第8回金沢創造都市会議

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全体会議

全体会議 12月11日

議長 大内 浩氏(芝浦工業大学名誉教授)







(福光) おはようございます。2日目の朝というのはなかなか目が覚めませんが、頭の中は昨日の大混乱になっておりますので、その混乱のエネルギーをぜひこの全体会議でぶつけていただきたいと思います。今日は公務ご多用の中、山野市長にお越しいただきましてありがとうございます。また、今日だけしか来ていただけなかったのですが、21世紀美術館の秋元館長、ありがとうございます。円卓に若い実行委員の方にも今日は入っていただきました。浦さん、浅田さん、よろしくお願いいたします。
 今日は議長を大内先生にお願いします。昨日のディスカッションを受けて、何らかの具体的なアクションプランをここで実を結ばせて、1年、取り組むということになります。場合によっては、市長さんをはじめ、市の方が入っていただかないとできないこと、あるいは県の話などいろいろありますが、課題としては少しはっきりさせていきたいと思いますので、熱心なディスカッションのほどをよろしくお願いいたします。
 それでは、昨日のまとめから大内議長にお願いいたします。
 

(大内)昨日は5時間を超える議論をして、例えば観光都市ではなく、文化都市を目指すべきだという議論に対して、いや、それは二律背反ではなくて、両方ある。観光都市であるということが、場合によっては文化都市を目指すということに対して、場合によってはバリアが弊害になったり、ぶつかったりする。では、それをどう乗り越えていくのかを、今日は議論しなくてはいけないと思います。
 後ほど、市長からもご紹介があるかもしれませんが、金沢市は文化振興条例を定めました。それでは具体的に何をどうするかというメニューを、この円卓も含めて皆さんからご提案する必要があります。昨日は文化庁からは審議官もおいでいただいて、文化庁はむしろ、金沢あるいは石川県の各市町村から良いアイデアが出てくることを待っています。良いアイデアが出れば、国としても応援しますよという姿勢にありますので、今日はここで、2020年に向けてどういうプログラムを作ったらいいかということについて議論をしたいと思います。
 山野市長、秋元館長、また聴衆の方にも昨日会議に出られなかった方もいると思いますので、各セッションからコーディネーターの方に 簡単におさらいをしていただきたいと思います。
最初に佐々木先生から、「文化プログラムのデッサン」というタイトルでよろしくお願いします。

セッション@より

(佐々木) セッション@は、磯谷さん、近藤さん、吉本さん、他のところの都市の人たちの超豪華メンバーということになりました。この分野のエキスパートがそろったということです。
(以下スライド併用)

 まず、審議官にお願いしたのは、これまでの青柳長官の提言を受けて、どのように進めるかという話です。まず、「オリンピック文化プログラムによって日本を文化大国に」と、これは規定の文化庁の第4次基本方針に書いてあって閣議決定されているので、これで予算を取ろうということになっていて、今その佳境に入っているわけです。
 13億円のリーディングプロジェクトは、政策レビューに引っ掛かってしまったので、次年度は難しいのですが、既存の予算の枠の中で、例えば今、文化庁としては、東京以外の地方で文化プログラムを推進するためにコミッショナーを置く。これは試行的に、取りあえず七つの地域で考えています。府県と政令市がその予算の対象になります。ですから、全地域が対象ではないので、先行的にはここを狙ってきているところは、文化プログラム担当課を置いてプレッシャーをかけてきています。
 文字通り、文化政策、文化プログラムを単に芸術文化分野の振興だけではなく、地域再生、暮らしの向上、幅広く、昨日の話では社会的価値・経済的価値、これにつなげる人物を地域に置けるかどうかというところにポイントを置いています。
 それから、2020年に向けて世界工芸サミットを北陸で開催したいという、これも長官の思いがあって、マスコミにも取り上げられています。これについては、北陸だけを対象にするわけではありませんが、少なくとも工芸の集積があって、発展を見込める所に世界的拠点をネットワーク型で置く。それは地元の熱意が強い所にハブが置かれるだろうということで、提案を待っているという段階です。それを文化庁で調整していくということが言われました。
「創造都市ネットワークをアジアに展開する」というのは、「創造都市ネットワーク日本」は今、金沢市が代表都市ですので、今年度いっぱいではありますが、そういう代表経験都市がどのように積極的に動くかということが問われています。今、横浜と金沢だけですから、次は新潟というのは内定していますが、都市の積極的な姿勢が問われてきているという話が出ました。
 日程的には「スポーツ・文化・ワールド・フォーラム」が来年10月に決まっています。京都と東京という形で、これははっきりしていますが、それ以下の所は、これからどんどんいろいろなものが入ってきます。金沢市は2018年の「東アジア文化都市」に立候補するという内々の話を聞いていますが、これもさらに激戦になるでしょう。来年は奈良で、その次は京都ですから、かなり力があるところが並んでくるということになります。

 ロンドンオリンピック文化プログラムから日本や金沢がどう学ぶかは、吉本さんに後で補足していただきます。 非常にインパクトのあるキーワードが並んでおり、私にとって印象深かったのは、ロンドンの文化プログラムというのは、アーツカウンシルというイギリス全土をカバーしている団体があるのです。でも、それは地方分権的に四つあるわけです。例えばスコットランドというのはCreative Scotlandという国の組織があって、ユネスコの創造都市のメンバーであるエディンバラ、グラスゴーが中心になって担っているということなので、金沢はそれらの都市から学ぶということが十分できます。

 近藤誠一さんは、いつものように深い見識でお話しいただいて、日本の奥深い美意識や自然観を世界にきちんと伝える。そういう意味でいくと、工芸や人間国宝をたくさん持っている、この地の役割は重要である。近藤さんの思いとしては、「匠ビレッジ」構想というのをフランスの幾つかの地域と提携して進めているという話がありましたので、工芸や職人技の世界発信ということになるでしょう。
 それから、2015年5月にユネスコ創造都市ネットワークの世界会議があり、そこで私が提唱し、山野市長もそれに呼応していただいた「ユネスコ創造都市研究センター」については、韓国、中国も同様の意欲があるので、役割分担が必要になるだろうという話でした。
 これを受けて、例えばユネスコの創造都市は七つのジャンルがあります。金沢市は工芸が入ったときに、世界で最初の工芸分野の創造都市なので、この分野を中心にした研究センターを置くというのは一つのアイデアかと思います。であれば、隣国とバッティングする要素は少ないわけです。地元にはそれに関わる幾つかの研究領域もあり、国連のユニットもあります。

 文化振興条例について検討が開始されるということで、あえて私の意見を申し述べたいのですが、例えば県が条例をつくったから市がつくるというのは非常に受け身な話なのです。それで、日本の創造都市ネットワークに加盟している都市の中で、積極的な都市はこういう構えになっています。
 例えば京都市は、「文化芸術都市創生条例」という名前の条例を持っており、2007年にこれを改定しています。文化芸術都市創生審議会があり、創生計画を作って、これを回していくことになります。この事務方としては、副市長に相当する政策官を置いて、全庁体制で行けるようにしています。
 それから高松市は、2012年に「創造都市推進審議会条例」をつくります。そして今、推進審議会は、たまたま私が会長をしているのですが、それに合わせて創造都市推進局をつくっています。これは農業や美術館、スポーツなど横断的にやっています。つまり、全庁体制ということです。高松市の場合は、創造都市推進局の部門ごとの条例として、その下に文化芸術振興条例があるわけです。
 ですから、金沢市が創造都市のトップランナーであるとすれば、体制的にはかなりしっかりしたものをつくって、その中に文化振興条例が一つの専門分野としてあるというのは考え方としてはいいので、何も県がつくったから市がつくるという、受動的な考え方をする必要はないと思います。

