつてペストが大流行した50年後にフィレンツェでルネサンスが起こったそうで、そういう意味では今は芸術家や工芸の作家、市民、アーティストが一緒になって文化、生活の質を高め、さらにこの創造都市、文化都市として高度になっていく大きなチャンスであるというお話を頂きました。
 文化装置を三つ紹介したのですが、その一つが、三谷産業会長の三谷さんから、「Artist in 金澤町家」というまちづくりを実際に金沢美大さんと一緒にやっているという話がありました。町家を利用して、アーティストが金沢にやって来たときにそこに住んでいただき、創作もするという取り組みを紹介していただきました。今はその1軒だけなので、財団法人をつくって、いわゆるプラットフォームにしてあるので、有志に連帯を求められ、「一緒になってこういう町家を増やしませんか」という提案がありました。
 それから、今日は残念ながら欠席しておられますが、卯辰山工芸工房の川本館長さんから、これまでの工芸作家の活動の様子、それからコロナ禍で大変厳しい環境に置かれているようなことも含めて、持続的な作品の創造と経済的に作家が自立できることを支援する場所が必要であるということで、いわゆる仮称・新工芸センターといいますか、工芸センターのようなものをつくったらいいという提案がありました。
 もう一つは、金沢21世紀美術館の長谷川館長から、金沢21世紀美術館はあと3年で20周年になるということもあり、これまでのコレクションが非常に多くて、分館を必要とするようになってきたというお話がありました。いろいろな考え方、また人の動きなどについても、分館ができたときのインパクトを紹介していただきました。
 セッション1では、その中身について幾つかご紹介するという役割でありました。
 それでは、セッション2を鶴山さんからお願いします。

(鶴山) 「『兼六園周辺文化の森』の深化と発信」というテーマで議論しました。当会議のフェローをお願いしている水野一郎先生からは、まず兼六園あるいは本多の森、金沢城公園、広坂といった区域をしっかりと認識して、一体的な活用をすることが大事であり、またこの地域が40年以上前からいろいろな形で議論されているということがありますが、皆さん方からも共通の発言があったように、歴史性の認識がとても大事であるということ、それから歴史を語っていくということを強調されていました。
 また、馬場先先生からは、この地域の捉え方として、場の景観というものをまず提言いただきました。文化との触れ合いや視点場の整備を少し意識していくべきであり、知る楽しみというもの、それから森を楽しむという観点から、市民の憩いと学びの場としての存在価値がこの文化の森にはあるというご提言を頂きました。
 それから、岡先生からは、集積の利益や回遊性という観点、文化の森を歩いて回ることの大切さ、そして歴史的な景観にふさわしくない、あるいは似つかわしくない施設・建物を撤去・移転、あるいは整備していく必要があるというご指摘を頂きました。具体的には、民間の所有者がいらっしゃるところ、あるいは官の所有権があるところもあるのですが、NTTの出羽町ビル、あるいは広坂合同庁舎について具体的にスライド、写真等でご説明いただきました。
 それから、当セッションの座長をお務めいただいた砂塚代表幹事からは、先ほど申し上げた歴史性を考えた場合に、金沢の歴史の始まりが前田利家の入城よりも100年以上前の時代、一向衆の拠点であった金沢御堂のことに触れられて、それを中心にまちが形づくられてきたことを認識する必要があるということ。また、観光誘客を前面に押し出すのではなく、観光や誘客という感覚から少し距離を置いて、文化に磨きをかけていけば、ひいてはまちの格を高め、それがまた自然に人を呼び込むような循環が生まれるのではないかというご指摘がありました。
 いずれにしても、この「兼六園周辺文化の森」の区域を明確にして、取り組むべき対象、あるいはそれぞれ具体的なイメージを共有しながら、文化の森のいろいろな整備、深化を図っていくことが共通の認識かと思います。以上がセッション2であります。

(福光) それでは、セッション3を米沢さんからお願いします。

(米沢) それでは、セッション3の内容について説明します。 「金沢の都心軸を考える〜経済軸から文化軸へ」というテーマで討論しました。都心軸というのは、金沢の背骨に当たる部分の金沢駅から武蔵ヶ辻、そして香林坊、片町のラインです。
 このメインストリートといいますか都心軸に、これから先、現在もですが、大変広大な跡地が幾つか生まれています。これから先も出る可能性があるということで、過去何度か都心軸を同友会でも話題にしておりますが、地元経済人としてもう少し突っ込んだ議論をしようということで、あえて今のところ別の会社がお持ちのものですが、近々の課題となる金沢都ホテルの跡地、これは既に空地になってから随分時間がたっています。そして、聞き及ぶところでは既に何件かの購入者も出ているという話と、その中には外資系のファンドもあるということで、この機会を逃せばわれわれの手の届かない話になります。そして日銀の金沢支店はご存じのとおり、駅西に3年後には移転します。既に実施設計を終えており、業者選定に入っておりますので、これも間違いなく3年後には空いてしまいます。まず、この2カ所の使い道について提言を受けました。
 大内先生は、「文化は壮大なる遊びだ」とおっしゃいまして、ともかく経済軸から文化軸への転換を思い切って提言されました。金沢は文化で生きるしかないのだから、それを前面にしっかり主張するべきだということと、都ホテルの跡地については、金沢駅がまちの門なら、跡地は応接間として捉える必要があるとおっしゃっていました。
 金沢工大の竹内先生は、日銀金沢支店と都ホテルの跡地利用の提案に関して大学のゼミで模型を作っていただきましたが、あえて都ホテルの跡地に関しては、金沢21世紀美術館の分館とハイクラスホテルの組み合わせ、そして建物についてはあえて質を優先して低層としたいという提言をされました。そちらにある都ホテルのモデルは、ホテルのレセプションが既に美術館の中のような雰囲気になっていて、そうしたホテルと美術館の分館をうまくコンプレックスした雰囲気、ラグジュアリーなホテルと金沢21世紀美術館の分館という提言をされました。
 それに対して武部さんですが、ご本業が不動産投資会社でありますので、都ホテルの跡地開発については「高さ制限がネックになっている」「採算が合わないことをするとまちは衰退する」というのが彼の持論でありますが、地域の事情に応じて高さ制限を見直す必要があるとおっしゃっていました。それに加えて、文化施設を中に入れることによって、法的に容積率が50%アップするという話もしておられ、そういう考え方を用いればどうかというお話がありました。もう一つ武部さんは、お金を地元で運用する金融の地産地消ということをおっしゃって、この金沢、石川の地には資金力というか、そういうポテンシャルが必ずあるとしっかり言い切られました。
 それを受けて座長の浜崎代表幹事が、まず都ホテルについては、地元の団体としていつまでもあのままというのは本音では困るということで、「オール石川」であの場所を購入して、これから先の金沢を代表するような建物を造ればいいのではないかという大変踏み切った意見を頂きました。もう一つは、日銀の跡地については、今日の新聞にも出ていましたが、歌劇座のようなもの、要するにホール込みのような建物を日銀の跡に造ればどうか、劇団四季と専属契約するのもいいではないかという具体的なお話も頂き、これは非常になるほどなと思われる意見でした。
 そういう意味では随分突っ込んだ分科会になったのではないかと思います。以上です。

(福光) ありがとうございました。そのように議論を進めさせていただいたわけです。幾つか論戦が必要なことがありますので、まず最初に緊急性のある駅前の土地の話をしたいと思います。浜崎代表幹事からも「オール石川」という言い方で、まず地元が少なくとも土地を確保すべきだという提言をされているのですが、そこに建てるものについては大きく言うと二つの論がありました。その辺をぜひ少し議論していただきたいのですが、竹内さんは低層のもので、文化施設を組み入れて質の高いものができないかとおっしゃったし、武部さんは高さ制限を変えてでも階高も確保された採算の合う建物を建てるべきだとおっしゃっているのですが、その辺を議論していただきたいと思います。まず竹内さんから、低層派の論調としてはどういうことでございましょうか。

(竹内) 20世紀はつくる時代、開発の時代であったと思うのですが、それは資本主義の経済がまちをつくってきたといってもいいと思うのです。しかし、これから先ずっとそのまま続けるのだろうかという疑問を僕は持っておりまして、もう少し経済によってつくられる以外のつくられ方はないのかという想いがあります。もしそれが可能であれば、前市長の山出さんが先日、「都市の品格」という話をされていましたが、そういったことにもつながっていくのではないか。それから、とにかく床を積み上げていくというのは世界中どこでもやっていることだと思いますが、そうではない金沢独自の形として、「都市の品格」に何か結び付けながらできるといいのではないかという考えだったのです。それが経済という視点から見たときに成立するのか、しないのかというところまでは思いが至っていないのですが。

