第11回金沢創造都市会議

金沢創造都市会議2021 >セッション@

セッション@「コロナ後の金沢都市戦略の展望〜『金沢ふう』を極める」












座長・進行:福光松太郎  (金沢創造都市会議開催委員会会長兼実行委員長)
パネリスト:佐々木雅幸 氏(稲置学園理事、金沢星稜大学特任教授、
              文化庁文化創造アナリスト)
      長谷川祐子 氏(金沢21世紀美術館館長)
      川本 敦久 氏(金沢卯辰山工芸工房館長)
      三谷  充  (金沢経済同友会副代表幹事)

(福光) 「コロナ後の金沢都市戦略の展望〜『金沢ふう』を極める」と題したこのセッションではこれからの金沢に必要な文化装置、いわゆるコンテンツ、その新しいものの構想を幾つかご紹介します。まず佐々木先生から、このコロナ後の金沢都市戦略の展望について問題提起をお願いします。

(佐々木) ちょうど20年前に、福光さんと金沢創造都市会議を始めようと一緒に考えて、当時の山出市長に相談したら、小さい会議でいいから、まず10年ぐらいやろうということで始まって、結果的には20年たち、私どもは結構年を重ねてきたのですが、そのことによって金沢という都市も成熟してきたなと改めて思っております。新型コロナという人類史上まれに見るパンデミックの最中にあって、改めて金沢という都市の戦略を作り直す、組み立て直すチャンスが訪れたと思っております。
 コロナ後の都市の在り方、これはいうなれば、特に21世紀のグローバル化と情報化が大都市を中心に進み、その大都市の在り方がやはり限界にきている。今般もそうですが、東京圏にあってはこの先の生活、経済の在り方がどのように変わっていくのか。例えば、現在、都心を離れて周辺部、郊外の外という意味で外郊外という言葉を使っていますが、こういったところにオフィスあるいは居住地が替わる、そして都心に向けて通勤するのではなくリモートワークを行う、あるいは思い切ってリゾート地、沖縄の石垣や石川県でいえば能登の珠洲などに本社を移転して、新しい形態のビジネスを行うというような動向が生まれます。
 その一方で、これまで大都市の都心部に集中してきた芸術、芸能、アミューズメントといったものがこれまでのような形では継続できないだろうと、さまざまな試みが行われていると思います。特にDX(デジタルトランスフォーメーション)というものは芸術文化にも大きく影響を与え、テクノロジーが変わると、芸術表現も恐らく変わってくるだろうということから、新しい都市文化、あるいは新しい芸術表現という中で、私たちのこの金沢というまちがどういうチャンスを生かして次の戦略を組み立てることができるのかがテーマです。
 そのとき私は、非常にありふれたことなのだけれども、都市というのは「善い生活」を求めて人々が集まる、これはアリストテレスが言っているのですが、本質的な話なので、生活の質や文化の質が改めて注目されるだろうと考えます。特に歴史的な視点で見たときに、例えばルネサンスを引き起こしたフィレンツェは、ペストの大流行で当時の人口を半分なり3分の1なり大きく減らしています。それからしばらくしてルネサンスが起こり、ボッティチェリなどが活躍して、新しい芸術表現を生み出したということを考えたときに、私どもが金沢でこれまで20年やってきた創造都市戦略というものは、さらに一層本質的に高いものを目指す、それは平たく言ったらどういうことかというと、「金沢の本質を極める」、つまり「金沢ふうを極める」ことではないかと、このように第1セッションの組み立てを考えたわけです。
 金沢の本質とは何かと改めて問い直したときに、一つは文化資本の質の高さにあると考えました。かつて前田家が日本で最高水準の文化投資をこの地で行って以来蓄積された文化資本の厚みがあり、その上に市民、企業、そして都市自体の高い文化資本がある。この上に立って、私どもはどういう世界最高水準の文化創造都市をつくっていくのかということに改めて挑戦したいと思うのです。
 私はイギリス人の創造都市論の大家といわれるピーター・ホール卿と議論をしてきたのですが、彼はフィレンツェについて述べるときに、「discovery of life」という言葉を使うのです。生活や生命を再発見する。今、われわれはこの金沢において金沢の生活を再発見するという中に新しい創造都市の営みを重ねていく、これがよいのではないかと思っております。
 コロナ後の金沢で芸術家や工芸作家と市民が共にライフを再発見する、そして金沢の本質を深めていく、いうなれば共につくる、コ・クリエーション、コ・クリエーティブシティということになるのですが、これの最高峰を目指したい。つまり「プレミア創造都市」です。この第1セッションでは、それを議論するにふさわしい三つのコンテンツが用意されておりますので、この後の3人の論者からお話しいただきたいと思う次第です。

(福光) 共創型の創造都市ということでご提案、問題提起がございました。ここからその具体的な文化装置の提案を三つお聞きいただきますが、最初に「Artist in 金澤町家」について、三谷さんからお願いしたいと思います。よろしくお願いします。

(三谷) アーティスト・イン・レジデンスという考え方がありますが、それをちょっともじりまして「Artist in 金澤町家」でございます。
(以下スライド併用)


 現在、金澤町家といわれているものは6000棟ぐらい残っています。ただ、問題なのは年間にほぼ100棟ずつ減っている。そのような現状であるということをどうかご認識いただきたいと思います。いろいろなところで今既に使われています。ショップや飲食店、宿泊施設、このようにどちらかというと商業的に活用されているのが現状は多いかと思います。私どもはそれをもう少しアートの方に近づけるためにどうしたらいいだろうかと考え、金沢美術工芸大学と当社と産学連携の事業を始めたいと、今、準備にかかっているところです。


 アーティスト・イン・レジデンスというものの考え方は、何と17世紀のヨーロッパから始まっているということで、かなり古い歴史のあるものです。金澤町家を利活用してアーティストを招聘する、そして新たな国際交流事業をつくっていく、そのようなことが目的で、金澤町家を活動拠点とし、そこに住んでもらうということです。アーティストは金沢の歴史、文化、芸術をリサーチし、インスピレーションを生かして作品作りをする、また金沢の魅力や自分自身の作品作りに関しての情報を広く国内外に発信していただくということが可能ではないかと思っています。
 実を言うと、金沢美術工芸大学は今まで何回かチャレンジして、なぜかうまくいっていないとお聞きしました。アーティストを招聘するのですが、ホテルに滞在していただいて、もうほとんど学校とホテルの往復だけで交流がなかった、その反省を踏まえてのことです。
 場所は、金沢美術工芸大学に近い、歩いて数分のところなので、リレーションがうまく取れるかと思っています。

 これはこのようにできたらいいなという想像図ですが、居住部と、アーティストの活動の場所、アトリエあるいはギャラリーに使う部分と、二つのパーツを持つ建物です。
 これが現状の建物の写真で、このようなところへ求めました。