(大内)
 吉本さん、もしロンドンのことで補足があればどうぞ。

(吉本) 昨日は金沢がオリンピック文化プログラムに取り組むことについて、もうインバウンドはいいのではないかなど、いろいろ勝手な意見を申し上げました。イギリスの場合は、今、佐々木先生からお話があったように、アーツカウンシルという仕組みがしっかりしていて、なおかつ、スコットランド、イングランド、ウェールズ、北アイルランドというのは、それぞれ別の国だと言われていて、スコットランドにはアーツカウンシルがあって、そこが中心になっていろいろな物事を推進していきました。
 スコットランドのクリエイティブプログラマーという中心になった方にお話を伺ったら、2008年にその方はそのポジションに就いたそうですが、日本は、4年半前ですが、4年前にはもうシニシズムが漂っていました。つまり、芸術で何かできるというような雰囲気はなく、特に芸術関係者にとっては、オリンピックは関係ないというイメージがすごくあったと言っていました。でも、そこでCreative Scotlandのレオニー(Leonie Bell)さんという方がいろいろな方を巻き込んでいって、それで物事ができていったとおっしゃっていました。
 それでも、スコットランドの中のいろいろな自治体ですよね。イギリスと日本は地方行政の仕組みが違うので、一概に参考にできないかもしれませんが、いろいろな小さな市町村も含めて一生懸命に巻き込んだけれど、結局すごく積極的になったのは、エディンバラとグラスゴーの2大都市だけだったとおっしゃっていました。もちろん、小さな都市もいろいろなことをやったのですけれども。
 そういう状況と、今の日本の状況を考えると、こちらの金沢市は、金沢から何かをやろうという声があり、文化庁は大きなフレームがありますが、イギリスはどちらかというとトップダウンで地域に浸透していった感じがするのです。けれども、金沢、あるいは北陸地方であれば新潟市も何かやろうということがあるようですから、地域ごとでボトムアップで、独自でそれぞれの文化プログラムを2020年に向けて展開されるといいのではないかと思いますし、金沢にはぜひリーディング的な役割、旗振りとして全国をリードするようなことを構想し、実現していっていただきたいと思います。

(大内) ありがとうございます。また先に議論できるように入りたいと思います。
 では、セッションAでは「KOGEI新戦略」ということで議論しましたが、宮田さんからよろしくお願いします。

セッションAより

(宮田) 昨日は、工芸を取り巻く3人の先生方にお話しいただきました。
 簡単にどんな話だったかというと、金沢卯建辰山工芸工房で以前から作家の招聘と育成をしてきて、時代が変わってきたので状況や環境の変化に応じた新たな施策を構想しているというお話も頂きました。
 次に、ケイズデザインの原さんからは、工芸と3D技術というところでは、日本は特に断トツであるという話でした。僕はイコール、金沢が断トツなのではないかと感じています。その新たな道具として最先端の3Dテクノロジーなどが入ってきていますが、それを使った、ならではの作品が今、登場しつつあります。

 プロデューサーの視点として、ガレリアポンテの本山さんから、やられているのは新たな才能の発掘と、ギャラリーというのはそもそも作品と共にあるよという話でした。それと、プロデューサーの重要性をお話しいただきました。こうした活動が時代を形成していっているのだなと思いました。
 今回、ローマ字の「KOGEI」というものがテーマになっていますが、ローマ字で書いた意味も幾つかあって、私の友人で、海外でデザインをしている外国人のデザイナーたちが結構いるのですが、例えばこれをちょっと見ていただきたいのです。

 これは茶室のように一瞬見えます。これはデンマークのOeOというライカのデザインなどをしている会社が作ったものです。

 先ほどの部屋の中にあったのはこういうものです。これは日本の工芸技術を使った家具なのです。右下にあるのはライトで、これは豆腐を作ったりする網です。彼らは京都にも実はオフィスを持っていて、日本の工芸作家と相当いろいろなものを作っています。単純にデザイナーがデザインして工芸作家に作ってもらうというのではなくて、一緒に作っているのです。その辺の工芸作家がどう思うかなど、その辺のリサーチもかなりしっかり行って、デザインの押しつけは、やはり職人さんたちは嫌がりますから、このしつらいはどうあるべきかなど、その辺をかなりしっかりやっています。

 実は彼らは、僕が一昨年に1回、金沢に呼んでいまして、鄭秀和さんと一緒に「Made in Japanの新しい可能性」というセミナーを金沢でやらせていただいたこともあります。

 これがデンマークのデザイナーのトーマス・リッケ(Thomas Lykke)さんの例です。

 もう一つの例です。これは石にしか見えないかもしれませんが、真ん中の丸いのが、実はモバイルデバイスです。これはまだ発売になっていないのですが、これはジョージ・アリオラ(George Arriola)という、元Appleのデザイナーがスピンアウトして立ち上げている、iPhoneのようなモバイルデバイスの会社です。

 いろいろな意匠があるのですが、これも実は日本の工芸作家が作っています。これは実はシリコンバレーと日本の伝統工芸が合体した例ですが、彼は今、世界中でこれのプロモーションをやっていて、中はこんな感じになっているのです。
 右にいるのがジョージさんです。この左下がいわゆる内蔵、中身で、中身は台湾で作っています。いわゆるアーキテクチャーの部分はシリコンバレーで作っていて、アセンブリは台湾、そして実際に作るのは日本の工芸なのです。

 こういう例が生まれてきていまして、これはデザインしている風景です。

 このジョージ・アリオーラさんも、実は今年の夏、金沢に来ていまして、実はseccaを見に行きました。seccaの作品をかなりしげしげと見て、「一体これはどうやって作っているのだ」という風景です。

 右は、去年ここに登壇した上町です。たまたまですが、昨日シリコンバレーのジャパン・ソサエティーで彼は講演をしていて、写真を送ってくれたのです。そこで、やはり日本のものづくりについて言及しました。
 ちょっと注目していただきたいのは下の赤いところなのですが、「shokunin(職人)」「monozukuri(ものづくり)」と呼んでいるのです。先ほどのトーマスさんもジョージさんも、普通に「Kogei(工芸)」と僕に言うのです。僕は最初、全然意識せずに聞いていたのですが、「あれ、何か日本語っぽいな」と思ったら、海外のデザイナーは「Kogei」は当たり前に使っているそうです。グローバルスタンダードの言葉になりつつあるのです。
 それで今回のテーマも「KOGEI」で行こうという話があったのですが、本当にこの言葉は、「kawaii」「mottainai」と同じように、グローバルスタンダードになるのではないかと思っています。
 昨日、彼が、ここでもseccaの作品をかなりフィーチャーして、日本でこんなことが行われているとプレゼンテーションしてくれていたらしいのです。昨日、原さんが日本の3Dプラス工芸というのは、世界で断トツだと言っておられましたが、本当にたまたま昨日、この会議の最中だったのですが、Facebookのメッセンジャーで送ってきてくれたのです。
 こんなことを考えていると、金沢は工芸の場であるなと思います。その場そのものが今後はメディアになっていくのだろうなと思います。

 僕の得意分野のようなものですが、インターネットが生活インフラとして登場して既に四半世紀もたつのです。こういう有効な新技術は、恐れずにどんどん活用していくべきだと思っています。
 アーティストは作家さんですが、作家さんというのは、僕もものづくりをやっている人間ですが、手仕事やデジタル技術を分け隔てなく最高のクオリティーを目指していくのがアーティストだと思います。作家は生産者ですが、今後、ここにプロデューサーが非常に重要なポジションになっていくでしょう。発信、拡散していくという意味です。この手段として有効なのは、インターネットではないかと考えています。
 そのインターネット以降、物の動き方、売れ方が劇的に変わったのです。インターネットで、人にその情報を伝達すると、最初にそこにファーストフォロワーが付くようになりました。この人たちが、これはいい、これはいいという形でどんどんプロモーションしてくれる時代にインターネットが変えていったと思います。ここでどんどん情報が拡散していくと、そこにマーケット、消費者が生まれるというのが現代の物の動き方になりました。
 そこで何をしたらいいかというと、とにかく最良の技法で考えて、最高の品質で作って、最適な方法で売っていく。これは当たり前のシンプルなことなのですが、これを新しいメディアを使ってしっかりやっていくことが、この場がメディアになっていくという形になっていくのではないかと感じました。