(福光) しかし、経済のことも多少お考えになって、ホテルという仮説を出しておられました。その辺もちょっとお話しいただけますか。

(竹内) やはり貸し床としてつくったのではなかなか採算は難しいという話はあると思ったので、床を作らずに、それでも一応、そこである程度の金額が回収できるような方策として、京都でここ数年非常にラグジュアリーなホテルがたくさん建ったのを建築の雑誌などで見ていたのですが、そういったニーズはあるのだと思いました。富裕層の方々が来られて、長期滞在をされているのも見受けられますし、そういった人たちのターゲットとして金沢は絶対にあると思います。であれば、そういったニーズにも応えながら、床をたくさん作り過ぎなくても経済をきちんと回せる方策としてラグジュアリーなホテルというか、ハイクラスのホテルというか、そういったことはあり得るのではないかと思います。ただ、ホテルだけにしてしまうと、やはり宿泊者の人だけしか楽しめないので、そうではなくて、金沢市民、あるいは金沢を来訪していただいた方々も楽しめるような空間が駅前にパブリックスペースとしてあるのは有効ではないかという考えに基づいて作りました。

(福光) ありがとうございます。武部さんのお立場からご発言を頂けますでしょうか。

(武部) 昨日、採算性について現在の高さ制限では合わないというお話をしました。その根拠としては、私も金沢の駅前にはしっかりとしたレベルの高い建物を建てる必要があると思います。そのときに階高の問題などが出てくる場合に、やはり60mでは、階高4.5〜5mを確保する一流のビルとなると、12層であの立地の価値を吸収できるのかという経済的なお話をしました。
 今現在、ビジネスホテルが非常にたくさん金沢に進出しています。金沢駅からの都心軸に向かってビルが展開しています。これをもって都心軸といえるのかというのが私の意見であります。なぜかといいますと、ビジネスホテルは、ゆとりも抑えられますし、部屋の数は増やしながらも部屋の広さも抑えることによって成り立つビジネスです。つまり、今の規制の考え方と極めて近い考え方のものが都心軸に向かって流れたということで、ビジネスホテル自身の考え方とは合うとしても、先生のお話のとおり、ラグジュアリーというのは建物に対するゆとりもサービスに入ります。そういうゆとりを創出する可能性がないためにビジネスホテルが増えたという考え方もあろうかと思います。
 私はむしろ、ホテルならラグジュアリータイプを誘致するためにも、そしてホテルばかりではなくてオフィスも商業施設もあらゆるものが混在する都心軸を文化を組み込むために目指すのであれば、必要なところに必要な高さ制限は緩める必要があると思います。そうすることで金沢の粋を演出できると考えて、昨日はお話しさせていただきました。

(福光) ありがとうございます。文化的なものが組み込まれると容積率が5割増しになるというのは、法律なのですか。

(武部) 法律でございます。

(福光) そうすると、適切な文化装置が組み込まれた場合、容積率が5割増えるけれども、高さ制限があれば増えないということになるのですね。

(武部) 横に広がることになります。

(福光) なるほど。横に広がるのですか。それはあそこの敷地の大きさからいうと、十分可能なものでしょうか。

(武部) 用途にもよりますが、1階の床面積が広くなった場合に、例えばホテルなどになると配置がしにくくなると思います。商業施設などですとある意味、平面を大きく使うので、いろいろなやり方を模索できると思うのですが、例えばホテル、オフィス、レベルの高い住居系のマンションなどになると、平面が広過ぎるとかえって配置しづらいのです。これは絵図面を引くと、何となくぶつかる壁になると思います。

(福光) なるほど。要するに、容積率は文化装置と組み合わせれば5割増えることは間違いないということですね。

(武部) 法律上です。

(福光) 分かりました。2論あるようでどこか共通なような気もしてきましたが、これについてご発言のある方。はい、どうぞ。

(米沢) 武部社長にお聞きしたいのですが、南町界隈にも一つ近所にビジネスホテルが建ったのですが、あれは東京資本ですけれども、底地を200万円以上で買われていて、上がビジネスになっています。そんな値段で買って、地元の経済人だったら絶対に採算が合わないのですが、あれはどんな考え方で建てられたのですか。

(武部) ビジネスホテルのコストの計算なのですが、新幹線が開通する前は、われわれの試算では客室単価が5000円、稼働率が50〜55%で、1部屋の広さが15m2、場合によっては10m2で、通路をどれぐらいに抑えるかということで、極めて高いレンタブル比を確保した上で計算していました。しかし近年は、新幹線効果によって客単価が5000円から6000円、6000円から7000円、7000円から9000円に変わってきました。そして、ホテル事業者も稼働率55%ぐらいから65%、75%、85%で見るようになりました。
 この10%の差というのは、建設費が変わらないわけですから、土地の値段でいうと10%変われば当社の試算では倍出せる計算になります。しかも、20年で回収しようと思ったものを25年、30年ですから、もうこれは鉛筆をなめる世界なのです。本気でホテル業者が来た場合に、20年で計算していたら他社に負けます。そうなれば30年で回収しようということになります。でも、これは決して悪いことではなくて、金沢の地価がそれだけ安定していると見ていただいていることはプラスなのです。一方で規制があるために、レンタブル比を上げるために通路を減らす、エントランスを減らすという無理が金沢の建物にゆとりのない状況を生んでしまいました。今の金沢は新幹線効果で人がたくさん来てくれたことは非常にありがたいのですが、われわれでいう建物の金沢らしい粋な部分がなくなってきました。ということで、計算上は稼働率を60%から70%に変えただけで、ビジネスホテル業者は土地の値段を倍出せます。

(米沢) なるほど。仕組みは分かったのですが、ゆとりがないということで都心軸にビジネスホテルが並んだのですが、車寄せがないホテルばかりで、あそこにバスやタクシーが停まったら2車線しかなくて、1車線がバスレーンになると大渋滞になるという話なのです。そうなると、それは絶対に取れないという話ですね。

(福光) 低層・高層の話が出ていますが、ご意見はいかがですか。

(大内) 私は昨日、都ホテルの跡地を応接間のように考えたらどうかと申し上げたのでぜひ考えていただきたいのですが、もう一つ昨日の全体の議論の中で少し議論できなかったのは、環境の問題です。これから明らかに環境問題が非常に大きなテーマになって、都市の中で私たちは環境的に配慮した建造物とどう付き合っていくかを考えなければいけないのです。ですから、この金沢の都心軸が文化軸であるということは昨日の議論で皆さんの同意を得られたと思いますし、さらに森に向かって、非常に緑の多い、環境を重視した軸であるということをこれから実行していかなければいけません。
 そのときに都市計画側からいうと、元々都市計画には百尺規制という高さ制限が戦前にありました。要するに31mという高さ制限で、それが戦後になって容積制という考え方に変わったのです。それの良さはもちろんあるのですが、問題点は商業地、要するに道路に面しているところだけが容積率が高くて、それを目いっぱい建てると道路に沿って壁のように高いものが出来上がって、裏手の住宅地などは容積率が低いままになってしまうという非常にアンバランスなまちを日本はつくってきてしまったのです。その制度そのものがそろそろ限界に来ているので、私は考え直していいと思うのです。
 それで、銀座の例を昨日ちょっと申し上げましたが、GINZA SIXの場合も、要するに地下に能楽堂を入れること、つまり文化施設を受け入れること、さらにそれに配慮して、都側も特別なことを考えて、都道の上にもビルを建てていいことにしたのも、法律改正によって初めてできたことなのです。銀座と金沢は状況が違いますから同じことを考えなくてもいいのですが、これまでの都市形成の歴史や制度からここで実験的なことをしていきたい。例えば文化的なもの、それは美術館だけではなくて、アートを育成するような組織であったり、アートを勉強する学生たちの営みのようなものが都心軸に立地すれば何かボーナスをあげるとか、そういうことがあってもいいのです。
 つまり、この文化軸でもって、金沢が文化都市であることを盛り上げるための仕掛けをこれからいろいろと考えなければならない。そういうものができるのであればボーナスをあげるというやり方もあり得ます。今は残念ながら金融系の組織が撤退してきて、ビジネスホテルなどいろいろな問題があるので、逆に金沢市側で新しい制度というか、そこまでいかなくてもまちの皆さんで協働して何かの仕組みを作ることが必要だと思います。
 銀座の場合だけをお話ししましたが、銀座のデザインルールというものをよく読んでみると、とんでもないルールになっています。要するに、通常の都市計画とは全然違う形で、銀座にふさわしくないものはご遠慮いただきたいというものすごいルールなのです。ですから、金沢独自の文化軸に対して、金沢にふさわしくない、「金沢ふう」でないものはご遠慮いただきたいというルールを作ってもいいと思っています。

(福光) 概括的なことは大体そういうことなのですが、低層か高層かといった場合、どのようなお考えですか。

(大内) 昨日、竹内先生も私も、裏と上手に連携して、上手に裏へ抜けるという話をしました。裏も今はちょっとずつ古い家が撤退して、駐車場になっているところなどもありますね。そういうところも少し表と一緒にして、先ほど武部先生もおっしゃったように、高さというよりももう少し面的にボリュームを持たせればかなりのことができるのです。道路に面したところだけに目を付ける必要はないので、もうちょっと裏の土地も含めて開発を考えたらいいと思います。