 

 


 アーティストに期待できることは幾つかあると思っています。まず参加アーティストは「金沢ふう」を感受し、金沢の香りのする作品を発信することができるのではないか。あるいは地域の人々に異文化の方をコミュニティに受け入れる寛容さが生まれることができるのではないか。それからインバウンドの方々には、ただ作品や場所を見るというだけではなく、アーティストの創造活動そのものを体感できることで、静ではなく動のインプレッションがあるのではないかと考えて、これはいいことなのではないかと思っています。

 さらにその後に期待できることとしては、アーティストがご自身のお国に帰られたとき、金沢のまちで得たものが作品に反映され、そのお国でも「金沢ふう」というものが広がっていく可能性があります。また、地域の人々はアーティストの息吹を感じる空間で作品を鑑賞し、さらにアーティストと時間を共有することで新たな視点を持ち、自分自身の成長や新たな文化の振興ができると思っています。そしてインバウンドの方々には、一緒にやったということと同時に、おうちに戻って、「金沢ふうはこうだったよ」と広めてもらえる可能性があります。
 元々、金沢はどういうところだったかというと、ある意味では北陸の人間だけではなく、愛知県の方からたくさん前田さんに付いてこられたりして、それが尾張町や近江町という名前に残っているのですが、元々いろいろなところからの刺激があってできたまちだと思います。そのため、それが海外に広がる、それも一つかなと思います。


 それから、ちょっと視点を変えてみます。このコロナ禍でリモートワークというのは大変当たり前になってしまいました。働く場所としても金澤町家を使うことができるのではないか。それから、これらを見据えた提言もある。金澤町家をはじめ、金沢のさまざまなコンテンツを生かして外部からプロフェッショナルを呼び込んでくる、そして金沢を吸収してもらう、それで吸収したものからまた新たなものをつくり上げていく。文化というものは絶えずつくり上げていくものだというふうに思います。


 当社はこのプロジェクトでさらなる広がりを模索してまいります。しかしながら、先ほど提言したような未来は一企業だけの力では実現することは不可能です。
 現在、当社の金澤町家は1拠点だけです。これから2拠点、3拠点と増やしていきたいと思っていますが、それはあくまで点の集まりです。金沢にはもっと多数の拠点をつくり、点を線に、線を面にしていくことが、有機的なつながりとしてそういうものを持っていくことが大切だと思います。


 金沢を愛する方々へお願いしたいと思います。当社が行う事業のためのプラットフォームをつくりました。会社という組織でこれをやり続けるのはかなり無理がありますので、財団を一つつくりました。その事業に共感していただけたけれど、どうやっていいか分からないという皆さまには、どうやってプラットフォームをつくるかといったスキーム、ノウハウを全て提供いたします。
 それから、町家を所有しておられて本事業に共感いただける方で、町家を使っていないという方は、どうか財団にご寄贈いただければ有効に活用してまいりたいと思います。また、本事業に共感していただけているのですが、ご自身でやるのは難しいという方には、ご寄付も受け付けておりますので、よろしくお願いしたいと思います。多くの企業の皆さまにご賛同いただき、それぞれのやり方、この取り組みを推進していくことを切に願っております。ご清聴ありがとうございました。

(福光) ありがとうございました。「Artist in 金澤町家」の提案をしていただいたのですが、アーティストの範囲についてちょっとお聞かせいただきたいと思います。いわゆる芸術家でいいのかどうか。

(三谷) 現在、金沢美術工芸大学と話しているジャンルは「美術家」ということなのですが、それは大学であろうがどこであろうがいいのですが、例えば哲学という方もおられるのではないかと思うのです。そういう方の中には、鈴木大拙なり西田幾多郎に触れたいので金沢に住んでみたいという方もおられると思います。そういう方は、また金沢美術工芸大学とは違ったスキームで考えていけばいいかなと思っています。

(福光) 要するに、金沢美術工芸大学と今、組まれてスタートされますけれども、いろいろな考え方で。

(三谷) はい、やっていけたらいいと思います。

(福光) アーティストという言葉は、もっと幅広いということですか。

(三谷) アーティストというくくりよりも、プロフェッショナルの方々が金沢に集うことの方が大切だと思っていますので、そういう意味ではアートのプロフェッショナル、場合によっては経済のプロフェッショナル、あるいはもっと言えばスタートアップ企業のプロフェッショナルかもしれません。いろいろな切り口はあろうかと思います。それをどううまく町家と絡ませていくかというのが大事なことなのではないかと思っています。それに対してのいろいろな運営はつくった財団でやっていこうと思いますが、その対象は多岐にわたってもいいと考えています。

(福光) 三谷さんの方で財団をつくって、いわゆるプラットフォームを整備されたわけですが、また別の方が別のプラットフォームをつくるということも先ほどおっしゃいましたけれども。

(三谷) はい。ご自身でやりたいという方にはどうやってつくったらいいか、そのノウハウを全部お渡しします。

(福光) それは逆に三谷さんのプラットフォームを。

(三谷) 使いたいという方もそれは。

(福光) われわれも利用できるという方向でお考えなのですね。

(三谷) はい、そうです。

(福光) 分かりました。そうするとだんだん町家を使ったそういう現象が増えていくといいなということですね。

(三谷) そうなってくるといいですね。

(福光) はい、ありがとうございます。後でまたディスカッションをしたいと思います。次のご提案は、卯辰山工芸工房の川本館長から新工芸センターの構想についてです。


(川本) 金沢工芸センター(仮称)の設置が必要ではないかと。石川県ではデザインセンターを県が設置していますが、各地方へ行くと工芸に関わるセンターが結構ありますし、その地域でそこに行けばいろいろな工芸のことが分かるというところもあります。特に海外では、イギリスなどは特にそうでしたが、その地域の工芸センターへ行くとその地域の工芸の情報が全て入ってきます。金沢にはそれがないなとかねがね思っていました。


 それに加えて、このような背景があります。アートフェア東京や観光サイドからも、金沢の工芸に対する関心の高さはその中でいろいろとお聞きします。「この作家の作品をもっと見たいのだけれども、どこに行けば見られるのか」「この作家はどんな場所で制作しているのか」「その作家に一回会ってみたいね」「金沢には他にどんな作家がいるのかな」というようなことです。こういうことに応えるということで、その質問された方の知的好奇心を満足させることができるのではないか、それは金沢ファンや工芸ファンというものを醸成していくための一つの手段でもあろうと思います。
 それから内的な要因の一つとして、工芸作家というのは金沢ではいろいろな形で、卯辰山工芸工房もそうですが、育っております。その工芸作家の将来の夢と希望に対する支援ができればいいのではないか。特にこのコロナ禍においては展覧会や発表の機会がなくなって、工芸作家もいろいろ苦しんでいるので、コロナ後ということを考えれば、そういう支援も必要ではないか。支援による持続的な作品発表の場と需要の開拓によって、制作の継続と経済的自立が果たせるのではないでしょうか。