(大内) ありがとうございます。
 川本さん、原さん、本山さん。一言、補足でもおありでしたらどうぞ。

(原) seccaさんの仕事をお手伝いしたのですが、アートと、ここでは「職人」と書いて「アーティザン」(artisan)という言い方をしています。3Dをモデリングしてデータを作るスタッフを、うちは「3Dアーティザン」と呼んでいるのですが、道具が変わっただけで、職人というところでは、トレーニングする時間も非常にかかりますし、技術も必要です。その意味では、日本は非常に3Dを使った、プラス工芸あるいはアートは、すごく進んでいるという認識を持っています。
 少し話がそれるかもしれませんが、3Dプリンター自体は、日本人が発明したということは非常に有名な話です。発明はしたけれども、商売として成功させてしまったのはアメリカです。ただ、たまたまアメリカは工業利用で伸びてきているだけであって、文化はまだ浅いです。文化利用に関して着目したのは、実はヨーロッパだったのですが、それより先駆けて、日本のアーティストや工芸の分野で、一歩、半歩ぐらいですか、進んでいるという状況は、日本人としても非常にうれしいです。各国を3D関係の仕事で回っていても、われわれの事例を示すと、反応がすごくいいのです。
 ですから、こういう分野を伸ばしていくのは非常に重要だと思うのですが、ただ、なかなか技術やテクノロジーを紹介する機会がなく、あるいは、今回は宮田さんのようなプロデューサーがいらっしゃったのでseccaさんとコンタクトが取れましたけれども、なかなか接点が持てないというのが現実だと認識しています。この部分がネットワークに非常にスムーズに行くようになると、日本にはわれわれのようなテクノロジストも多いので、その融合が重要ではないかと感じています。

(川本) 今の「Kogei」がグローバルスタンダードになってきたという話をお聞きしました。日本でも「クラフト」というのは、「工芸」を訳すときに必ず使われます。そうすると、その「クラフト」という一つのイメージから判断するのと、われわれが日本の「工芸」の中に含まれている工芸という一つの意味合いと、やはりずれを感覚的にも感じています。ここはクラフト創造都市ということで、「クラフト」という名前が出ていますが、金沢の工芸というのはクラフトだけでは表現できません。
 やはり、それは工芸として、グローバルスタンダードとして理解してもらえるようなことが必要ではないかということもありまして、そういうことも起因しているのだと思うのです。例えば日本伝統工芸展も「Kogei」という名前に改めましたし、私のところの卯辰山工芸工房も、以前は「UTATUYAMA Craft Workshop」だったのです。館長になったときに「Craft Workshopっておかしいな」と思って、時の流れもあったものですから、ちょうど2013年に新しいパンフレットを作ったときに「Kogei Kobo」に置き換えたのです。
 もう一つは、金沢市に外国の方が来られたときにでも、「金沢のクラフトワークショップってどこですか」と言われても、恐らく皆さんはご存じない。「工芸工房」と言ってもらった方がいい。そういうこともありますので、そういう意味で、今「Kogei」がそういう形で世界の中で認識されてきたということは、ある意味では非常に喜ばしい状況で、われわれとしては、非常にそういう意味での活動も認識されやすくなったと思いました。

(本山) 昨日のセッションで発表した中で「工芸の多様性」というのがあって、確かに産業として、どちらかというと3Dプリンターを使った工芸、産業工芸のような側面もありますし、一方で、21世紀美術館でやっている工芸未来派や、ギャラリーで発表しているような現代アートの中のカテゴリーの工芸もあると思います。それは産業としての工芸とアートとしての工芸と、それぞれの土俵でまた考えていかなければならないものでもあるかと思います。
 今、大事なのは、アートの工芸でも、世界のアートの文脈の中で、世界水準で評価されて、食べていける作家が金沢から少しですが、出はじめているという状況が生まれていることが非常に重要だと思います。

(秋元) 宮田さんの今の工芸の話は非常に面白くて、工芸を取り巻く言葉の意味が随分変わってきていて、一時、よく分からないときがあったのですが、何となく整理されつつあるのかなという気がします。
 事例の中で宮田さんが、実は「Kogei」は割と世界でも使われ始めていますよという話だったというのは、私も同意します。ちょうど“Japanese Kogei|Future Forward”という展覧会を今、ニューヨークのMuseum of Arts and Designでやっています。それはまさにJapanese Kogeiと付けているのですが、シンポジウムの席でアメリカの方が手を挙げて、「意味がダブっていませんか」と。つまり、Japanese craftというのだったら分かるけれど、Kogeiというフレーズそのものは日本産のものなので、あえて二つ付けているのは間違っているのではないかと、逆にご指摘いただくぐらいになっています。
 ですから、「Kogei」というのがクラフトとは違う、もう少し含みというか、創造的な価値が含まれているフレーズとして流通し始めていて、それが、多分テクノロジーの最先端を行っている方と、アーティザンのような職人を結び付ける魅惑的な言葉になっていたり、もしくは、本山さんが指摘されたような、現代アートとクラフト・手仕事のような、おおよそ今までだったら結び付かないところも結び付けていくような、一種のメディアの役割を担い始めています。
 そして、金沢という場所から何か他に先んじて出ていっているというのは、非常にいいことだと思うのです。ここはぐっと行くというのがいいかなという気がします。

(大内) そうですね。明らかに新しい流れができたし、いいということですね。

(佐々木) 忘れないうちに言っておきたいと思うのです。アートの世界標準との関係でいくと、金沢発の世界標準をつくるという意味では「工芸」という言葉を世界標準にすればいいわけです。
 実は、2週間前に韓国のユネスコネットワーク会議で私がしゃべったときに、ユネスコの七つのジャンルというのは、アジア的ではないと。つまり、これは明らかに西欧の価値観での七つのジャンルだと。だから「クラフト&フォークアート(Crafts & Folk Art)」になっているわけです。しかも、フォークアートが先にあって、後でクラフトを入れているわけです。それは一段低いものなのです。
 そうではなくて、工芸というものはもっとアートなものだ。しかも、最先端の技術も応用されているという形のものが、今のような話で世界標準として認知されるようにしていく。そういうことをユネスコにも訴えていくことが必要なのではないか。
 実は、少し前にパリのケ・ブランリ美術館で民芸というのをやったのです。でも、この民芸の場合は、ケ・ブランリ美術館というのはプリミティブアート(原始美術)なので、まさに現代アートでもないわけで、やっぱり少し低いレベルなのです。
 ですから、民芸でもない工芸というものを、世界のアーツなり、最先端のデザインのところに位置付ける努力というのは、金沢発世界標準として大きいテーマではないかと。

(大内) そうですね。ヨーロッパの文化というのは、もともと王様の文化、宮廷文化だったものを大衆が取り戻すというか、そういう背景があって、だいぶ違います。これも大事な指摘をありがとうございます。また、後ほど戻りたいと思います。
 それでは、第3セッション「金沢文化と世界標準」です。今、工芸という言葉が世界標準にこれからなっていくだろう、既になりつつあるという話もありましたけれども、水野先生から第3セッションをご紹介ください。