(水野) 皆さんフィレンツェやベネチア、パリなどに行かれたことがあると思うのですが、高さ制限がかなり厳しいですね。ベネチアに行くと大体4階建てが最大です。フィレンツェ辺りも中心街はみんなそうです。パリの凱旋門の上から見ると、ずっと低いレベルばかりです。やはり金沢も、駅東の伝統的なゾーンを、伝統を守る地域として考えて、それ以外の地域を、新しい時代に対応した構想も入れようというゾーンに考えた。そういったすみ分けの論理で決めてきたと思うのです。ひがし茶屋街周辺も武家屋敷周辺も非常に抑えているから、今でも金沢の文脈として保っていけている部分があるわけです。それを原則的に私は守るべきだと思っています。
 「金沢ふう」といったときに、昨日もいろいろな議論が出ましたが、哲学、文学、工芸、美術、あるいは食文化、お菓子、あるいは芸妓の美ち奴さんや一調一管、そういうものを全て含めた存在がある。その存在をできるだけ長らく継続してもらうようにすることが金沢の大事な都市づくりだと思っています。ですから、高さのことで経済的論理でいくなら、「駅西でやってください」と言ってもいいのではないかと私は思っています。ですから、今の金沢駅周辺、あるいは幹線道路周辺を経済軸から文化軸に引き変えるということは、今の高さ制限をもっと下げようという議論が起こってもいい話ではないかと理解していました。
 そういう意味で、低層で勝負するというのは、これから金沢が悩みながらやっていく解決策だろうと思っています。簡単にできる話ではないですけど、そのことによって私は地価が下がることが、先ほどの資本投資の問題ではないですが、一つの決め手になるのではないかと思っています。日銀があったおかげで、日本の戦後の高度成長期に全ての銀行、信金、生保、損保がメインストリートに立地しました。今、その建物の3階より上はほとんどが空いているという状態です。実質的に3階建てぐらいの効用しかないまち並みです。そういうところも含めてですが、経済軸から文化軸へといったときに、そのすみ分けの論理を含めて金沢の都心をどうするのかという議論があっていいのではないかと思っています。その意味からしても、低層の提案は非常に刺激的な提案だと思っています。

(馬場先) 私も高層化には反対の方です。まず一つは、地域によって、場所によって、どういった人たちが集まりやすい場にするのかを考えないといけないと思います。駅前は遠方からの人たちも集まりやすいし、県内の人たちも集まりやすいという点では、そうした機能を果たせるようなものがあったらいい。
 ラグジュアリーなホテル機能を入れるのも賛成なのですが、採算性を取るために高層までびっしり建てるとなると、道路に面してどうしても敷地をいっぱいに取ろうとしてしまいます。そうなると、世界一美しい駅の一つである鼓門の景観にも圧迫感を与えてしまって、影響を及ぼすことにもなってしまいます。できるだけ元々あった金沢の特徴である景観を壊さないような在り方を考えていかないといけません。しかし、経済性も考えた採算といっても、文化を高めることで経済的価値も結果的に付いてくるような使い方が必要になってくると思います。ぜひとも知恵を絞って、低層でもそうした価値が高まるような取り組みを考えていきたいと思います。

(福光) 他にこの件でご意見、発言はございませんか。では長谷川さん、お願いします。

(長谷川) 私はビジネスの効率のこととは少し外れるのですが、金沢21世紀美術館の成功というのは、1階層の低層建築で、周りをランドスケープとして取り込んだところにあると思います。大抵の美術館は階段を上がって入っていきますが、金沢21世紀美術館の場合はゆっくりとスロープになって下降しながら入るようになっています。そういう心理構造を使っているものにロンドンのテート・モダンがあるのですが、そうすると非常に心理的に自分が歓迎されている、ウエルカムされているというアフォーダンスの効果があります。そういう意味も含めて、やはり低層であること、ヒューマンサイズであることは非常に重要な一つの特徴であり、金沢の美質であると思っています。
 私は京都も親しんでおりますが、やはり皆さん京都にいらっしゃると、「空が見える」とおっしゃるのです。空が見えるのは非常に重要なことで、私たちが自然の中にいるという一体感をいつも感じられる、シンプルな喜びであり、充実した体験であると思います。

(福光) ありがとうございます。昨日の浜崎代表幹事のご発言もありましたが、まず土地を確保するという話をしているわけですから、上のものが行政の文化投資であってもいいということは大いにあり得るわけです。それと、民間の採算のものが一部合わさったようなものも考えられると思うのですが、それでも高さ60mまで建つと高層に思ってしまいます。そこが非常にこれから知恵の要るところだということがだんだん分かってきたのですが、武部さん、何か解決しなければいけないのはその辺ですかね。

(武部) そうですね。実際、当社の事務所は新神田にありますが、土地は約500坪あり、建物は平屋で150坪ですので、実をいうと当社は平屋の愛好家でもあるのです。土地が高いのはそれだけのポテンシャルを人が認めてくれたということであり、いよいよ金沢は日本の一流都市の土俵に上ってきた、人もたくさんいるということです。もちろんお話のとおり、東山は守らなければいけない。これは金沢の面目にかけて守らなければいけないと思います。守らなければいけないところは守らなければいけないのですが、高度化利用をして、民間の経済人が建物の中に文化を愛でる意気込みも見せたい。
 例えば低層で造った場合、採算が合わないかもしれない。では、お金の話をすると、採算が合わないものを誰が拭うのですかという具体的な話です。金沢は文化だからいいのだということで持続性が生まれるでしょうか。経済人も、行政も、一人一人が文化に対して真剣に向き合った場合に必ず採算性が生まれてきます。その採算性を誰かが補填する議論ではなくて、一人一人が受け止めるときには、一つ一つの物件をきちんと採算性を見ていくことが必要です。そのためには、一つの方法としては高さ規制であったり、容積率緩和によって、民間が造るものでも金沢は粋に文化が入っているのだ、それが金沢全体の気質なのだということを見せるのも、一つの文化軸の作り方ではないかということでお話しさせていただきました。

(福光) ありがとうございます。「粋」と「意気込み」という言葉が出ました。容積率は、高さを触らなければ横に広げることで解決できるということもあります。それから、どの文化装置かというのもまだ決まっていないのですが、問題がかなり明確になってきたと思いますので、今後またみんなで知恵を尽くさなくてはいけないと思うわけです。ありがとうございました。
 続きまして文化の森の話をしたいのですが、昨日、水野先生からいろいろと歴史も含めて、「兼六園周辺文化の森」の説明や思いをご発言いただきました。この森の広さと文化施設の密度からいうと、本当に世界で類を見ないものなのかどうかということが一つと、上野の森、京都の岡崎の森と並んでプロモーションしたらどうかというアイデアもありました。私は通称が必要でないかとも思います。森の名前ですね。それから、情報発信が必要ではないかと思っていて、これは「どんどん来てください」というふうにやるという意味よりも、これは砂塚さんもおっしゃいましたが、歴史が分かるようにするということです。一つ一つのエピソードやヒストリーが何らかの方法でうまく分かるようにしていくというアイデアもありましたし、そんなことも含めて言うと、やはり情報をコントロールする機能が付属して、この文化の森が認識されるのではないかと思うのですが、その辺について少し議論していただきたいと思います。まず、水野先生からいかがですか。

(水野) ヨーロッパに行くと、近世の城主の館が残っていて、その周りに美術館や博物館があったり、あるいは城主の館そのものが美術館になったりしているところが多いのです。あるいは城塞都市のように石垣がずっと巡ってあって、その中に市民もいて、殿様もいるという城郭都市もあります。その中全体が文化ゾーンになっています。ヨーロッパの都市に多いのですが、日本の城下町は明治維新のときにかなり、城とその周辺の敷地を細かく売り払ってしまったり、多目的に利用したりしたために、中心ゾーンが目立たなくなってきているのです。
 それを見ると金沢の場合は、明治以降は軍が入って、ほとんどの中心地を軍や新しい廃藩置県の県の施設、あるいは学校といったものが占めたので、公有地としてはほとんど残ったのです。このことが非常に珍しい都心をつくることになったわけです。しかも、普通は戦災を受けているので、多くの都市は都心をつくるときに商業施設や業務施設を中心に持ってきて、そこに交通網を集中させて、車も行き交い、人もいっぱい来て、ビルがたくさん建っている、商店や映画館、事務所などでにぎわっているような都心をつくってきたのですが、金沢は都心のど真ん中に水と緑と文化施設と歴史施設があるという特異なものをつくってきたのです。これは明治維新のときの県の人たちもそうですし、金沢の今の古い東部地区に住んでいる家業の旦那さんたちの価値観も、ハイカラ好きだけれども歴史の伝統を重んじるまちであったというのがあります。そういうまちとしてずっと継続してきた金沢の市民の力みたいなものが、今の金沢のまちをつくり、兼六園周辺文化ゾーンをつくっています。そういう意味で、非常に特異な都心を形成していると思います。これについて40年間整備を続けてきて、果敢に挑戦してきたわけですが、例えば40年前に既に「国立工芸館に来てほしい」という要望を出していますが、それができたのはほぼ40年後でした。
 今度、令和5年の秋に国民文化祭が金沢で開かれます。日本中から文化祭ということで人が集まってきます。この時点で金沢のこの文化の森を何かお披露目できたらいいなと思っています。そういう意味では、「兼六園周辺文化の森」というのはいかにも行政のプロジェクトであり、何か楽しくないですね。金沢の駅東広場整備から「もてなしゾーン」と「鼓門」という名前に変わって、ようやくみんなに親しまれる存在になったのと同じように、あの文化ゾーンも何かいい名前が来ると確かにいいですね。そういうものを含めて、令和5年秋の国民文化祭に向けて最短の整備を進めていくといいのではないかと思っています。
 こういう整備は、今40年かかっていますが、まだ10年、20年かかるというロングレンジの話だろうと思いますので、ロングレンジを含めて、ショートレンジの話としては今おっしゃった愛称とかお披露目というようなものが必要だろうと思っています。