 もう一つ背景の2としては、長期にわたるコロナ禍はわれわれの日常を一変させました。そしてわれわれ個の存在が、社会的にも精神的にも充実した日常を享受して、社会活動、経済活動、創作活動に反映させていけることが今、求められているのではないかということです。もう1点は、ユネスコ創造都市の申請書の中にこのような文章がございます。「金沢にとっての工芸は、独自文化の結晶であると同時に、経済を支え、まちを発展させる原動力として捉えることができる」。工芸は単に工芸品を作るという行為だけではなく、そのことによってそのまちの経済に大きく影響を与えるし、そして文化にも大きく影響を与える。それがまちというものを動かしていく一つの原動力となっているのではないかということで、このユネスコ創造都市の申請書を以前読んだときに、なるほど、いいことを書いてあるなと思いました。やはりこれが現在の金沢が工芸を捉えている一つの見方ではないかと思います。

 そして、この工芸センターをつくる目的ですが、一番大きな目的は、金沢の未来は工芸とともに共存するというメッセージを強く内外に発信していくことです。それを細かく言えば、金沢の工芸文化の発信と認知度の強化、金沢のまちが持つ風格を未来に向けて確固たるものにしていくこと、金沢の工芸精神を継承し、次世代を目指す作家の育成を支援することが目的になるのではないかと思います。
 どのような文化施設、工芸のセンターを目指すのかというところですが、工芸における造形行為というのは人に寄り添う美意識や感性を内包しており、作品を手元に置き鑑賞したり用いたりすることで、使い手の美意識や感性を醸成する力を内在しています。特に金沢は藩政時代の歴代藩主の美術工芸の奨励に始まる文化政策が、茶の湯や能をはじめとして文化の多様性を創出し、藩主自身が文化意識と美意識を体現するとともに、金沢城下に品位ある風格が空気のごとく広がっていきました。この施設は物産館のような施設ではなく、金沢の美意識を発信し、金沢の文化、経済、まちの風格に寄与するとともに、金沢に流れるものづくりの気風をますます豊かにしていこうということを目指したいと思っております。

 金沢の文化政策というのは、加賀藩の工芸は武具類の補修から始まって、その技術が培われて美術工芸が奨励され現在の工芸につながっているわけですが、それとともに茶の湯を始めて芸能を城下へ広めることで、城下の平定や人々の心のつながりというものに非常に役立てていました。そういうことが一つの文化を生み出しておりますし、それぞれの文化の奨励をすることによって、加賀象嵌や金沢漆器、大樋焼、古九谷、加賀友禅、茶釜、再興九谷、金箔などがそこでスタートしています。
 そして先ほど、藩主がいろいろな文化意識と美意識を体現と申し上げましたが、藩主は文化人や名工をきちんと招聘しています。かなり高い禄でもってみんなを集めています。例えば金工では後藤家、蒔絵では五十嵐道甫、絵画では俵屋宗雪や狩野探幽、刀剣では本阿弥家、茶の湯では裏千家の仙叟宗室、造園家の小堀遠州、能楽では金春流と宝生流、陶芸では青木木米、友禅染では宮崎友禅斎です。これがそれぞれ現在の加賀友禅や加賀蒔絵、大樋焼、茶釜、加賀宝生などにつながっていっている。そしてその中で藩主がきちんと美意識を高め、そして文化意識を得たものをまちの中に広めていったということが一つだったのではないかと思っております。

 これをつくるときの一つの方針として、藩政時代から培われてきた金沢の美意識と文化性の再認識、伝統と革新に満ちたクリエーティブな金沢の発信、地域色と国際色のコントラストのある金沢の表現、作り手・使い手にとっての金沢工芸の魅力の創出、工芸に育まれ金沢のものづくりの気風を発信していくこと。これには行政、企業メセナの力、観光関連業、作家、金沢市工芸協会、伝統芸能との連携などが必須になってくるのではないかと考えています。

 では、どのような内容なのかということになりますが、もちろん常設展の中では金沢の工芸の今、それから企画展で金沢の作家紹介や工芸分野ごとの一品を例えば展示する。それから工芸作家のデータや金沢の工芸の資料をきちんと集積する必要があるのではないかということが一つです。それからこの中ではいろいろな事業をやることになると思いますが、加賀藩の歴代藩主の仕事と美意識というものを知ることができる。茶の湯や他の伝統芸能に触れて金沢の工芸の本物を知る。工芸に内包される美意識と想像力を発見する。工芸素材に触れてつくる喜びを体感する。工芸で味わう至福のひとときに浸る。このような内容がその中で求められるのではないかと思います。
 そうすると、これは一体金沢のどこにつくるかということを考えてみた場合に、金沢の工芸の始まりというのは加賀藩御細工所にあるわけで、その御細工所のゆかりの地がふさわしいのではないかということを考えました。元々金沢城内にありましたが、最後には宝暦9年の大火によって金沢城外に出てまいりました。城外の堂形の馬屋辺りで再出発することになりました。それは堂形の御細工所という名称で呼ばれています。現在のいしかわ四高記念公園東側辺りに相当します。金沢美術工芸大学の「加賀藩御細工所の研究」の中にもそのように書かれています。
 実際にどういうところにあるのか成巽閣が所蔵している金沢城絵図で調べてみました。この金沢城絵図は宝暦9年の城内の火災から城外に御細工所が移ったときのものです。御細工所や現在の堀、旧県庁辺り本丸があります。






 2007年のゼンリン住宅地図でも御細工所の辺りを調べてみました。



 これと先ほどの図を重ねてみます。特にこの中で変わっていないところを調べますと、お城の城壁、尾山神社の部分。しいのきから見る城壁の位置は変わっておりません。御細工所の位置というのは旧中央消防署広坂出張所の前、そして中央公園の東側ということで大体符合しているわけです。そしてこの位置はちょうど広坂合同庁舎にちょっと引っ掛かるような形で地図上では出てまいります。
 この間見に行ってきましたら、いしかわ四高記念公園にライオンズクラブのライオンの像がありますが、大体あの辺に該当するのではないかと。そういうことを考えてつくるとなると、やはりゆかりのある地の方が説得性もあるのではないかと思います。
 もう一つ、城内の現在でいう石川門を入ってすぐ右側ですが、新丸というところにも御細工所はありましたが、そこは城内ということでなかなか難しいだろうなと考えてみると、この辺のところは城外で一番可能性のあるところではないかと考えています。
 新しい工芸センターというのは、ただ単に物を展示するだけではなく、金沢の文化、美意識やものづくりというものを未来へ向けて継承、伝えていくことを目指す施設として必要ではないかと考えました。