(水野) 第3セッションは、第1セッション、第2セッションと違って、金沢市民そのものが、2015年3月14日の新幹線開通を受けて、金沢のまちが変わったのではないか、風景が変わってきたというようなことを、皆さんは感じていると思います。それに対して、2020年、オリンピック・パラリンピック、それから文化プログラムを含めて展開されるときに、金沢は軌道修正なり何なり、どんな方向へ向かっていけばいいのだろうかというようなことがテーマでした。
 変わった風景というのは、皆さんご存じのように、「観光客はよく歩くな」というのがあって、大体、人は3kmぐらいまでは観光地で歩いてしまうというのがよくデータとしてあるのですが、3kmというと、金沢駅からひがしを超えて歩いてしまうということが平気で起こるわけです。ですから、ひがしへ行って、それから兼六園まで歩くと大体3kmです。
 見るということでも、ひがし茶屋街のあの雑踏のような、テーマパーク、ディズニーランドのような感じは、「いやあ、これがひがしの茶屋街なのかね。あの静けさはどこへ行ったのだろうね」というようなことを、みんな感じたわけです。
 近江町市場は買うところなのですが、食べるところになってしまっていて、歩いて食べる文化のようなもの、新しい風景が起こってきて、「これはどうしよう」というようなことがあります。泊まることでもそうです。「あのビジネスホテルは5000円だったのに、何で2万円なんだろう」という話が出ています。そういうことを含めて、風景が変わってきた。これに対してどうしようかというようなことがテーマでした。
 最初にお話しいただいた岡部さんはバルセロナに10年おられまして、実はバルセロナは20%の雇用を観光が支えています。市民の2割は観光で成り立っていて、国際会議がどんどん増えているそうです。金沢でも一生懸命、会議を誘致していますが、会議と一般の観光客、それと何といってもガウディがあります。その観光の勢いは、これから下がることはなく、上がるだろうと言われています。そんな中で、市民生活ができなくなってきた。市場は観光客に占拠されてしまった。ランブラス通りというメーンストリートがあり、これは非常にいい歩行者天国ですが、日用品を売っていたのが、だんだん観光土産品を売っている通りに変わりつつあり、これは困ったものだということがありました。
 それに対して、バルセロナ・モデルを立ち上げていって、観光と市民生活はどう戦うかという、戦いに転じたという話がありました。そのときに大事なのは、まだ結論は出ていないのですが、排除するのではなく、どうにかして共存したいということです。そのために、これからホテルは中心街に建てさせないということを市長さんが政策の一つに掲げたそうです。金沢だと考えられないことですが、そんなことも含めて、観光と市民生活の共存というのは非常に大きな問題なので、これから金沢市民はどうやって戦っていくか、それに注目したいというような発言がありました。
 早川さんからのお話で、非常に印象的なのは、金沢の町家がどんどん減少していくということです。これはヨーロッパもアジアの都市もそうですが、観光都市というものは基本的にそのまちに固有のものをきちんと保存していって、そこでの生活、価値観、美意識、営み、しつらえ、そんなものを見せる場なのに、それをどんどん消去していく。金沢が町家をなくすことは自爆だという話でした。要するにハードウエアだけではなく、ソフトウエアを含めて自爆している現象であり、これを何とかしなければいけないのではないかということです。それも一つの世界標準だという話でした。
 それから川井田さんからは、先ほど吉本さんから紹介いただきましたが、ロンドンでオリンピック・パラリンピックに合わせて、さまざま文化プログラムがあって、その中で「アンリミテッド」というプログラムが紹介されました。障害者にアートに参加してもらい、障害者だからこそ、何か自分のできることに対して非常に力を注ぐ、そういう姿を見て健常者が感動してしまうというシーンがある。バリアフリーを含めてですが、何かいろいろなバリアをどんどんなくすことが世界標準になってくるのではないかということでした。私はその話を聞きながら、言語のバリアフリー、文化のバリアフリー、価値観のバリアフリー、振る舞い方のバリアフリーなど、民族によっていろいろ違うものをできるだけフリーな状態で認めていくことが世界標準の一つではないかと感じました。
 その他にも、多分、安心・安全、分かりやすさ、歩けるまちなど、さまざまな世界標準があると思いますけれども、そのバリアフリーにしても、安心・安全にしても、世界標準とはいえ、世界にモデルがあるわけではなく、金沢が金沢なりに発見していかなければいけないものだろうと。
 例えば金沢は半世紀以来の細街路が屈曲して走っています、そこに用水が入っています。そんな中で、車と人間はどう共存するかというときに、完全に歩道だけをきちんと造ればいいというのではなくて、「狭い道も、車もゆっくり走りながら、人間はゆったり歩こうよ」という雰囲気、ルールをつくっていくことが必要ではないかというようなご提言がありました。そういうことを含めて、金沢モデルをさまざまなシーンでつくっていくことが、どうも金沢の文化であると同時に、世界標準ではないかというお話でした。
 金沢の町家の中で行われている生活スタイル。私もそれに感動して金沢に移住することになったのですが、ある家をお訪ねしたら、お食事をもてなしていただいたのですが、「これは九谷の何とかさんが作ったものですよ」「これは輪島なのですけれども」と言って、道具なり何なりがきちんとしている。そして、奥様がお軸の話と、床の間に生けているお花の話をされて、そして「今、こんなものがおいしい」と言って、野菜や海の料理を出していただいて、おいしく頂きながら、庭には水がまかれていて、灯籠に火が入っている。そういうスペース、道具、会話も含めた営み、こういうワンセットがきちんとそろっているという文化は非常に力強いわけでして、そういう文化をいかに継続しながらいくのか。その文化を金沢に来た人たちは、ほとんど味わっていないのではないかというのがあり、それをどうしたらいいのかというのが、これからの課題だと思います。それは、料亭で補う、お茶席をつくってお茶会で補う、あるいはお花の会で補う、何かの大会で補うなど、いろいろあろうかと思います。
 われわれの建築家の大会で言いますと、いろいろな学会や分科会があったのですが、東山寺院群のお寺を七つ、八つ借りて、そこを分科会の会場にして東山全体がコンベンション空間になりました。金沢が昔やっていたフードピアもそうでして、町中の料理屋や居酒屋の一つ一つが、フードピアの会場です。Foodと風土を合わせて、そこで考えようというプログラムでした。
 そのようにして、まちというものをもう少し生かしながら、金沢の文化も生かしながら、もう少し人々に対して開いていく方法があるのではないかということです。でも、その方法というのは、今のようにわーっと来た量的なものへの対応はなかなか難しい。サービスとしても、これを商品化するのも難しい。なかなか難しいテーマがたくさんあると思いながら、でも、少しずつ挑戦していって金沢モデルをつくっていく必要があるのではないかというのが全体的な意見でした。

(大内) ありがとうございます。
 早川さん、川井田さん、補足がおありですか。

(早川) 私からは金沢の文化について、木造建築の町家を中心とする町並みの保存ですが、もう現状からいくと保存どころではなく、再生を目指さなければいけないのではないか。と言いますのは、新幹線が開業して、多くの観光客の方が金沢のまちを歩きました。私のところに聞こえてくる印象は、「素晴らしい町並みだね」という反面、「思ったよりシャッター街だよね」というような意見があるのです。
 シャッター街とはどういうことかというと、町家はあるのだけれども、駐車場があって町家があって、また駐車場があって、駐車場があってと、人間で言うと歯が抜けてしまったような町並みが散見されます。そういう状況の中で、金沢の文化というのは本当なのかという疑問が起きるわけです。金沢の文化の良さというのは、市民生活に文化が根ざしていて、その裾野が広くて、作家は工芸品や作品をつくりますが、市民の方たちがそういうものにずっと慣れ親しんでいるところが、金沢の文化の力ではないかと思うのです。
 そうしたときに、町家が喪失されていったときに、文化というのはどうなのかと思いまして、提唱したいのは、例えば武蔵からひがしに続く尾張町のあの道路は、国道なのですが、駐車場というのは、まだいいと思うのです。駐車場が、コンクリの建物で埋まってしまったら、もう二度と手は付けられないことになってしまうぞと。まだ駐車場のときはチャンスで、ここを例えば法整備をして、一級国道なのですが、そこにもちゃんと木造建築が建てられるというような法整備を、ぜひとも市と県が共同していただきたい。そういう動きをやらないと、今を逃すと、もう本当に、全国どこにでもある普通のまちになってしまうのではないかと危惧しております。ぜひとも、そのところをくんでいただきたいと思います。