(福光) 国民文化祭の件は、少しご存じであればご発言いかがですか。まだ場所が決まっていないのでしょうかね。

(砂塚) 私は委員ということで金沢経済同友会からの選出なのですが、まだ1回も会合が開かれていなくて、どんな方向性で行くのかもよく分からない状態ですが、兼六園とその周辺の文化ゾーンの位置付けでいいますと、昨日も申し上げましたように、金沢市民あるいは地元の皆さんが知らず知らずのうちに3枚のこの地図を別々に考えてしまっているところがあると思います。兼六園の地図が1枚、本多の森の地図が1枚で、本多の森と言われたら中村記念美術館からあの斜面を上がって、県立美術館、国立工芸館、県立歴史博物館といったところを思い浮かべる。そして、金沢城址、金沢城跡と言われると、二の丸御殿がこれから再建されていくような、あの場所を思い浮かべる。
 だけれども、ドローンなりヘリコプターで上から見ると、全く一帯の森ですよね。そういった中で共通の名前、「兼六園周辺文化の森」というのは仮の呼称ではないかと思いますけれども、これを何か親しみやすい、これもかなりいい線はいっていると思うのですが、何か一言で言えるようなくくりの、1枚の写真で見られるような視点が国民文化祭に向けて一つあってもいいのではないかと思います。それで水野先生がおっしゃったように、お披露目という視点が大事ではないか、チャンスが迫っているということかなと思います。

(福光) チャンスが迫っているというふうに思うべきだというお話でありました。この「兼六園周辺文化の森」の話について、いかがですか。岡さん、何かご発言はありますか。邪魔なものはどけろという強烈なご意見を出していただいたのですが、どうしたらいいですかね。

(岡) 先ほど代表幹事がおっしゃった情報発信との関連で一言申し上げてもよろしいですか。まさに代表幹事がおっしゃったとおり、この「来てください型」の情報発信というのは私も辟易しております。学生に授業でレポートを書かせても、大体「SNSで情報発信」というのが10人中9人で、それはもう分かっているという話です。まさにどう知ってもらうか、もっと言えば観光客の行動変容を促さないと、ただ発信するというわけにはいかなくて、分かる人にきちんと来てもらって、きちんと分かってもらいたいということなのですが、全国で誤解がいろいろとあるのがDMOという存在です。
 観光するとなれば行政だけではやはり知恵が湧きませんし、かといって本業で忙しい観光系の方々だけでも時間的に無理があるので、半官半民の組織をつくって、観光地の情報を発信するために観光協会などをつくって、それを国土交通省がDMOと2015年に言いだして、一斉にDMOに名乗りを上げたわけです。今度はDMOネットという全体のネットワーク組織を観光庁がつくったと思ったらそれを廃止して、福井でも富山でも、DMOをつくる、つくらないはあるけれども、どうしたらいいのか、何をしたらいいのかよく分からないで宙ぶらりんの状態がずっと続いている感じだと思います。
 ハワイ大学のポーリン・シェルドン(Pauline Sheldon)という著名な観光学者などが中心になって言っているのは、DMO(Destination Management Organization)ではなくてDMS(Destination Management System)である、つまりシステムが大事なのだということです。どういうことかというと、ホームページにアクセスしてきた方々の情報をこちらが把握して、どの国の人がどんなページに関心を持っているか、どの施設を見た人が次にどの施設を見ているのかといったようなことを見極めて、上手にやっている国などでは言語を選んだ瞬間に、この国の人は森であれば水に自然と関心を持つから、まずそこからホームページが立ち上がるとか、文化に関心があるという人にはその文化、また若者がアクセスしているとなれば若者がとっつきやすいような画面から入るとか、そういったシステムを作るということです。
 これに類することを、私も和歌山の熊野古道が2004年に世界遺産に登録されたときに国土交通省から送り込まれて、自民党の現幹事長さんの本拠地でして、いろいろとプレッシャーを受けながら進めていました。最初に県が50万円ほどの予算でホームページを発注します。そのときにいろいろとアイデアを出して、コンペの事業のスタイルにして、その中で発展可能性の高い、また地元のことが一番よく反映されているようなところをまず作って、そのシステムがいったん、楽しいことではないかもしれませんが、仕事の仕方を規定していきます。システムがそのようにいろいろな情報を集めてきて、こちらで分析して、発信の仕方を相手に合わせて変えたり、意図的に冬場に動きたくなるような情報を発信したりということを工夫するためのデータを取るのです。そういったシステムができると、おのずと人がそれを理解して、同じ行動といいますか、そのシステムに合わせた仕事の仕方をしていくことになります。従って、人がいないからできないという話ではなく、最初にシステムを作るところを、まず地元の分かる方々をどうやって結集させて進めていくかということなのだと思います。以上です。

(福光) 関連してVRの話もしておられた馬場先さん、いかがですか。

(馬場先) 関連するかどうかは分かりませんが、今のDMSというシステムは非常に興味深く聞かせていただきました。昨日言わせていただいたのは、まず金沢の伝統文化やいろいろな歴史を、金沢の人たち自身ももっと関心を持てるような仕組みが必要だということです。やはり伝統工芸などに慣れ親しんできている方もいますが、あまりなじみのない方々も増えてきています。そうした中で、ぜひともまずは市民がいろいろな文化に触れ合えるような場や、もっと情報発信するようなシステムが必要なのではないかと思っています。
 そういったものがまた外にも広がっていきます。市民から周りに発信していくことも大事です。「まずは市民より始めよ」というような。そうした中で文化との触れ合いができるような取り組みが大事だと思います。

(福光) DMSという言葉をお出しいただいたのですが、Destination Management Systemということですよね。普通に言うと、観光の方が目的地にたどり着けるために情報が与えられる仕組みということです。この場合は、必ずしもディスティネーションかどうか分かりませんが、要するにエデュケーショナルな面も大いに入っているということで、これからはこういうことをしておかないと駄目だと思うのですが、DMSは誰がすればいいのか、その点はどのようにお考えですか。

(岡) その点は大変ありきたりな話になってしまうのですが、やはり行政だけでも無理ですし、業界の方だけでも無理で、関係する方々の連合組織にならざるを得ないと思います。熊野古道に関してはその後、本宮町が田辺市に合併されて、田辺の中に熊野のDMO組織があるのですが、ちょっとそこで面白いのが、元々本宮町出身の若手の女性が、旅行業に関する国家資格、国内旅行業務取扱管理者資格を取得したことによって、自分でローカルのツアーを企画できるようになりました。その方がほそぼそと熊野古道に関するツアーを企画商品化しようとしていたのですが、やはり限界があるということで、田辺市の中に組み込まれたことによって田辺市のDMOのサイト、事実上DMSに近いですけれども、それを見ると情報発信だけではなくて、モデルツアーや宿泊施設など、要するに情報だけではなくてお金の取り引きができるようなサイトになっています。
 それで、先ほどの代表幹事のご質問に戻りますと、一般的なDMOの作り方でありつつも、実はそこに地元の若者で、旅行商品をそのように法律上作ってよいとされる資格を持った人が1人いて、将来の人材育成も兼ねてそういう形で入れておくと、単に情報発信だけでなく住民目線、観光客目線の両方から、そのような金沢の見どころを歩いて回るようなツアー商品なども中に入る形になると面白いと思います。