(福光) 川本館長にお尋ねしたいのですが、工芸というものの範囲はどのようにお考えですか。

(川本) 金沢の工芸というものをルーツから指し示すならば、美術工芸というのが他都市と比べて一番特徴的な部分であるかとは思います。だけれども、やはりその後こういう時代になってどんどん変わってきておりますので、工芸の解釈というのも伝統性の強い工芸と、現代的な意識の中で使われる工芸と、現代美術に関わってくるような工芸的なものの考え方、発想がございます。これから将来に関わる金沢の工芸を考えるときには、伝統だけにこだわることなく、そういうところも美術工芸の一つの範疇として扱えばいいのではないかと考えています。

(福光) 後でまたディスカッションがございますので、次に進めていきたいと思いますが、たまたまお城から出た後の御細工所の場所が、四高記念公園と広坂合同庁舎のちょうど間くらいですかね。今でいうと非常に都心の場所にあったということで、非常に重要なファクターかなと思ってお聞きしました。
 それでは続きまして、金沢21世紀美術館の長谷川館長からご提案をお願いしたいと思います。

(長谷川) この4月から就任いたしました長谷川と申します。私は1999年から6年間準備室、そして開館後2年、金沢21世紀美術館の創設といろいろな展開に対して一緒に仕事をさせていただきました。もう一度15年たってこちらに戻れたことを大変うれしく思っています。15年間の大きな違いというのは、やはり兼六園周辺文化の森が非常にきれいに整備されていて本当に見違えるようになっていたことです。先ほど町家についてのお話がありましたが、多くの町家にシックなのれんがかかり、そこが本当に素敵なブティックやレストランになっていて、東京やいろいろなところからお見えになった方が二ツ星や三ツ星の飲食店を展開されている様子に、非常に一つの美化と洗練を感じました。やはり新幹線効果、そしていろいろな形で金沢市が、皆さまが、文化を更新されてきた様子がうかがえて、本当にうれしく思っております。
 私が今日お話ししますのはコンテンツということでしたので、金沢21世紀美術館は既にございますが、それに対して、では今は何がプラスの要素として必要かということについてです。

 現在の美術館は、いろいろな形で周辺のコミッションワークも拡大して、隣接するしいのき迎賓館、石川四高記念文化交流館、そして新しくできた国立工芸館との関係で非常にいいバランスを持って今、ここにございます。
 これは入場者です。開館時に1年間で入場者150万人、そして新幹線開通後2015年、過去最高が2018年で250万人の方が小さな美術館に訪れたということです。先だって東京国立博物館の方がお見えになって、自分のところは2年前に最高の260万人の入場を獲得したと。金沢21世紀美術館のメインギャラリーは2000m2、そして市民ギャラリーは1500m2です。東京国立博物館は、その3倍、4倍の面積がございます。それに対して同じだけの方たちが訪れている。ある意味で今はコロナで言ってはならない言葉なのですが、いかに密であったか。その状況は、市民の方、小さいお子さまをお連れの若いお母さんからは、ちょっと気が引けてしまうとおっしゃる声も聞いております。
 そのようなこともあり、今まで定常的に行っていたギャラリーツアー、市民の方の特別なギャラリーツアーも全部ストップしているという状況が今はございます。コロナ後にまたお客さまが回復したときに、何か改善の手を打って、元々市民の方たちのいろいろな形の教育、そして新しい文化の振興にまず寄与するということがこの美術館の使命ですので、そういう本来の姿を取り戻すためにどうすればいいのかということを今、模索中です。

 ここで、一つのところに集中しない、先ほどコ・クリエーションという言葉も佐々木先生がおっしゃってくれたのですが、エコロジー、関係性を持つということについて。まちの中心にこれだけ文化を中心としたエコロジカルな施設が豊かな形で展開している都市は他にはございません。そういう意味で国立工芸館、谷口吉郎・吉生記念金沢建築館、県立美術館、鈴木大拙館で、この金沢21世紀美術館が対象としている時代、あるいはそのコンテンツは異なっていても文化ということでどのようにつながっているのかという、そのつながりを見える化していくということが非常に重要なのではないかということを考えました。これもコ・クリエーション、コ・ビーイングという、これからの金沢をけん引していく重要なキーワードの一つではないかと考えています。

 では現代アートと哲学がどうつながっているのかと考えたときに、鈴木大拙の弟子だったお一人がこのジョン・ケージです。ジョン・ケージは1960年代にニューヨークを中心としてフルクサス、現代アート、そしてパフォーマンス、音楽をつなげた現代アートのマスター、そういう中心となる人物と言っていい。その方が大きく薫陶を受けたのが鈴木大拙先生です。フルクサス、絶えず流れていく、そして非物質的なものから作品をつくっていくという考え方は全て鈴木先生から来ております。こういう関係を見える化していくことが非常に重要ではないか。西田幾多郎先生、鈴木大拙先生という日本の哲学をつくった中核がこの場所から出てきている、そういうことも含めて見える化していく必要があるのではないか。つまりいろいろなジャンルの相互共生、相互理解をどうやってこの文化施設のエコロジーを通じて出していけるのかということは、一つ大きな課題なのではないかと考えております。

 若い方、ご年配の方、年齢を問わず皆さんここに立ち止まって時間を過ごしていただいています。先ほどコロナのときに人間の一つの在り方、内省を求めていく、そういう傾向があるというご発言がありましたけれどもそのとおりで、鈴木大拙館の思索空間とタレルの部屋というのは非常に類似しております。単純に芸術、工芸だけではなく建築、デザイン、ファッション、そして生活の全て、ランドスケープも含めて一つの物差しで考えていく。


 これは西田幾多郎先生です。私が金沢に戻ってまいりまして大きく違ったところは、サステナビリティに向けてのSDGsなども含めた一つの動きだと思います。そういうところで文化に何ができるのか、文化施設に何ができるのかといったときに、多様性、新しいエコロジー、つながりをつくっていく場所、さまざまなコラボレーション、コ・クリエーションがつくられていくということに寄与することが非常に重要ではないかと考えました。
 「まちに開かれた公園のような美術館」は、既にいろいろな美術館に模倣されているコピーにもなってしまっている言葉なのですが、金沢が発祥となっております。アートの民主化、デモクラシー、そして先ほどいろいろお話があったダイバーシティ(多様性)ですね。この多様性は工芸、アート、建築、そしてファッション、さまざまなものを結んでいくという多様性にも関わっています。もう一つはデベロップメント。工業大学、美大も含めて、今いろいろな新しいテクノロジーやメディアを使いこなして、表現に使っていくアーティストがおります。そういうことも含めて未来への志向をどう見せるのか。同時にお互いがつながっている、その相互作用と相互共生、インターディペンデンスという言葉をどのようにうまく体現していくのかといったようなことが、金沢の金沢らしさというところの一つのコンテンツ、内容になっていくのではないかと考えています。