(大内) そうですね。後で具体的なことも議論できたらと思っています。
 川井田さん、もし何かあれば。

(川井田) 文化プログラムに寄せて、昨日お話しできなかったことを補足したいと思います。
 文化プログラムの中に、障害者の芸術表現活動も組み込まないといけないという全体の方針になっていて、金沢でもぜひ入れていただきたいのです。実は、金沢美術工芸大学が既に東京芸大と連携しながら、文化庁の事業を委託して、それは「新進芸術家育成事業」という事業名なのですが、中身は金美の学生たちが、障害者の中で優れた芸術的才能を持っている人たちの作品をいかにプロデュースしていくか。そういうサポートする方のものも入っているのです。
 昨日、本山さんが、価値を見いだし、発信していくということをおっしゃっていましたが、金美でも、実は同じ作り手の目線で、障害者が作られた優れた作品をプロデュースしていこうとする能力育成にも取り組んでおられますので、ぜひ金美との連携も考えていただいて、文化プログラムを進めていただければと思います。

(大内) これも後で、ぜひ2020ということを考えて、具体的なプログラムも考えなければいけないと思っています。また後で帰ってきたいと思います。

(福光) 今日は、岡部先生は帰られましたが、大変痛いところを突かれていまして、観光としてではなくて、文化都市と言っていたら、「本当はセレブ観光都市にしたいんじゃないの」と言われて、ぎくっとしたのですけれども。でも、これはなかなかいいご指摘でね。本当は、僕らは何を思っているのかなと。文化都市と分かって言っているのか、セレブ観光都市はよく見えるのですけれど。
 そういう意味で、ちょっと浅田久太さんはおられますか。いわゆるラグジュアリーツーリズムを随分頑張って研究しておられますので、一言教えてください。

(浅田) 1年間、創造都市会議運営委員の仲間入りをさせていただいて、いろいろな先輩方からインスパイアされることをたくさん教えていただいて、私なりに感じていることをお話ししたいと思います。
 まず一つには、日本は人口が減っています。世界中で歴史的にもどの地域でも、人口が減ったのに経済が成長した国や地域はないわけです。という中で、日本は人口が減って高齢化が起きているのだけれども、「さあ、どうするんだ」という、世界初の例になるべくチャレンジをしなければいけないと思うのですが、そこでやはり外貨の獲得は外せないことだと思うのです。
 昨日、「ノー・モア・インバウンド」という衝撃的な言葉が出たのですが、やはり10月、11月、金沢の人は相当疲弊していて、「もういいや」という感じになりつつありますが、このままだと日本は人口が減って経済が縮小し、加えて、日本人が国内を交流する、旅する人口は拍車をかけて減っています。ですから、外貨、外国人を獲得しなければいけないというのは、マストだと私は思っているのです。
 これは佐々木先生から委員会の中で教えていただいたのですが、マーケティング的に戦略的に情報は上から下に流れるということです。ここでいう上は、富裕層の方、文化的な力の強い方、センスの強い方という意味だろうなと思って私は聞いていたのです。この秋、相当いろいろなチャンスロスというか、いろいろな方が金沢に来たいというのを私はお断りしました。
 それは、宿が取れないなど、いろいろな理由なのですが、コンテンポラリーアートの世界的なコレクターで、村上隆さんの作品などを買い占めている方が、泊まりたいと言ったのをお断りして、日帰りで美術館に連れて行かせていただきました。あとは、石油王の息子さんで銀行家の方。ちょっと名前は出せない方ばかりですみません。ファッションブランドの老舗のオーナーが、侍従を連れてやって来る。ヨーロッパの小さな国のプリンスがやって来る。いろいろな話を断らざるを得なかったのです。
 一方で面白いデータがあるのは、高山で観光客が落とすお金の平均額が最近発表されて、400円と言われているのです。ひがし茶屋街に滞留する時間は15分と言われているのです。結局、この400円や15分の方々で宿が埋まってしまって、富裕層の方、文化的発進力のある方が実際に来たいと言っても、(宿が)取れなかったというのが、10月、11月に起こっていたことです。
 私はここで、もう一度考え直さなければいけないと思うのは、そうではない方を排除するという考えではなくて、富裕層、外国人、あとは高齢化、これはもうこの後、目を背けてはいけない日本の課題だと思いますが、そういう方々に来ていただくことによって、情報が上から下に発信されていく。そして、憧れのあの人みたいになりたい、憧れのあの人が好きなまち、憧れのあの人が使っている道具と同じものが欲しい、そのような戦略的な金沢の未来をつくっていかないと、あれも来てほしい、これも来てほしい、それも来てほしいとやってしまうと、結局、今年3月以降、11月までの疲弊した金沢になってしまうのではないかと危惧しています。
 もう一つ、今回の総合テーマが「2020文化プログラム」なので、私個人的にお願いしたいことは、2020年に東京オリンピックがあるというのは千載一遇の二度とない、金沢というまちを世界に発信して、ブランディングしていく唯一のチャンスだと思っているのです。そこで、ぜひ金沢らしいプログラムをしたらいいと思っています。工芸というのはすごくいいフックになると思うのですが、工芸を戦略的にどう売っていくかということを相当考えなくてはいけないと思っていまして、水野先生やいろいろな方がおっしゃいましたが、金沢は工芸やアート作品を飾っておくまちではなくて、使うまちなのです。ここはものすごく特徴的なことで、うちの両親などは大樋焼に日本酒を入れて、レンジでチンするのです。そんなまちは他にないと思うのですが。ごめんなさい。書記があるなら、今のところを切っておいてください。(笑)
 でも、工芸をどんどん消費していくというのが、金沢のすごく特徴的な、いいところだと思うのです。棚に飾って、光を当てて、じーっと眺めているのではない、使うまちだということは、金沢のすごい特徴だと思っています。我田引水的に聞こえるかもしれませんけれども、食文化ということを、ぜひ2020年に向けて、金沢は食のまちだということをブランディングされてはどうかと思っております。
 日本を訪れる外国人の理由のナンバーワンは、今、日本食ですよね。日本人はどうしてそんなにスリムなのだろう、どうしてそんなに長生きするのだろう、その秘密は食にあるのではないか。また、世界的に日本色が大ブームで、平成25年に世界の日本食レストランは5.5万軒だったのが、今年の発表では9万軒で、日本食レストランはすごく増えているのです。その96%のオーナーが日本人ではないです。世界のほとんどのすし屋のオーナーが韓国人です。
 すし屋は韓国人に取られているのですが、人口比率で言うと金沢は日本一すし屋の多いまちです。市民がすしに使うお金も日本一です。例えば芸術の都パリとか、音楽の都ウィーンといったキャッチフレーズがあると思うのですが、例えば2020年に「すしの都金沢」「食の都金沢」というようなブランディングがされていくと、食文化を取り巻く環境というのは、例えば器、日本酒、芸妓の伝統芸能、発酵食、着物、建築、いろいろなものがついて回ります。単体で売るよりも、周りに取り巻く環境が非常に多いなと思います。
 私としては、ぜひ2020年の文化プログラムに向けての地方コミッショナーに、金沢市と石川県で立候補していただきたい、それも積極的にしていただきたいと切に願っております。佐々木先生から聞いた話によると、昨日の繰り返しになりますが、横浜市と新潟は文化プログラム専門の部署というか、課をつくって立候補に乗り気だと。
 一方で金沢は、政令指定都市ではないので、立候補しても通らないのではないかという中で、やはり石川県と金沢市が連携して、ぜひ立候補していただき、オリンピックに来た方が「日本食を食べたい」と言ったら金沢だという、2020に向けてのブランディングをぜひしていただきたいです。そこのキーワードになるのがやはり富裕層ではないかと思っているのです。