(福光) 馬場先さんは、誰が主体的にすべきかという点についてはどうですか。

(馬場先) 私もよく学生を連れてまちを歩き回るのですが、やはり知らないのですよね。例えば、都会的なまちの中を歩いて、路地に一歩踏み込んだら武家屋敷があるとか、あるいはほんのちょっとした粋なまち並みが残っているとか、あるいは近代的建築群が残っているような文化の森を歩いてみても、ここにこんな建物がこういうふうにあるのだというのを新鮮に感じています。知って新たな発見があるのだということです。市民はどういったものを求めているのか。まず市民にぜひとも情報を提供してほしいと思いますし、それと並行して、行政も含めて金沢のまちの魅力の何を知ってほしいのかという、知らせたいものをいかに知らせるのかという、どちら側からも情報は必要だと思います。

(福光) ありがとうございます。米沢さん、どうぞ。

(米沢) DMOの一つの成功例として、瀬戸内7県で一つのDMOをつくられました。つくるまでに3年ぐらいかかりましたが、このDMOが成功しているのは、ターゲットをはっきり決めて、ヨーロッパの富裕層、そして歴史や文化やアートに興味がある方のみに絞っているからです。発信も、そういう人たちが好んで読む雑誌や媒体をしっかり選んで、そこにプロモーションさせて、何年かかけてきちんと記事に載せています。そうやってターゲットがしっかりしていて、小さな組織なのですが、継続的に企画しながら目的を定めて運営しています。その結果、欧米の富裕層の認知度の上位には、熊野古道も入っていますけれども、広島も入ってきますし、瀬戸内もやはり入ってくるのです。CNNが選んだ絶対に行かなければいけない場所のベストテンにも入ってくるし、しまなみサイクリングロードなどは世界で一番きれいなサイクリングロードなどといわれています。
 いろいろな意味で随分日がかかっていますが、目的をはっきりして、しっかりしたプロモーションをかけています。海外で瀬戸内をずっとプロモーションする外国人と何人も契約していて、その方たちが常に富裕層が相談するような旅行社にずっとプロモーションし続けています。そのような企画をしなければいけません。そういう意味では、金沢は認知度が3.9%と出ていたのです。広島が59%なのに対して金沢は3.9%ですから、ほとんど知られていません。高山、松本は10%と出ていました。
 僕はなぜこんなことを調べたかというと、このたび北経連の観光の委員長になったからで、どんな認知度かなと思ったらそういう状態だったのです。そういう意味では、はっきりとした目的意識とプロモーションの内容も決めなければいけません。先ほどお話が出たように、正しい情報を、興味を持つ人にいかに届けるかという戦略が必要なのだろうと思います。

(福光) われわれも一度お招きして、その方のお話をお聞きしたのですが、あれはどういう財源で動いているのですか。

(米沢) あのDMOは民間も入っていますけど、7県の予算をもらっていて、7県の行政をまとめるのにすごく時間がかかったそうです。

(福光) 今回は7県ではないのですが、施設は県と市をまたがっていますし、民間もあります。ですから、いつもいつもこれを県がなさると市の施設は関係がなくなるし、市がなさると県の施設は関係がなくなるということがあったりします。だから、行政と民間が一緒になったような第3のところがこういうことをしないとうまくいかないのですが、そうなると非常に運営が難しいと思います。

(米沢) でも、瀬戸内の芸術祭のヒットは、あのDMOの力ですよね。国民文化祭を行うときにはやはりそういう仕掛けが要ると思っていて、望むならば北陸3県で3泊4日ぐらい泊まっていただくような商品のパッケージをしっかり作って、金沢にきていただいて回るような、40万〜50万円の商品を作るべきだろうと僕は思っています。

(福光) なるほど。話が随分発展してきていますけれども、要するに文化の森を中心に文化的にアプローチしていくときも、こういう情報の仕組みが絶対に必要だと私も思うので、どう考えても官民協働の組織が必要であるし、それからもう一つ、大学はどうですかね。こういうことに学生が入れないか、先生方もこういうものを指導できないか、大学のコンソーシアムの授業を兼ねて事業にならないでしょうか。

(佐々木) 私は金沢を20年間離れて、関西のあちこちの大学をずっと回っておりました。そこで、大学が地域に関わるというのは、この20年間で随分変わりましたね。地域貢献が非常に強調されるようになりましたし、理事会なりがかなりスピードを持ってさまざまな大学改革を進めるようになってきました。その点で言えば、僕はもう少しこちらに赴任するのが早ければ駅前大学院というのを提唱したのですが、ちょっとタイミングがずれたのは残念だと思っています。
 私は大阪・梅田の北新地で社会人大学院というものを、その当時としては成功させました。私が離れた後はどうもちょっと芳しくないのですが、そのときは「創造都市」というタイトルの大学院をつくって、関西圏一円から来ていただき、その中にアート系やエンターテインメント系、交通系や行政などさまざまな人たちが入っていました。そういう社会のいろいろな分野からの人たちが集まる社会人大学あるいは大学院のようなものが、連合の形で金沢にできるといいのではないでしょうか。
 金沢は学都といわれている割には、大学が郊外に移転してしまったのでどうしても存在感が薄いのです。それを再集中というか、都心の磁力にできないかということが次の課題ではないかと思っているので、仮に文化の森や駅前に新しいそういう施設ができるなら、金沢の幾つかの大学のコンソーシアムがそこに入ってはどうかと思います。私はクリエーティブツーリズムが金沢のまちにぴったりだと思っているのですが、世界からやって来るツーリストと市民、学生、アーティストといった人たちが近い距離で交流していく中で、昨日申し上げたコ・クリエーションですね。コ・クリエーティブシティに近づけられないかという夢は持っています。

(福光) ありがとうございます。場合によっては、この文化の森情報局を各大学の学生たちが交流して参加してつくっていくことがコンソーシアムの第一歩のような気もしますので、それも一つあるかなと思いますが、いずれにしてもこの文化の森の話は、こうした情報局の機能がないとうまくいかないと思いますので、これは重要な課題として今後考えていかなければいけないと思います。それがちゃんとしていれば、ものすごいサイトができるわけで、そこにアクセスすれば文化の森あるいは金沢の情報がほとんど分かるし、行動に結び付くと思います。

(水野) 「金沢ふう」を議論したときに、金沢には哲学がある、文学がある、あるいは建築もある、造園技術もある、美術も工芸も芸能もあるというふうに多分野があって、その舞台として兼六園周辺文化ゾーンが位置付けられているとしたときに、みんなが歩けるようにするためにいろいろな道を造ろうという提案が昨日もだいぶあったと思います。工芸回廊がある、現代美術回廊がある、あるいは緑のものを見て歩く、銘木を見て歩く、緑の回廊がある、あるいは水の演出をずっと見て歩く水の回廊がある、そんな回廊が10ぐらいすぐに造れるのではないかと思っています。
 私はたまたま建築館の館長になったこともあって、少し建築についてまとめてみようと思い、『金沢圏の建築家と建築』という本を作りました。これに伴って現在、「金沢のチカラ」という建築の重層文化の展覧会を開いていますが、例えば石垣回廊だとすると、石垣に興味のある人、あるいは石垣を研究している人、石垣を積んでいる人たちにグループをつくってもらって、金沢の石垣をずっと見て歩く。例えば井上靖さんは、「金沢の沈床園からあの辺の石垣が一番きれいだ。金沢市民は絶対にこれを守ってほしい」と書いているのです。いろいろな文学から拾ってくることもあるでしょう。それから、宝暦の大火というのがありますね。金沢のお城も大火災を帯びたときに、石垣の周りに櫓(やぐら)が建っていますね。あの櫓が焼けたときに、屋根の瓦が溶けて石垣に垂れているのです。それがあちこちの石垣に残っているのです。こんな大火事だったのかというのが見えるのです。
 そのようなことを含めて、いろいろな情報をつくって歴史文化としてやっていくと、多分石垣はインターナショナルにあるのです。アジアのいろいろな国にもあるし、アメリカやヨーロッパにもあるし、アフリカにもあります。だから、石積みはものすごく面白いので、そういうことをちゃんとまとめる。そういう各回廊があって、回廊ごとに研究団体があって、それを出版して、それを基に何か発信していくという。それを新しいメディアで発信するときの内容・コンテンツをきちんとわれわれが持っておくこと、すなわち金沢を金沢自身が自己確認していくという作業が要ると思います。一つの事例として建築の話をしました。

(福光) 竹内さん、今のような樹状都市はどうですか。

(竹内) 情報発信のことは専門ではないのですが、僕は上野の公園の中にある大学に6年間通いました。上野駅に毎朝降りて、森の中をずっと通っていたのですが、上野の森の魅力は、もちろん文化施設があったり緑があったりというのもあったのですが、例えばちょっと山を下りていくとアメ横があって、別の方に下りていくと谷根千と呼ばれる昔ながらの下町があって、日暮里の方に行けば谷中の霊園があるという、非常に異なるエリアにつながっていることです。今日はお金があまりないからアメ横に行こうとか、今日はアルバイトでお金が結構入ったから谷根千でぜいたくに飲もうとか、いろいろな選択ができました。そのジャンクションのような感じで上野の文化の森があったのです。
 そう考えると、兼六園周辺文化の森も東山につながっていたり、いろいろなまちへのつながりがあると思います。そういうあたりもうまく、そこだけではなくてどういうふうに周辺に魅力的なまちが広がっているのかということを併せてアピールできると、文化の森の魅力もより伝わっていくのではないかということを考えながら聞いていました。