 これは金沢21世紀美術館の話なのですが、今年度はコロナのときに作家はどう過ごしたのかという日常の見直しがテーマとなっています。2024年の20周年記念に向けて、三つのステップをつくりました。来年は過去、歴史、伝統からどのように学んで現在を考え、これを未来とつなげていくのかという歴史横断(トランスヒストリカル)が一つのテーマになっています。
 その次の年、先ほど百工比照という言葉もありましたが、この前田の一つの文化を継承して、日本中から世界中から新しいテクノロジー、新しい表現の可能性をもたらす情報や、マテリアルといったようなものを集めてくる、それを体現しているさまざまなクリエーションを見せていくという、現在の百工比照が2023年のテーマです。
 2024年は、新しいエコロジーとアート。今、コ・ビーイングという言葉は非常に重要になってきていて、人間だけではなく動物や植物、そして物、情報といったようなものをどのように新しく組みかえていくのか、マルチヒューマニティ、複数のヒューマニティについての検討が必要なのではないか、これは人文学の問題としても大きな問題となっています。こういうことを発信していく一つの文化都市として金沢があり、そしてその一つの小さな声として金沢21世紀美術館がありたいと考えております。

 分館の必要性、これは回遊性の問題で、今ご存じのように多くの観光客の方は、近江町市場に行かれる方もいますが、金沢21世紀美術館に行かれた後、兼六園に、そしてひがし茶屋街の方に抜けていかれます。商店街になかなか人に流れていかない、そういう一つの流れになっています。分館ができることによってこれらが創出されていく。今、金沢21世紀美術館においては非常に素晴らしいコミッションを含めて大型コレクションがございますが、それを活用できる場所が、展示面積が2000m2ということもあってある程度限られてしまっている、それは非常にもったいないことだと考えています。
 出会いの機会の創出、人と人、人とまち、人とものというような意味でこの分館があれば非常によろしいのではないかと考えております。いろいろな回遊性の可能性を考えるべきではないかと。鈴木大拙館など、先ほど申し上げた幾つかのエコロジカルな施設をつないでいくという考え方です。例えば分館がどこにあればということで、駅前にあった場合、「あ、21世紀美術館の分館がある」となって、ここでいろいろな情報を得て、3方向に向かっていくという形で、いろいろな途中の動線をつくり直していくことは可能なのではないか。まちへの動線の出発点として、シンボリックな存在を創出していくということがございます。
 その次に広坂、金沢広坂合同庁舎の辺りということで想像していただければと思いますが、ここは非常に魅力的な場所でして、文化ゾーン、歴史ゾーンの多様な混合が可能になってくる、つまり、ここから歩いて10分ほどずつの歩行によって、いろいろなゾーンに立ち止まって楽しむことができる、ここでいろいろな方向の転換を楽しむことができるという、回遊性の多様性、分岐点ができてまいります。そのようなことで非常に魅力的な展開ができるのではないかと考えます。


 香林坊に開館した場合、これは大和の前辺りというイメージなのですが、なかなか商店街に向けて皆さん足が向かないということがあります。今は若い方たちが非常に頑張っていらっしゃるので、KAMUの分館もいろいろな形で点在しはじめています。そういう若い人たちの力をどうやって生かしていくのかという意味においては、ここにできるということは非常に魅力的な分散の一つの可能性になっていくと考えます。片町の活性化、金沢建築館に向けての道にもつながっていきやすいかと考えております。

 皆さん私よりはるかによくご存じだと思いますので、この青線を見ていただければと思います。とにかく歩いていただくということと、歩きながらまちの楽しさを発見していただくということをどうやって一つの点と点との間で考えていただくのか。この分館が多様性をもたらしてくれるのではないかと考えています。
 この回遊性の変化ということで、新しくできた場所を赤にしてみました。各美術館というのは、回遊性を高めるという意味において非常に重要なコンテンツであると思います。つまり、エコロジカルな考え方の基本にありますが、既にある資本をどうやってアクティベートしていくか、生かしていくのか、それをつなぐためにはもう一つどういう点があればそれがお互いに生きるのかというエンジェンダー、発生させる、価値を発生させるという考え方がございます。そのようなことを頭に置きながらこれを見ていただければと思います。


 KAMUの林田堅太郎さんという若い方がやっていらして、回遊性を高めるために商店街の中にさまざまな場所を工夫してつくってくださっています。これが周辺のギャラリーとそれからKAMUという、文化やショッピングを楽しみたい方たちのためのアテンドマップになっております。

 これは観光客の皆さんがどのように訪れるのかというグラフですが、兼六園がトップ、茶屋街がセカンド、近江町市場がサードになっており、金沢21世紀美術館は4番目になっております。上のグラフは10代、20代になっています。つまり、いかに金沢21世紀美術館に訪れる若い方の比率が高いかということにもなります。若い方が頑張っていろいろお店を出していらっしゃる茶屋街の新しいレストラン、あるいは片町のようなところとつないでいけると非常によろしいかなと思ったりもします。

 これは佐々木先生にいろいろご協力いただいて、最初にお調べいただいたと伺っております。こういう投資の経済波及効果を調べていただいたもので、ただ美術館に入場券でおりてくるお金だけではなく、その周辺の経済効果はこのようにあるということです。雇用ということも非常に重要になってくる。雇用に関して先ほど外来のいろいろな方がいらして金沢に刺激を与えてくれるというお話がございましたが、そういう人材も呼び込めると考えております。

 先ほどのコレクションは、皆さんご覧になっていただいた方も、「え、まだこんなの見たことない」とおっしゃる方もいらっしゃると思いますが、これは一度か二度は展示しております。ただ、大型ですのでこういったようなものを、分館ができて例えば半月や半年など長期に置いておけると、「あ、今、金沢はこれを出している、分館で見られる、これを目指そう」となります。


 今後大型コレクションをつくっていくときに、新しいコミッション、つまり新しい名物を生み出していける場所を確保できると、それを数カ月、長期の展示に置いて、皆さんが金沢に来る一つの新しい楽しみ、ゴールとして見ていただくことができるのではないかと考えております。


 未来の金沢へということで、新しい「こまるびぃ」ができて、「おおまるびぃ」と一緒になってこのまちをいろいろな形で結び付けてくれたらと考えております。来年は国立工芸館、そして県立美術館とのコラボを考えております。どのようなコラボが発表されるか楽しみにしていただければと思います。長くなりましたが、私の発表を終わります。ありがとうございます。