(福光) 国王やそういう方々を断った理由は、ホテルが取れなかったとおっしゃったけれど、ちゃんとしたホテルがという意味ですか。もう少し詳しく説明しないと、ホテルがいっぱいだっただけかと伝わってもまずいので。

(浅田) ちゃんとしたホテルが取れなかったというのもあります。あとは、実際には国王とか、老舗ファッションブランドが侍従を連れてやってくるとか、実際にはおいでになったのです。本当を言うと、その方々は直島に行くのが目的でいらして、「直島に行くのだったら、ついでに21世紀美術館も見てくださいよ」というのを仕掛けた人が東京にいまして、やって来ることになったのです。そのウエルカムパーティーをした上で、「そこそこいいホテルに泊まりたい」という要望が、なかなかかなえづらかった。

(福光) ということですね。

(浅田) 実際には泊まっていきましたけれども。

(福光) 分かりました。ホテルもやっておられるから、しゃべりにくいのでしょう。要するに、ラグジュアリーホテルがないということなのですね。

(清水)自分は金沢に生まれながら、これだけの価値がある都市だというのはほとんど自分では認識していない形で、自分の金沢における質の高い生活がこれだけすごいものなのだと。しかも、ブランディングしていけば世界に通用するかもしれない。やはりこの場自体もすごく価値があるな、金沢に生まれてよかったというのが、ここに座った印象です。あとは、聞くばかりですみません。

(浦) 感想だけなのですが。昨日の中で全体的に面白かったと思うのは、佐々木先生が生物・文化多様性の話をされました。川井田さんが障害者のアートの話をされました。そして、バルセロナのところで、住民と、これから戦っていってどういう観光都市を選び取るかという話があって、一つのキーワードとして、やはり「多様性」があるかなと思います。金沢という地方都市が、これからどうもう一段伸びていくかというのは、ある意味の多様性をのみ込めるかどうか。
 金沢というのは、ものすごく大きな器ではなくて、小さなグラスなので、その中で文化というものの多様性をどうやってのみ込んでいけるのか。先ほどの混乱というような話がありますけれども、当然、いろいろなものをのみ込んでいくときに、いろいろな議論があって、ある意味イエスかノーという議論がある場をつくることが非常に重要ではないか。昨日、岡部さんからそういう話がありましたが、そのような議論をつくっていく中で、一人一人の市民の意識を上げていかないと、そういうものと、これから金沢が戦っていかなければいけないのではないかなと、これは感想ですけれども。
 また、吉本さんがおっしゃった「ノー・モア・インバウンド」というのはすごく衝撃的な言葉です。この間、クリエイティブツーリズムで、いろいろな工芸作家の仕事をするところを回るというのをやったのです。ある地方都市から金沢に移住してきて、まちをきれいに改修して、そんなにめちゃくちゃ高い工芸作品には今のところなっていないのですが、きちんと生活して、結構友達がいてというような作家さんに会うことがありました。多分、経済価値の基準がどうも変わっていく局面にあって、工芸の裾野が大きくて、そういうものも金沢の工芸のモデルなのではないかと思ったわけです。
 福光さんとこの間、話していて、福光さんがこちらに帰られてきたときに、東京から来られて、金沢を面白いまちにしようということで取り組んで、今このようになっているのです。私たちが思う以上に、今の金沢はそういう価値の取り方の中では、ある日本の地域の代表になれる可能性があるのではないかと思っています。
 工芸に関して言うと、昨日お話があった北陸の工芸サミットの幹事に金沢はなるでしょうし、それから東アジア文化都市の工芸というテーマで照準も当たる。それから、「21世紀鷹峯フォーラム」ですか、全国的な工芸を日本全体で応援していこうというような全国的な会議があり、それが今年、京都で、来年は東京で、再来年が金沢ということで、工芸に関してはものすごく大きな波が金沢に来ていると思います。昨日の工芸の議論の中で、先ほど本山さんがおっしゃったように、食えない作家を助けていくのか、食えている作家をより伸ばすかというような二つの側面があって、でも、それは実は、工芸とアートの違いはそこの両面があるから素晴らしいと思って、その二つの両面の政策を何か取っていく方法はないのかなと思った次第です。

(大内) ありがとうございます。
 市長さん、どうぞ。お待ちいただいて。市長さんという肩書を脱いでいただいても結構です。きつい質問をしていただいても結構ですので、どうぞ。

(山野) 今日は残念ながらお帰りになられた岡部さんが「セレブ観光都市を目指したいんじゃないの」ということは新聞にも載っていなかったので、今、お聞きしてどきっとしたのです。少しシニカルな表現ではありますが、ストレートの剛速球をストライクゾーンのど真ん中に入れられたような思いで受け止めました。
 僕は市長になって今6年目に入りましたが、実はずっと4年間、観光のプロモーションの担当部署に「誤解を恐れずに言うけれども」と言ってきたのは、新幹線が2015年3月と分かっていたので、ターゲットにするのは「首都圏・富裕層・女性」で施策を組んでくれと言ってきました。ずっとそんなふうに担当部署はしてきたと思います。ただ、これはオフィシャルに言わなかったのは、浅田さんがおっしゃったように誤解を受け兼ねないので、決して他を排除するという意味ではないのです。
 去年、選挙が終わって、もういいかなと思って、ある新聞社の取材でそんなことを申し上げて記事になりましたが、特に議会の皆さんからもお叱りを受けずに来たというのは、恐らくご理解いただいているのではないかと思います。もちろん、いろいろな施策を打ちながら、やってきました。
 特に観光という面から、これも講演などで時々使うのですけれども、これも誤解を受けてはいけないので丁寧に説明をしながらやっていますが、「結果としての観光」という表現を僕は時々使います。例えば春、花見の時期に兼六園に、犀川のほとりでもいいのですが、金沢の人、石川県の人が、兼六園に桜を見に行った。そして「花見団子を食べながら兼六園の桜を見るのは最高だよな」と。カニの解禁になりました。「やっぱりこの時期のカニを食べるのは最高だよな」と、金沢や石川県の人が食べる。それを見て、東京や大阪や北海道や九州の人が、「そんなに兼六園の桜がきれいで、花見団子がおいしいのなら、11月のカニがそんなにおいしいのなら、俺たちも食わせてくれ」「私たちも食べに行こう」と言って来てくれる。せっかくなら気持ちよく来てほしいので、おもてなしをさせていただきますよと、そういうものが観光であるべきなのではないかという思いを強くしています。そのためにも、地元の皆さんに楽しんでもらえる、快適な生活をしてもらえるようなまちをつくっていくことが必要なのだと思っています。
 僕は、文化にそんなに詳しいわけではないかもしれませんが、生活からあまりに乖離し過ぎてしまうと、文化はどこかでなくなってしまうのではないかと思っています。やはり、生活とどこか何かの接点があることによって、ずっと文化として残っていくのだと思いますし、刺激を受けて、化学反応を起こして付加価値を付けることによって、子供や孫たちの代にまで、ずっとつながっていくものではないかと思います。
 生活の文化、息づかいそのものが、先ほどから出ている町家、「住まい」だと思っています。住まいというものは、今、残念ながらそこに人は住んでいらっしゃらないかもしれませんけれども、金沢のある期間、そこで生活していた方がいて、生活していた方の息づかいそのものが残っているのが家屋ですし、古いものは「金澤町家」とわれわれは表現をしております。やはり金澤町家を大切にしていくことはすごく大切だと思っていまして、経済同友会の皆さんからもご提案を受けながら、条例化もして、その条例に沿う形で町家情報館を今、整備しているところです。「古い家屋を持っているけれど、どうすればいいかな」「そんなところに住みたいのだけれども、どこへ行けばいいのかな」「どんな生活ができるのかな」「どんな補助制度があるのかな」ということが分かるような、ワンストップで対応できる金澤町家情報館が来年にはできます。そうすることによって、生活の息づかいそのものは、伝わるようなことをしていかなくてはいけないと思っています。
 一方では、これも早川先生におっしゃっていただいたように、残念ながらもう駐車場になっているところがあります。ここはやはり修繕や修復ではなくて、喪失ということにもつながっていくと思いますので、これは今、担当部署とも条例化をして、町家情報館ができて、次のステップとして考えていかなければいけない課題だという強い認識を持っていて、今、研究をしているところです。