(福光) 大学か大学院か分かりませんが、学生の研究活動もこの情報の政策に生かして、連携ができる可能性は高いようですね。

(水野) そうですね。この本も工大だけではなくて、美大の先生やまちの建築家たちと一緒にやっていて、兼六園周辺文化の森の巨大な模型を作ったのですが、それは昨日ここに座っていた竹内研究室の学生たちが作ったものです。そうするとやはり学生も興奮するし、われわれも「ああいいな」と思って興奮するような状況が生まれると思います。ですから、学生もたくさんいるし、研究者もたくさんいるし、いろいろなテーマが成立するような営み全体が何となく「金沢ふう」に見えてくるような感じがします。

(福光) 文化の森全体を森として育てていくためには、今の跡地の適正配置もありますが、こういう情報の話をきちんとしていく。それから通称を作ったり、大きな国民文化祭などでうまく使ってそういうことをお披露目したり、市民や学生も一緒になって情報をつくったり、そういう課題が結構大きくあって、これはもちろん県も市も入っていただいた上で民間と、それから当然アーカイブをたくさんお持ちの北國新聞社さんなどにも入っていただかないとできないことだと思いますので、もうかる話ではなさそうですけれども、今後のためには非常に重要な話であり、課題として文化の森の話から出てきたのではないかと思っております。
 続きまして、実は今回直接議論しなかった文化装置が金沢歌劇座であります。経緯は皆さんご承知だと思いますが、現在本多町にある歌劇座が相当古くなったので、あそこの場所で建て替えようという話が最初あって、それからいろいろとやっていましたら、あそこも高さ制限の問題などいろいろあり、本格的なオペラ座を造るのであれば高さが相当足りないという話になり、今は別の場所で歌劇座を造る話になっていて、どこかは決まっていないままとなっています。
 今ある本多町の歌劇座は、逆に建て替えのときにあそこがなかったら3年間ほど建物がないことになり、発表の場がなくなるので非常に困るという話が出て、今の歌劇座は教育のための発表の場、普通レベルの市民の発表の場に使ったらいいのではないかという話になっています。建て替えるものは別の場所に造ってはどうかというところまでは決まっていますが、どこにするかはまだ決まっていません。もちろんまだいろいろな場所がそう簡単に言えないためというのもあるのですが。
 それで一つは、日銀跡地に歌劇座を移したらどうかということは、われわれ同友会も市長に2回ほど提言しているのですが、「本格的なオペラハウス」という言葉がちょっと独り歩きしていて、いわゆる多目的ホールであればどうなのかとか、もう少し柔軟に考えられないかと思うのです。別に日銀跡が歌劇座に決まっているわけではありませんが、可能性の議論をもう少しした方がいいと思ったので、今日のうちにしてはどうかと思うのですが、これはずっと座長をしておられるので、水野さんからまず発言していただきたい。日銀跡地の場合であれば、どのような歌劇座ができるかという話です。

(水野) 歌劇座は、いわゆるオペラハウスですね。ヨーロッパの主要都市にはあって、演劇と音楽の殿堂のような形で、大体都心に堂々と建っています。舞台は結構大きいのですが、その両脇に袖舞台があって、後ろにも袖舞台があって、三方から舞台装置を引き出してくる仕掛けなのです。それから、大型の緞帳があってそれを上に持ち上げるのと、両脇に引く軽い幕があって、その両方が必要だということもあり、高さもどうしても必要になってきます。そういうわけで、大きな面積が必要なのです。観客席は、ヨーロッパのものだとそんなに大きくはないのですが、ウィーンもパリも、競争してみんなきらびやかなものを造っています。バルセロナに行っても、ロンドンに行っても、すごく立派なものがあります。
 金沢もそれに倣おうとするのですが、ヨーロッパの本格的なオペラハウスというのは、造ったときには2カ月も3カ月もロングランをやって、世界中から人を集めてしまうぐらいの気構えでやるわけです。けれども、金沢の場合はオペラをつくる力は多分ないだろうし、そういう基礎を持っていない。だから、オペラを招くとなると、2日か3日か、どんなに長くても1週間ぐらいの興行にしかならない、そうすると、どこまでやる必要があるかというのはあると思います。
 もう一つは、オペラハウスを造る場合は、演劇からいえば舞台展開がたくさんできるので、普通の文化ホールではできないような演劇がやって来るというのは、それはそうだと思います。劇団四季などはそういうものが好きで、だいぶ大きな舞台展開をやっています。
 それから、音楽ファンからすれば、音響が良いです。大体オペラハウスは扇型になっていなくて、四角い形の観客席になっていると思います。その方が音響が良いからです。あと、距離が近くに見えます。30m以上遠くなってしまうと顔の表情も見えないので、演劇を見るにはふさわしくありません。それから音楽をやっている人の表情を見るにもふさわしくありません。つまり、あまり長い距離を取らないし、音響が良いものということになります。ですから、演劇にとっても、音楽にとってもいいというのがあります。
 それからもう一つは、例えばユーミンにしてもEXILEにしてもそうですけれども、舞台装置をものすごく使って、照明や動くようなものを使って、場面転換は鋭いし、光の演出もすごい。立体映像を使ったものをやったりして、裏は真っ黒にしなければいけないとか、そういう奥行きがどうしても必要になったりするので、そういう舞台転換ができる場が欲しいというのが要望としてあるわけです。それに応えることが、オペラ型のものを造ろうではないかという理由になっています。
 ですから、ある意味では歌劇座風、オペラ風というのは、そういうところが理由かと思いますので、その程度をどこまで持ってくるかという議論だと思います。完璧な形で、いわゆるヨーロッパの正統的なオペラハウスというものを入れてみますと、現有の敷地でも少し狭いぐらいです。そういう意味では敷地の広さからすると、今の兼六園周辺文化ゾーンでいえば、合同庁舎が大体1.5haありますので、あそこは十分入ると思います。日銀の跡地に建てるとすると、敷地面積では1haを切っているのです。現有のところは1.2haかそこらあるのですが、日銀の跡地は隣の銀行を入れても0.7haぐらいだと思います。ですから、観衆のいる部屋、それから舞台や舞台裏はぎりぎり取れたとしても、ロビーやレストラン、ホワイエといったところが、少し窮屈だなというのはあります。ですが、どのレベルによるかを決めることによって全く不可能ではないだろうと思っています。

(砂塚) 来週、金沢郊外の白山市で、日本海側屈指の規模のイオンモール白山がオープンするということで、都心軸の商業関係者の皆さんが大変身構えていらっしゃる一方で、都心の力が衰えていくのではないか、そうなってはいけないという危惧を覚える方がたくさんいらっしゃる中で、この日銀跡地の使い方は極めて重要ではないかと思います。都心軸の力が細っていくようなことを避けて、反転攻勢に出るための一つのポイントになる場所ではないかと思います。
 そうしたときに、浜崎代表幹事が昨日、歌劇座的な機能を持った施設をあそこに誘致することが極めて重要ではないかとおっしゃいましたが、私もそう思います。あの界隈の核になる場所で、強力なエンジンを持った、人を集める装置ができれば、そこにまず集まって演劇やコンサートを楽しんで、その後買い物や食事をして帰る。あるいは演劇やコンサートを楽しむ前に食事をして、その場所で楽しんで、そしてまたまちを歩いて帰る。そういった一つの流れをつくるための強力なエンジンを持った装置が必要ではないかと思います。そういう中で昨日、劇団四季と提携したらどうかというお話もありましたが、例えば北國新聞社が関わっているものであれば、宝塚の地方公演などもそこで楽しんで、その前後にまた食事を楽しむという一つの流れをつくっていくための強力なエンジンを誘致するという意味では、大変有効な手段ではないかと思います。
 それともう一つ、あの場所でオペラハウスを造るのではなくて、オペラ的なもの、オペラを誘致するといってもいろいろな準備があったり、広さが必要であったり、何年かに一回できるかできないか分からないもののためにそれに合った装置を造るよりも、それに近い、金沢でできる範囲のものを造って、まちの力を落ちないような、あるいは反転攻勢に出るような施設があるといいと思っております。

(浜崎) 私の言いたいことは全部おっしゃいましたので、あまり言うこともないのですが、地元で経済をやっている一人としては、やはりまちなかに活気が欲しい。周りの商売をなさっている人たちにとっても、砂塚代表幹事が言ったように、一つのエンジンとして、起爆剤としてあの場所はやはり捨て難いと思っております。