(福光) コレクションというのは何点あるのですか。

(長谷川) コレクションはトータルで大体4000点ございますが、そのうち、いわゆる美術作品という形状を持っているのが1067点です。あとは紙やドローイングなどデザインのコレクションでありまして、これが3000点近くございます。大型インスタレーションがコミッションで、うちだけのためにつくられたものもあるのでやはりそれを生かしたい。今後とも先ほど見ていただいたような新しい作家が出てまいりますので、やはりどんどん更新していきたい。その可能性として新しい場所があればと考えています。

(福光) あまり詳しい話でなくてもいいのですが、「こまるびぃ」とおっしゃった、その「こ」というのは小さいという小か子どもの子か分かりませんが、何坪くらいあったらいいのですか。

(長谷川) それはもう大きければ大きいほど、「おおまるびぃ」と同じくらいでもいいかなと思ったりもしております。5000uぐらいあればと。

(福光) 5000u。

(長谷川) ええ。あればいいかなと思っております。「おおまるびぃ」の方は交流機能があって、展示室本体は2000u(展示室)と1500u(市民ギャラリー)で3500uでございます。先ほどの大型インスタレーションと皆さまが集まれる場所を加えますと、例えば5000坪や6000坪、実際にあると、十分に目的は果たせるかなと思ってちょっと控えめにお話ししておきます。

(福光) もちろん金沢市の正式なプロジェクトにまだなっていない話ですが、非常に重要な構想です。20周年はあと3年、4年?

(長谷川) はい。来年、再来年、その先(2024年)でございます。二十歳になります。

(福光) 20周年のときにもう存在していればいいのか、そのときから始まるのか分かりませんけれども、重要なお話だと思って聞かせていただきました。
 しばらくディスカッションをしたいと思います。三つの文化装置が提案されているわけですが、まずパネリストの皆さん同士で一回やりとりをお願いします。川本館長から他の方に対して質問なり感想なりがあればどうぞ。

(川本) まず金沢21世紀美術館の話ですね。この分館の話というのは、私は面白いと思うのです。私の工芸の方で言っている話というのは、金沢の持っている、工芸から発する文化や美意識をつくっていくという一つの精神性とか、そういうものが金沢に今、よその都市と違ってあるぞというようなことを根底としてやっています。そのときに、金沢21世紀美術館というのはもちろん現代美術をして現在を起点に未来へ向かって突き進んでいっておられるわけで、現在というものを非常に標ぼうされていると。そのときに一つの観点としては、インターナショナルの意味での現代美術という一つのプレゼンの仕方というものと、その金沢が持っている文化性というものを背景とした現代美術の発信の仕方もあるのではないかと思ったりします。分館をつくられるとなると、そのときにそういうことも一つ意識をされて、「金沢ならではの現代美術という一つの表現はこういうところにもあるのだな」というようなことが分かると、これはある意味では現在のこれからの工芸というものに対しても、いろいろなヒントを与えてくれます。工芸も今、立ち止まっているわけではなく、どんどん、どんどん、前へ進んでおります。やはりそのためには同じ金沢の中にある、現代を標ぼうしているところとうまく連関すれば、より一層、金沢の文化の厚みが厚くなるのではないかと思っています。

(福光) 先日、水野先生の建築記念館の関係のパネルディスカッションがございまして、そのときに改めて伝統と創造や伝統と革新を、何となく対立概念として考えてきたけれども、もう融合させた方が創造が生まれるという話にもなっておりまして、逆に言うと金沢21世紀美術館に「金沢ふう」が入ってきたらどうなるかというのは大変面白い話だと思います。それでは、長谷川館長から他の方へ何かありましたら。

(長谷川) はい。いずれも非常に重要なコンテンツのご提案だったと思います。先ほどのエンジェンダー、あるものをどうやって見える化していくか、発生させていくかという言葉の重要性、これは資本主義でやってきたプロデュース、プロダクションといったような言葉に代わる言葉だと考えております。
 そういう意味で、三谷さんがやっていらっしゃる町家の活用について、私は本当にびっくりしたのですが、すごく素敵なレストランがいっぱいできていて非常にシックなのです。その一種の見た目の簡素さと歴史のあるエレガントという部分と、それから中にあるコンテンツというか中にあるサービスのレベルの高さが素晴らしいと思ったので、本当にそこがアーティストやいろいろなクリエーター、thinkerと呼んでいるのですが、考える人たちをインスパイアしていく場所としてプラットフォームになっていくというのは、私はすごく重要なお考えだと思ってちょっとどきどきしながら聞いていました。
 金沢21世紀美術館も、本当は生み出す場所としてアーティストに滞在していただきたいなと思っているのですが、ホテル住まいなのです。やはりすごくかわいそうで、「町家などに住めないのか」とかよく聞かれるそうなのですが、そういうところでちょっと金沢21世紀美術館も参加させていただければうれしいなと思って、美大のゲストや他のゲストなどとも交流ができるのではないかと考えました。本当に素晴らしいと思います。
 もう一つの工芸のセンターなのですが、今、例えば「工芸的なるもの」の再定義化がすごい勢いで進んでいると思います。美術工芸というものの他に、「工芸的なるもの」とは何なのかということを、できているプロダクト、物の背後にあるコトや情報と一緒に見せていくことは非常に重要だと思います。手仕事で今までなさっていたところから、新しいCADの技術やAIを使って、クリエーターのアイデアを自在に実現していくという新しい工芸の在り方。ただ、そのテクスチャーやクオリティ、感覚は手仕事と匹敵するようなものまで突き詰めたい。そのことによって逆に言うと金沢クオリティが世界中に広がっていく一つの入口になるのではないかと思います。今は情報ということが非常に重要になってまいりますので、物を見せると同時に情報を見せるというセンターの意味というのは非常に重要かなと思いました。

(福光) 工芸に付帯する情報を見せるというのは、もう少し分かりやすく言うとどういうことでしょうか。

(長谷川) この前学会で発表させていただいたのですが、例えば非常に素晴らしい織りの技法があったとすると、その技法の織りの状態をそのままテーブルのテクスチャーに転換するといったようなことができるのです。それは全部情報をスキャンして読み取るのですが、木製の木の上でその織物の表面を作ることができる。つまり、今まで織物だけだった表面が、木の手触りに変化することによって新しい意匠が生まれてくるといったようなことです。逆に言うとそのスキャンの技術でCADの技術、3Dプリンターの技術といったようなものも含めて、例えばある動物が動いている様子とか、ある花が開いていく様子というものをAIが作って、そのAIがその花の開いていくさまを一つの形として作ったとき、それは新しい形として生まれるのですが、最終的なところは例えば職人さん、アーティストの手仕事で仕上げていく。でも今までなかったような形が現れますよね。だからそういう意味でさまざまな試みが可能になってくると思います。
 今、若い方たちは結構そういう新しい可能性に夢中になっていて、美大の工芸科を受けたいという若い方も非常に多いと聞いています。それは手に職ということもありますが、いろいろな可能性を今、試せる場所としてこの金沢を選んでいらっしゃるのではないかと思ったりもいたしました。