(福光) 今、町家の話が出ましたので、昨日、水野先生が早川さんとの話で言われていた、橋場町モデルについて。

(水野) 橋場町モデルというよりも、前回のこの会議で、金沢を木造都市にという提案を出しました。これはどういうことかというと、日本の都市は都市計画や建築基準法などによって、都心は不燃化するというのが原則的に決まっているわけです。ですから、都心は鉄筋コンクリートや鉄骨などで建てなさい、木造は駄目ですよと決めているわけです。けれども、金沢の都心にはいっぱい木造が残っていて、軒数だけから言うと7割ぐらいが木造なのです。それを否定しているわけです。そのことは、日本の都市計画そのままでいったら、金沢も日本の平均値になるということを目指す、そういう意味では固有性を失うだろうと思います。
 今やっているのは、一つは、できるだけ古い町家を保存しようという保存運動、もう一つは、これから新しい木造を入れていこうという運動で、この二つが成立したときに、木造都市が成り立つと思っています。そのモデルとして尾張町界隈を考えたいと思っていて、今、尾張町界隈では、かなり木造が残っているのです。早川さんのスライドにもありましたが、蔵造りも残っているのです。蔵造りというのは、実は川越も高岡もそうですが、明治30年ごろに日本の都市の中心商店街を不燃化しようというので、蔵造りにしようという運動が起こるのです。そのときにできてくるのは、日本中の蔵造りのまちの景色です。尾張町もその一つです。
 そういう一つの歴史があるのですが、今の時代に木造をどうやって造ろうという試みも、一つの必ずいい歴史をつくるのではないかと思っています。そういう意味で、金沢が初めて木造都市というか、木造で都心を考えるということをやってみたらどうかというのが提案したいことでして、そのためには乗り越えなければいけないことがたくさんあるのです。
 乗り越えなければいけないことは、いろいろな法律論があるというのが一つです。もう一つは、不燃化が原則で決まっているところに、燃える木造住宅を造ることを住民全体がオーケーを出すかどうか、これは非常に大きな問題です。
 ひがし茶屋街で言えば、あれは全部家がくっついていて、つながっているのです。あの街路を含めたら、全部、一軒家のようなものです。それが200年間、燃えないで残っている。これは住民の火に対する力、防火の心構えがあるから守られているのですが、そういうコミュニティーをつくっていくことが一つの前提です。法律の問題、技術の問題、住民のコミュニティーの問題がうまくいけば、可能ではないかと思っています。

(福光) その尾張町プロジェクトのようなものとして、これまでいろいろ、町家一軒ずつのリノベーションをたくさんやってきましたが、ストリートとして総力で取り組むというのを、あそこをモデルにしてやったらどうかと思うのですが、そういうお考えはどうですか。

(山野) 具体的なエリアは、水野先生はじめ、また専門家の先生を助言を頂きながらやっていきたいと思っていますが、先ほど言いましたように、修繕・修復だけではなくて、喪失にも取り組んで行かなくてはいけないという問題意識は持っています。担当部署ともそんな話をしているところですので、先生がおっしゃっていただいたような課題の整理と、そこに住む住人の皆さんの理解度、意識とを合わせながらどんなエリアがいいかということを少し研究させていただければと思います。

(水野) もう一つ、付け加えたいのですが、先ほど観光客が歩くという話がありましたけれども、近江町からひがしまで、みんな歩いているのですね。あそこは、歩くと考えると、いい通りにしたいなという思いと、それから、あそこにはまともな歩道がないのですよね。

(山野) そうですね。

(水野) 人がすれ違えない。町民文化館の前というのは本当に。

(山野) ちょっと怖いです。

(水野) 私どもは今度の尾張町の計画を立てるので、調査で学生と一緒に寸法を測っていたのですけれども、そうすると観光客がみんな車道へ出て歩いて、ああいう状況はやはり、スタンダードとしては落ちているなと思います。そういうことを含めて、やる意味がいっぱいあるなと思います。

(吉本) 今の話の流れと少し違う話になってしまうのですが、「ノー・モア・インバウンド」について、ちゃんと補足をしておかなければいけないなと思いまして。私があの言葉を出したのは、オリンピックの文化プログラムによるインバウンドは考えない方がいい、あくまでもそういうことです。オリンピックの文化プログラムを見ると、海外から人がいっぱい来るだろうというのは多分、幻想というか、皆さんは競技を見に来るのでということで使っているので、それだけ念押しをしておきたいのです。
 ただ、それに関して少し補足で発言したいと思ったのは、オリンピックというのは世界中が日本に注目する、それ以上の機会はないチャンスだと思います。ロンドンの2012年のフェスティバルは、実は開会式の4週間前に始めているのです。それには実は理由があって、オリンピックが近づくと、世界中のメディアがイギリス、ロンドンに来ます。そして、オリンピックネタを探します。下手をすると「あそこの競技場がまだ間に合っていない」など、ネガティブな情報ばかり出てしまいます。そうではなくて、文化プログラムを4週間前からやることによって、イギリスはオリンピックで文化を重視するというのをアピールしたいし、競技が始まってしまうと競技の報道ばかりになるので、その期間に文化を伝えたいというのがあるということでした。
 ですから、オリンピック期間中に世界中が注目することは間違いないですし、その前後もありますから、そのときに例えば、金沢もオリンピックが始まる1カ月ぐらい前から何かをやっていって、メディアにそれをちゃんとアピールすることによって、金沢の素晴らしさを伝えるということがあるかなと。ですから、「ノー・モア・インバウンド」と言いましたが、言葉を換えて、オリンピックを機会にした「インバウンドの高級化」と言うとちょっと違うので、「インバウンドの高度化を目指す」とか、そういうことも入れた方がいいかなと思いました。
 もう一つ、長くなって恐縮ですが、昨日から工芸の話を聞いていて、私も思ったことがあるのです。ロンドンオリンピックのときに、「World City Cultural Summit」という国際会議が開かれたのです。これはロンドン市長の肝いりで、これからの都市政策に文化はなくてはならないということを世界中にアピールしようということだったのですが、そのときに東京を含め12都市が参加して、世界の都市の文化比較をしました。そのときにいろいろなデータを集めたのですが、海外の方が一番驚いたデータは、東京都内の一般家庭には何と83万台のピアノがあるのです。東京都内でお茶やお花を日常的に楽しんでいる市民は46万人。アマチュアのダンススクールが748件、このデータだけ国際比較ができたのですが、これは東京が第1位です。それから、都内で発行されている新聞の部数が540万部で、ほとんどに俳句コーナーがあり、毎日おびただしい俳句が投稿されている。つまり、海外の方が驚かれたのは、日本人は芸術を鑑賞するのではなくて、自らそれを楽しんでいて、日常生活の中にそういうものが溶け込んでいる生活スタイルが実現しているということに、すごく感心されました。
 そのことが工芸とすごくつながるような気がしました。ですから、日常生活の中に文化が溶け込んでいるということと、先端的な芸術は非日常ということであるわけですけれども、その両方が融合したところに工芸があって、日常の中の文化と、芸術的な非常に最先端というか、非常なクオリティーを求めるものの融合したところに工芸がある。
 金沢ではどうやら大樋焼すら電子レンジで使っている。これは固有名詞で出すとまずいかもしれませんが、そういううわさ話を流せば、「金沢は本当にすごいところだ」。その象徴としての工芸があるということを、オリンピックの文化プログラムでアピールできると、金沢のブランディングになるかと思いました。