(竹内) 僕は、こちらに来る前に伊東豊雄さんという建築家のもとで12年間働いておりました。なぜか僕はホールばかり三つほど担当させていただいて、最後に担当したのが松本市のまつもと市民芸術館なのですが、サイトウ・キネン・フェスティバルの拠点にもなる施設です。今は恐らくセイジ・オザワ・フェスティバルと名前が変わっていると思います。オペラもできるホールということで設計しました。おかげで非常に舞台周りなどいろいろなことに関しては詳しくなったのですが、先ほど水野先生がおっしゃったように、どこまでの機能を求めるかによってホールはかなり規模や大きさが変わってくると思います。
 フライタワーに関しても、ヨーロッパのオペラの舞台というのは背が高いのです。日本の歌舞伎などはむしろ横に広い。なので、背の高いものを全部上に上げようとすると、フライタワーと呼ばれる舞台の箱は34mほどになると思います。さらに、4面舞台を前提とすると、大体はT字型になるのですが、そういったことをすると非常に奥行き、幅が必要になってきます。
 先ほど面積の話が出ましたが、日銀跡地は多分、4800uぐらいだと思います。隣にUFJや奥には料亭などがあって、今回作った模型はそこまで含めて作ってしまったのですが、合わせると6200uぐらいで、それでも4面舞台を入れられるほどの規模ではないと思います。なので、何をターゲットに、どのくらいの設備を持ったものにするかということをかなり厳密にスタディしないと、ここでできるかどうかというのはそう簡単に言えないのではないかという気がします。そういったことをもう少し具体的に検討するような部会を、どこが立ち上げるのかというのはあると思いますが、諸条件をしっかりと分析した上で、明確にこうあるべきではないかという形の提言にしていった方がいいのではないかと思います。条件にもよりますが日銀跡地は非常に厳しい条件であると思います。

(佐々木) 今言われた意見とも関係があるのですが、私はヨーロッパのオペラハウスも幾つか見て調べてきました。基本的にヨーロッパのまちにオペラハウスがあるということは、オペラのオーケストラや合唱団やバレエ団といったソフトがまずあって、あるいはそこに音楽院や学校があって、総合的に運営されているのです。ただ箱があるだけではないので、通年の公演が可能になっています。恐らくそういうものまで今は考えているわけではないですよね。
 実はオーケストラ・アンサンブル金沢をつくるときに、アンサンブル金沢というソフトを先につくって、それに合う専用ホールとして音楽堂ができました。これを私はヨーロッパ型だといって、当時の谷本知事に対しても良かったと言っているのですが、日本でそういう形でハード・ソフトが一体となった運営をしているところは意外に少ないのです。そのとき私は、ハード・ソフトが一体になって運営しているから経済効果が高いということで、効果測定したのです。そういう一つの出発点があると思います。ただしそのときに、あくまでもオーケストラ・アンサンブル金沢というのは室内楽なのです。なので、大きな編成はあまり考えていませんでした。しかも、本格的なオペラをやる会場は考えていなかったので、歌劇座という形で改修しました。
 そのときに、基本的には今出ているように、オペラをやろうと思うと4面舞台や3面舞台で高さが必要になると建築業者は言うのですが、そこまで必要ないのです。ヨーロッパのホールでそこまで持っているものはほとんどありません。それで、そこにお金をかけるのではなくて、例えば愛知県の劇場は大中小ですね。今、大体うまく運営しているのは、大劇場、中劇場、小ホールというのがあって、それぞれの目的に応じて運営しています。金沢に欠けているとしたら、どのサイズの、何を中心にした劇場なのかという議論をまずしないといけません。要するに、全国や海外から回ってくる講演をする場所がないということだけからやみくもに発想しない方がいい。
 今、金沢市にとって、舞台公演としてどういうものが不十分で、あるいはどういう施設が足りないからここを補う、そこにお金を投じる、運営に当たってもできるだけソフトを重視して考えていくという形で、本来は自主公演ができるようなホールが望ましいと思うのです。それだとちょっと時間がかかるかもしれないけれども、まず土地があるから造ってしまおうという発想をするよりは、考え方のところからまずきっちり本格的に議論したいと思います。

(福光) 他にこの件でご発言のある方。では、お願いします、砂塚さん。

(砂塚) 昨日、都心軸の関連で、都ホテル跡地に関連して、北國銀行の会長でいらっしゃる浜崎代表幹事が「オール石川」で開発を目指せばどうかというお話をされました。これはすごく力強い言葉だったと思っております。そういう中で、近鉄さん側もこの土地の位置付けというか、金沢市にとっていかに大事な場所かというのは当然認識していらっしゃるから、いろいろと熟考に熟考を重ねて時間がかかっているという部分はあるとは思うのですが、そういう中で「オール石川」で開発しようというのは大変大きな考え方だなと思います。一方で、「オール石川」で推進役といいますか、牽引役は誰になるのかということですが、やはりここは、武部さんが昨日、金融の地産地消ということをおっしゃいましたが、地元の金融機関として牽引役を果たしていただきたいと思うのです。
 10月ですか、北國銀行さんはホールディングス体制にされて、そういう意味で組織的にもだいぶフレキシブルに動きやすくなられるとお聞きしましたけれども、「オール石川」はベースに置きながら、みんなで力を合わせてここを活用していくのだという意味での牽引役の一つでも構いませんが、なっていただけるとありがたいと思っているところであります。

(福光) ありがとうございます。これは駅前の話に一回戻っていますが、これに対して浜崎代表幹事、ご発言をお願いします。

(浜崎) 昨日そういうご提案をさせていただきましたが、私どもの銀行も当然そこに加わっていくつもりでお話ししました。私どもの銀行も、今はもう整地されていますが、あそこに以前、金沢駅前支店がございましたので、そういう意味でもうちにとってはいろいろとなじみのある場所ですので、鋭意検討させていただきます。ただ、相手があることですので、なかなか自分で決めるわけにもいかないのですが、少なくとも「オール石川」という格好でやれば、先方にもこれが伝わるかどうかは別として、おいそれとファンドに売り払うといったことにはならないのではないかと思っております。

(福光) 貴重なご発言でありました。先ほどの駅前のまとめの発言のようなものをしていただきました。それから、歌劇座の方は、これまで何回も市で委員会を開いてきたのですが、これからまた市の委員会をすればいいのか、民間も入って研究した方がいいのか、その辺はどうなのでしょうか。最後に感想をお聞きしようと思っていますが、村山副市長にちょっとここで、歌劇座の話だけお願いします。

(村山) 円卓の外から失礼します。金沢市副市長の村山です。歌劇座に関してですが、駅前には県立音楽堂がありまして、非常に素晴らしいホールだと思っておりますし、また民間のホールも含めてさまざまな用途でホールがあると思っています。その中でどんなホールが必要かというところを中心に一昨年度検討させていただきましたが、オペラができるようなものという結論を出させていただきました。
 いろいろとご議論はあると思いますし、一つの想定が置かれていた日銀跡地という今日のお話もございましたが、実際にどのようなホールが必要かという議論をさせていただいた初年度の後に、現地での建て替えができるかという議論をしていきましたけれども、改めてその方向性を、民間の方々も含めてご議論いただきながら検討していきたいと思っております。私の方からはこれだけです。

(福光) ありがとうございます。そうすると、もう一回そういう集まりできちんと議論した方がいいかもしれませんね。どういうことができるものを造るかということ。それから先ほど水野さんがおっしゃったようにユーミンとEXILEが出ましたが、例えば解散したけれども嵐とか、あのレベルだとアリーナしかできないですよね。昨日だったと思うのですが、駅前の話のときにアリーナというのを誰か言われましたよね。そうすると、アリーナは駅西の近いところで一度話があったのだけれども、うまくいかなくて、アリーナはできないものと思い込んでいたのですが、駅前にアリーナというのもあり得るのですか。これは武部さん、どう思いますか。

(武部) 十分考えられると思います。アリーナがどれぐらいの収容人数を想定されているかは別として、鉄道とアリーナというのは極めて深い関係で、絶対的な要素の一つだと思っていますので、いかに組み込んで波及効果、相乗効果につなげていくかということでは非常に面白い案だと思います。

(福光) 今回、アリーナの話が出てくると思っていなかったのですが、駅の前ですから非常に動線がよろしいので、ひょっとしたらあり得るかもしれないという話でございます。
 話は変わりますが、長谷川さんに金沢21世紀美術館の分館の話を昨日いろいろとしていただきました。こういうところを使ってこういうふうにしたいという思いが相当おありのようなので、ちょっとご発言いただけませんか。私的発言ということで結構です。