(福光) 長谷川館長の今のお考えですと、工芸というのはすごく広い話になるのですけれども、川本館長どうですか。

(川本) 工芸というのは何かと聞かれたときになかなか説明が難しいところがあるのです。現代美術も含めて一般的にアートといわれる部分から、本当に伝統工芸の技を使ってやるという世界、手工芸といわれる手芸の世界、そういうところまで工芸という一つの概念が広がっています。ではこの金沢の工芸は一体何なのかというと、そこで私が言っているのは、美術工芸という一つの起点があるということ。それに対してこれから現代というものが進んでいく中で、テクノロジーなどそういうものを使って、手わざでできるものと、手わざではできないもの、だけれどもテクノロジーではできない手わざというのは無限にありますので、その辺のところをうまく、ある意味では作家としてすみ分けをしていく必要がどこか出てくると思います。
 今の話をお聞きしていると、私は金沢21世紀美術館の分館と工芸センターは同じところに共存した方がいいのではないかと今思ったのです。例えば一つの館の中に入ってフロアの中で分かれていると、一つのその中で工芸と現代美術を見てくれるので、金沢の目指す工芸の範囲というのも、なぜここが共存しているのかというのも一つの証になるのではないかという気はします。

(福光) なるほど。それもあり得るなと思って先ほどからお聞きしています。ちょうど向こうに大樋長左衛門さんに来ていただいているのですが、こういう話について一言お願いします、要するに工芸の範囲、新しいテクノロジーとどうするかということですね。

(大樋) やはり世代で受け止め方が全く違うと思います。金沢21世紀美術館を生まれたときから見てきた人たちに工芸と言っても多分分からないかもしれないし、その人たちには古い良さを教えていくべきかもしれないですし、古さのことしか知らない人には現代性を教えると、未来が見えると思います。だからいろいろなジャンルの人たちがどういう方向から見ても、何か満たされているものが必ずあるというのが一番理想的な気がして今、聞いていました。

(福光) それは、大樋焼だとどういうことになりますかね。

(大樋) 京都と金沢で絶対に違うのは、京都というのは不変というか、いつの時代に何があっても変わらずにそのままいるという人たちがかなり多いと思います。でも金沢は、川本館長が先ほど説明されていたように、前田家からそうやって始まったときに、あれは実は全部アップデートなのです。常に京都というのを意識していますから、でも尊敬しながら意識しているので、やはり現代アートを見ている工芸というのはすごく金沢らしいのではないかなと。昔と今も変わらないような気がして聞いておりました。

(福光) ありがとうございました。だんだん議論らしく面白くなってきまして、三谷さんは何かお二人にご意見や質問などあれば。

(三谷) 例えば、工芸の中でも現在再現ができない、どうやって作ったのかよく分からないような工芸は結構あるような気がするのですが、川本さん、そういうものを例えば探求していくというのは、私はそういうのが好きなのですが、そのような可能性はあるのかなと思いながら聞いていました。失われたものを再現できたら面白いだろうなと変なことを考えておりました。

(川本) それでよく言われるのは、奈良の正倉院にある工芸品、ああいうものを例えば今、再現できるかできないかとかいうのがございますよね。だけれども、よく考えてみると何が違うのかというと、まず材料が変わってきている、それからもう一つそれを作るための道具も変わってきている、あるいはなくなってきている。いろいろな意味でその時代に使われていた、もちろん人も、人の思想もそうなのですが、そういうものが全て今の現代とずれてきているので、そのときのことをそのまま再現するということは、それはどのようにできているのかという一つの技術を調べてマスターして、そしてこういう技術がこういうふうに進んできたぞということを把握していくときにはいいなと思うし、それを模写することによって、自分の一つの美意識の在り方とかいろいろなものを検証していって次に進めていくという、一つの土台にするという方法論では私は意味があると思います。そういう意味では、今の時代、材料や道具、周りにあるテクノロジー、人の意識が違うときに、全く同じものをどうしても作りたいということに、逆に言うと意味があるのかどうかというところにクエスチョンマークを私は持っています。

(三谷) 私が聞きたかったのは、昔のなくなった技術そのままの再現ではなくて、何かそういうものからまた次のものを生み出す力が出てくるのではないかと思っているのです。もう一つ、先ほど長谷川さんが言われたように、今のスキャンの技術はものすごくて、例えば包帯に巻かれたままのミイラをスキャンして手をどかしてみたら、ずっと男性だと思っていたのが女性だったとか、そういうことが実はエジプトであったりしています。また、放射線をぽんと当てて、その反射角度によって、例えば漆なら漆の何の含有量がどうだというのが今は結構分かるようになってきています。そのようなことをうまく使いながら、かつて作ったものそのままではなく、それをうまく加味しながら新しいものを作っていく、そのためのトライアルとしての復元みたいなものは必要なのだろうと思うのですが、目的は復元ではなくて次に行くことであって。

(川本) 分かりました。それなら私も賛成です。それは、各作家も結構やっているのです。焼き物の方(かた)などは特にそうでしょうけれども、昔の例えば天目など、あれは作為と偶然性が重なっているもので、そのとおりは作れないと思いますが、あれがいかにできるかできないかということも、それを新たな一つの現代の美意識として、自分の作品として表現していくための一つの手法を発見するために、あれを自分で一回やってみようと。例えば現代の釉薬などを使いながらそれができるということを自分の技術として確立していくためには、一つの方法論として私は必要なことではないかと思います。特に御社では焼き物をやっておられますよね。

(三谷) はい、ニッコーの方でやっております。ただし、工芸ではなくて工業製品です。

(川本) もちろん工業製品ですけれども、工業製品といえども、いわゆるわれわれの言う手工芸がある程度システム化していってああいう形になってきているわけで、そうするとその元になっているものは手工芸でどこまでのものができて、量産するときにそういう味をきちんとそこに入れてやっていくべきものなのか、そうではなくてもっと量産的な、プラスチックに匹敵するような一つのものを作ろうとするのかによって目指すものも違うと思います。
 ですから、値段などを考えてしまうとそちらへ行ってしまうと思うのだけれども、このごろ御社が作っておられる、例えば非常に手わざのあるような絵付け、雲がふわっと舞っているようなものとか、絞り染めの模様のようなものがプリントされているとか、あれは昔はあのようなものはなくて、そういう一つの新しい現代の表現としてそういうものが入ってきていますから、現在のそういうものと過去のものを融合させていく中で、新しい次への発展がそこに生まれてくるのではないかと思います。