(長谷川) ありがとうございます。昨日既にお話ししておりますので、今日のお話をいろいろとなさった文脈の中でもう一度まとめてお話ししたいと思います。
 先ほどから非常にビジネスの観点からもいろいろ、例えば商業施設の中に文化施設をハイブリッドで入れることによって付加価値を高めていくようなご提案もあったと思います。ホテルと一緒にすることで、富裕層あるいは文化に高く関心のある方たちを引き付けられる場所、かつ開放して市民の方にもというような二面性を持った場所の可能性もあると思います。
 皆さんに思い起こしていただきたいのは、金沢21世紀美術館の今あるロケーションと、皆さんが体験されていることの何が一番親しまれているかというと、あそこに座っていると気持ちがいいということなのです。実際、1万4000uの中で2000uと1500uしかギャラリーがなくて、あとは全て共有スペースやコミュニケーション機能です。ですので、コリドール(廊下)や外に面したところでずっと座っていらっしゃる方が非常に多いのです。そういう意味で、既にプラットフォーム的な役割を持っています。それが故に、入場者は250万人なのですが、実際に展示室にお入りになる方は3分の1で80万人です。そういう部分で、金沢21世紀美術館が非常に愛され、高い評価を受けています。
 そういう無料ゾーンも含めて、そこに皆さんが楽しんでいただけるアートがあるということ。その基本的なコンセプトが、ギャラリーで展示を見るという目的だけではなくて、プラットフォームを提供することによって、より皆さんに親しんでいただけるもう一つの拠点をつくるということ。そこでもう一つコレクション活用もでき、新しい動線ができていくという意味で、動線の多様性をもたらすポジションであると同時に、周辺環境がエコロジカルに一体となるような、自立性とともに、他のものや環境とつながっていくような場所。そうした場所が非常に「こまるびぃ」としては適切ではないかと考えています。
 例えば、先ほどホテルという話がありましたが、京都の鷹峯にアマンというホテルができていて、32万uのうちホテル自体が2万4000m2です。その中に60棟、26室の客室があり、そういう森全体の中で一つの体験をつくっていくというコンセプトです。例えば富裕層というと、そういう体験を最も重視される方々が多いです。やはり文化とホテル、例えば宿泊機能をつないでいくときに、さまざまな別の考え方が必要なのではないかと思います。つまり、金沢21世紀美術館が一つのモデルとして見せた、その人たちの心の底からの喜びや体験をその場所で感じていただける唯一の場所と思わせるということだと思います。それを頭の中に置いていただきつつ、分館構想のいろいろなご支援、アイデアを頂けたらと思います。

(福光) ありがとうございます。昨日、必要面積を相当幅広くおっしゃっていましたが、それは立地によってということを言っておられるのですよね。ですから、場合によっては、本館が都心型ですから、分館は少し郊外にあってもいいという考えもおありですか。

(長谷川) それはあると思います。そこを訪ねるまでの動線で、さまざまなまちの魅力を発見していく文化的な動線があったり、いきなり車で行くような感じではなくて、新しい可能性の動線をつくっていく場所であれば、非常にそういう可能性もあるかと思います。

(福光) 分かりました。いろいろな考え方で分館ができそうだなということはよく分かりました。
 鶴山さん、どうぞ。

(鶴山) 先ほどの歌劇座的な施設は、例えば日銀の跡地を少し意識して、先ほど佐々木先生もおっしゃったように、用途や景観的なものを含めて少し絞って議論していく方が早いと思います。
 それともう一つは、広坂の合同庁舎は、昨日の議論の中で非常にある意味醜い建物のようになってきましたから、関係者と協議して、今の駅西の合庁や新神田の合庁もありますが、ああいった国の機関を一度少し集約するようなことの議論も含めて考えていけばどうかと思います。その上で、あの建物の敷地は広大なものですから、フラットにするのか、あるいは一時期出ていましたがセントラルパーク的なものにするのか、さもなくば、昨日も卯辰山工芸工房の館長がおっしゃったように、工芸センター的なものを含めて、ああいった場所で何か施設として、あまり高くないものを考えるような、そういった具体的な議論を少し重ねていかないと、恐らくこれも1年、2年ではとてもできないと思いますので、やはり意識をしないとすぐ5年、10年はたってしまうという気がしました。
 それから、今の金沢21世紀美術館のアネックス構想について、駅前の方が本当にいいのか、かといって、例えばルーブルの別館の位置関係のように、本館から離れた駅西にそういったものを持ってきても果たして効果があるのかという気もしますし、少しそこら辺のロケーション的なものを具体的に考えていくことも必要かなという気がしました。

(長谷川) エコロジーということを考えるとやはり駅西はあり得ないと思いますので、他の文化施設の間でお互いに有機的につながっていくという話を昨日させていただきました。少し離れた場所というのはちょっと曲解されないようにお願いいたします。

(福光) 離れた場所というのは、例えば車で何分ぐらいの範囲?

(長谷川) 歩いていける範囲がいいです。

(福光) 歩く人は30分でも歩きますけれども。

(長谷川) はい。今日は、私は30分歩いてまいりました。

(福光) そのぐらいの範囲ですね。近郊というか。でも、都心型の金沢21世紀美術館をいつも見ているので、なかなか郊外型は想像しにくいのですが。
 米沢さんはもうよろしいですか。

(米沢) もう言うことはないのですが、日銀跡地については、今は隣の三菱UFJのビルも入っていますが、奥行きはせせらぎ通りの用水道路沿いまでありますよね。ある意味、最大どこまで広げられるかという話もあるのではないかと私は思っていて、これが必要だと思ったら、あそこをどうやって広げるかということを考える可能性もなきにしもあらずではないかと思っています。

(福光) 昨日のスライドで、広い階段でせせらぎ通りに下りていましたよね。

(竹内) はい。勝手にせせらぎ通り側も買収させていただいて。

(福光) あれも素晴らしいと思いましたよ。

(竹内) ただ、道路を挟んでおりますので、あの道路がどういった扱いの道路か、まだちょっと調べていませんが、それはなかなか難しいのではないかとも思います。あれは市道なのですかね。

(福光) 大体、予定の時間は過ぎてきましたが。

(馬場先) あの道は堀の内道ですから、ぜひともなくさないでください。元々惣構に内道と外道があって、堀の内側の道です。これは生かしてデザインの中に入れるならいいですけれども、失わないようにお願いします。

(福光) 惣構なのですね。それで高台になっているのですね。ありがとうございます。
 それでは、ここまで総合的に、もう一回すみません、村山副市長さん、ご感想というか一言お願いします。

(村山) 大変面白いご議論だなと思って拝聴させていただきました。というのも、コロナ禍が終わった後は都市を高度化するチャンスということで昨日の議論はまとめられたと思うのですが、そういう中で価値観が変わってくる、これから環境を中心にしていく、あるいはSDGsという観点なのか、そういった中でひとつ文化のところに注目された議論だったのではないかと思っておりました。
 住みたい街とか幸福度という調査がある中で、金沢市周辺、野々市やかほく、白山などを含めて非常に評価されていると思うのですが、文化の指標がどうも足りないかなと思う中で評価されているということだと思います。これから、平田オリザさんの「文化の自己決定力」みたいなところもあるかもしれませんけれども、文化というのは幸せや豊かさを感じるものすごく大きなところだと思いますし、私も他地域から来て、金沢は本当に文化の都だなと感じているところでもありますので、これをまた市民の方々まで含めてどう理解していただいて、あるいはどこまで賛同して、具体的にはお金も出せるかというところもあるかと思います。ひとつそういった視点で将来を考えていくという意味では非常に示唆に富んだ内容かと思いました。
 また、歌劇座の議論なども頂きましたが、現地での建て替えはなかなか厳しいかなということで、今の高さの問題などもありますけれども、追ってまたご意見を頂戴することもあると思いますので、その際にはご協力いただければと思います。よろしくお願いします。ありがとうございました。

(福光) ありがとうございました。また一緒にいろいろと研究も進めていきたいと思う次第でございます。

課題の整理

(福光) 第11回の金沢創造都市会議はこれで終了となりますが、今回は「提言」「宣言」という言葉を使っておりませんで、最後に「課題の整理」としてこういう文章にしたらどうかと思います。
 読み上げますと、
 @駅前から都心にかけて大規模な「跡地」が生まれるが、特に駅前は行政と民間が一体となって役割を明確にし、重要な跡地の確保のために「オール石川」で資金調達なども含めた方法を開発し実行すべき時である。
 Aこのように大きく変動する金沢の都心軸を「経済軸から文化軸」にシフトさせ、新たな価値を生み出す必要がある。
 Bこれからの文化装置として、新歌劇座、金沢21世紀美術館分館、工芸センターなどが議論され、また町家の活用としてアーティストイン金澤町家の展開も提案された。
 C金沢の都心の総仕上げとして、跡地に上手に新たな文化装置を配置させ、兼六園周辺文化ゾーンを、過去と未来をつなぎ、精神的・哲学的・芸術的に金沢を象徴する「世界に誇れる文化の森」としてさらに整備し、世界に発信することが必要である。
 Dコロナ後の金沢は「生活の文化の質」を「金沢ふう」にさらに極めることで、伝統の上に創造が生まれる最高水準の文化都市・創造都市を目指す。
 このようにまとめてみました。ご賛同であれば拍手をお願いしたいと思います。

―拍手―

 ありがとうございました。これをもちまして議論を終わります。ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

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「喫緊の課題2021」

第一日目 7月15日

第二日目 7月16日

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