(福光) 佐々木先生、だんだん工芸的生産の話が出てきていると思うのですが、金沢のポジションというのは、プラスチックではなく、手作りだけではなくというちょうどそういう話になってきました。どうぞ。

(佐々木) アーティスト・イン・レジデンスというのは17世紀のフランスやイタリアから始まっていて、ちょうどそのころ実は前田家もやっているのです。アーティザン・イン・レジデンスですね。大樋さんのところの初代もそうですが、都から招いて、それで自由に作品を作らせているというわけです。だからそれを今、復活させるというか新しくするというぐらいのことなのですが。
 それで例えばフランス政府は、京都に持っているヴィラ九条山というものがあって、フランス政府が主にフランスのアーティストを招いて自由に作らせるのです。山の上というか、京都の中でもあまり知られない、ひっそりとしている場所です。だけれども、最近はちょっと変わってきて、京都のアーティザンとコラボをするというプログラムが始まったのです。つまり現代アーティストが、先ほどちょっと素材の話がありましたが、京都の伝統的な素材をどう生かすかという話として作品を、最初からそういうプログラムを準備しているのです。そのため、どういうタイプのアーティスト・イン・レジデンスのプログラムにしていくかというのは、工夫の余地があると。
 私もそれほどあちこちのことを知っているわけではないのですが、例えば京都のヴィラ九条山、それから鴨川に沿ってドイツ政府のヴィラ鴨川があって、そういうところでどのようなことをしているかお調べになったらどうかなと思います。
 ランダムにいきますが、2年前だったでしょうか、国際博物館会議(ICOM)の京都会議がありました。国際博物館会議は、博物館と言うけれどもミュージアムも入っています。世界の代表的なミュージアムのトップたちが集まってきて、これからの美術館、博物館がどうあるべきか、どうあればいいか、すごく熱心に議論します。先ほど再定義という言葉があったのですが、美術館の再定義というのが議論されているのです。例えばルーヴルなどは略奪してきたものがたくさんありますよね。それをいつ返すのかという議論が国際会議をやっていてもずっとあるわけです。
 フランス人はとても利口だから上手にその言葉をつくるのです。これを話しだすと1時間かかってしまうのですが、要は「途上国に任せたら美術品は壊れしまうだろう。うちは民主主義国だし、世界で初めて民主政治を確立している。それでルーヴルという宮殿を美術館にしただろう。だからフランスに任せておけばいい」というような論理なのです。でもコレクションではなくて、やはり例えば現代の「広場」ということが先ほど言われていたと思うのですが、これからの美術館は「広場」だろうと。地球環境問題などいろいろな問題を抱えた人たちが集まってきて、それに対してアーティストが反応していく、そういう「広場」ではないかという話で、これは面白いなと思って、それがいつ再定義としてまとまるかと思ったら結局まだまとまっていないのです。つまり論争が続いています。
 21美のアネックスというのは、先ほどの話はとてもよく分かったのですが、「おおまるびぃとこまるびぃ」とか、「22美」とかいろいろなことがあるのだろうと。工芸センターとリエゾンしたらという話も出たのですが、先ほどのプレゼンの中で私が非常に印象深く思ったのは、ジョン・ケージと大拙です。ああそうかと思いました。つまり、新しい芸術作品のためにはテクノロジーもそうなのだけれども、やはり哲学思想が大事なのですよね。そうすると、金沢の地というのは、今は鈴木大拙館というのは素晴らしい一つの作品になっているから、恐らく日本人よりも外国の人がたくさん訪れていますよね。それは禅というものを通じて、鈴木大拙の作品は英語で書かれているものが半分ぐらいあるから、そちらの方の見せ方というか、芸術の精神性みたいな議論ですかね。これは何か「こまるびぃ」の売りになるのかなとか。

(長谷川) はい、そういったことを思っています。

(佐々木) それを改めて思いました。多分もう一つのコンテンツが新歌劇座ですよね。大拙をテーマにしたオペラを制作中ですが、去年の秋、それの途中まで歌劇座で見せてもらいました。中嶋彰子さんというウィーンのフォルクスオーパーで歌っているソプラノ歌手がいます。彼女も唱ってくれて素晴らしかった、オペラ座とミュージアムが一つのコンプレックスになるというか、そういうのもありかなと思ったりして聞いていました。
 それから工芸センターのところなのですが、やはり今、工芸がすごく変わっている。大樋長左衛門さんと一緒に2年前ですかね、ソウルのシンポジウムに招かれて行って、そこにスペインのロエベの創業者の孫娘が来ていて、トップを務めているロエベの文化財団が国際コンペを始めて高額の賞を出しています。日本の作家も賞を受けていますけれども、やはり大きな賞を出せるかどうかが大事だと思います。だから金沢の名を冠した新しい国際工芸大賞を設置しないと芯が通らないと思いますので、そのあたりを福光さんにまとめてもらおうかなと思って発言しました。

(福光) シナリオによると佐々木先生がまとめることになっておりますが(笑)。
今日、セッション1でこういう文化装置の話がたくさん出ていて、先ほど大樋さんはアップデートの連続だという表現をされて、結局伝統は革新の連続だということになるわけですが、基本的には「金沢ふう」というのはそういうことだろうと思います。それをいかに臆せずにやっていくかというのが京都と違うところだろうと思いますし、そういう意味で工芸も変わっていくだろうし、当然、現代アートがその中から精神性のところへ戻ってどこか深さが出てきたりするという時代でもあろうかと思います。それから、まちの中の町家というのは良いものであれば非常に活用できるものであって、それから町家は木でできているというのがまた非常に大きな特徴です。そのようにいくと、やはり絶えず変化を繰り返しながら金沢というまちが進んでいくということが「金沢ふう」のセオリーだろうと思いますので、ポストコロナになれば、さらにそれをどんどんやるということに多分なっていくのだろうと思います。そういう意味で、今紹介していただいた文化装置が適切な跡地にはまっていくと素晴らしいなと思って聞いていました。
 リモートやワーケーションなど、いろいろな考え方がコロナで出ていますが、金沢の場合はこのまちの大きさからいっても、コロナが収束してからの話ですが、やはり人と人が会うことで創造が生まれるということがまさに基本のまちだと思うので、世界的に金沢とはそういうまちだというふうに、いかにうまく構造を整えながらアピールしていくことが必要かということではあろうと思います。やはり創造都市というものはリモートではできないですね。そこが重要なところで、そういう意味では金沢がこれまで整備してきた、食文化も含めたインフラが、これからますます大きく役に立ってくるという時代が来ているのだろうと思ってポストコロナを楽しみにしたいと思います。
 セッション1をこれで終わらせていただきます。あとはまた明日の全体会議でもいろいろご議論いただきますよう、お願いいたします。ありがとうございました。パネリストに拍手をお願いします。



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第一日目 7月15日

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