(大内) もう一方だけ、米沢さんに。その後、私は整理をしますので。

(米沢) 私は先月、日本海沿岸地域経済同友会代表幹事サミットというのがありまして、北海道からずっと日本海側でできている経済同友会で、福岡、沖縄まで入っているのです。その中で、私もちょっと話す機会があったので、金沢の現状を、人が来過ぎているという話をしたのです。その会議に福岡市長も出ておられて、「いや、実は福岡もクルーズ船が300隻になって、町じゅうに20台、30台の買い物ツアーバスで、ともかく市民から文句を言われている」と、私と福岡市長が話していたとき、他の同友会の皆さんがしらーっとしている。なぜかというと、「おまえら、自慢しているのだろう」という感じだったのです。
 ですから、本当に苦労している、大変だという思いは全然伝わらなくて、彼らが昨日、今日のこの会議を見たら何と言うのかなと、逆に思っていたのですが。そういう意味では、先に進んでいる以上、先にぶつかることがいっぱいあると思います。この金沢のまちは今、ひがしがあれだけ人が集まっているけれども、一時は悲惨で、お客さんも少なくなって、まちを維持できないというときに、浅田さんの先代、福光さんの先代など、いろいろな経済人が、使わないのにいろいろな木造住宅を買っているのです。喪失してしまわないために。それで、しばらく持っていただいて、今ここへ来てこうなっています。
 経済同友会でも今、「企業市民宣言の会」をやっていまして、経済合理性だけではなくて、まちのことを企業としても企業市民としても、考えようという運動をしています。先ほど駐車場の話も、実は高岡町ではぽつぽつ駐車場はあるのだけれども、意識ある人は木造の塀を造っていただいて、駐車場は1台、2台減るのだけれども、木を植えていただいています。そうすると、駐車場なのだけれども、ただ、1台分減らして木を植えて、木造の塀をするだけでも、随分雰囲気が変わるのです。
 ですから、尾張町のプロジェクトをするに当たっても、ちょっと違うなと思わせるような手段は取れるなと。それは行政だけではなく、そこの持ち主、経済人の仲間でそんなことをしばらく考えてもいいのかなと。そういう意味では、このまちだからこそ、まちのことを考える先輩がたくさんいたのだから、われわれ現役もそういうところに少しお金を使ってもいいのではないかと感じました。

(大内) そうですね。それは、ぜひ実行に移した方がいいですね。

(福光) 先ほどの文化振興条例の関連ですが、佐々木先生からは、もう少し広範な金沢らしい条例にしたらどうか。伝統文化の人を育成するというのは非常に重要なので、それを考えるのですけれども、先ほど高松の例が聞かれたわけですが、浅田さんも先ほどぜひコミッショナーに立候補してという話もありました。その辺のお考えをあったら先にちょっと出していただけますか。

(大内) まとめるのではなくて、ここから時間が少ないので、三つのテーマに整理をします。
 一つは、2020までということが今日挙げられていて、現在提案のある中に、創造都市の研究所、場合によってはネットワーク研究所を金沢で主導してつくろうではないかというのがあります。それはそれでいいのですが、さらにロンドンの例なども見て、やはりすごいなと思うのは、イギリス・スコットランドで世界の人たちに呼び掛けて、そこにさまざまな企画の提案をしてもらって、そこでいろいろなトライをしてあげる、そういう度量、そういう仕組みをつくった。例えば金沢で文化振興というときに、必ずしも金沢の工芸の関係の方だけのことを考えるのではなくて、東アジアなど世界の人たちにそういう場を提供する。そのために創造都市ネットワークの仲間たちに呼び掛けて、そういうプログラムを2020までに少しずつ少しずつ育ててやっていく、そのためには具体的にはどうしたらいいかというテーマが一つあると思うのです。
 もう一つは、第2セッションで主に議論されたテーマですが、最先端の技術、最先端の新しい分野と、非常に伝統的な方たちをどのように、異業種交流という話も昨日は川本さんからありましたけれども、そのような場をもっともっとつくっていかないと、やはり金沢のプロの世界を伸ばしていくために、もっと具体的に何をしたらどうか。市の方でも文化振興条例をつくられたわけで、具体的に金沢におられるプロの方たちをもっともっと高みに上げていくためのさまざまな施策をやはり少しトライアルしていく必要があります。
 そして、三つ目のテーマとして、観光の問題です。金沢の良さは、市民そのものがかなりのレベルにあるということを忘れてはいけないというお話がありましたが、それも含めてどうするか。その三つのテーマに残りの時間をできれば絞りたいと思います。

(山野) 条例は今年、12月議会が先般行われまして、その冒頭でこの条例のことについて触れさせていただきました。これから本会議が始まってきて、今、議員さんの議論の中でまた詰めていかなくてはいけないことが出てくると思います。
 大きく三つお話ししたいと思います。一つは、今、文化芸術といっても広いので、これまで取ってきた施策の整合性をさらに進めていくという意味で、人を育成するという視点を考えています。これまでも、技と芸の人づくり奨励金、子ども塾、職人大学校、金沢美大や卯辰山工芸工房で、人を育てていく施策を総合的に行ってきました。これを体系的にさらに強化していくというのが一つになってくるかと思います。
 二つ目も、この5月の創造都市会議でも申し上げましたが、卯辰山工芸工房が、平成元年、金沢市政100年の記念事業として設立されました。間もなく平成30年に、幾らか老朽化とは言いませんけれども、さらにリニューアルを年頭に置いています。そのリニューアルの際に、ユネスコの会議で報告したのは、当然ユネスコの創造都市を念頭に置いた交流ができるようにということを、今、館長をはじめ、いろいろな方の話をお聞きしながら整理をしているところです。併せて、職人大学校についてもどうしていくかということも、さらに考えていかなくてはいけないと思っています。
 三つ目は今日も新聞に載りましたが、eAT KANAZAWAで長年いろいろな取り組みをしてきました。芸術・文化と金沢が言ったら、どうしても歴史・伝統・文化というイメージがあります。eAT KANAZAWAでメディア映像に、まさに宮田さんが取り組んできて、宮田さんが既存の金沢の工芸に刺激を与えてくれているように、そういう分野においても人の育成も大切になってくるのではないかと思っています。今、これから中でも議論をしなくてはいけませんし、議会の皆さんや経済同友会をはじめ、多くの方のご意見なども頂き、整理をしながら、人を育てていくという点を念頭に置いた形での条例化を進めていければと考えています。

(大内) ありがとうございます。
 今、卯辰山のリニューアルの話も出ましたので、川本さんは何かお考えをお持ちではないかと思います。

(川本) 偶然、うまく30年という区切りに来たのですが、これのきっかけは、市長の言葉の中にもありましたが、私が創造都市会議で、福光さんを通じていろいろな形で関わらせてもらっている中で、同じ創造都市の人たちとの交流を、金沢市の企画調整でツーリズムのような形で派遣してくれる事業がありました。今現在の状況でいきますと、一方通行で向こうへ行くだけなのです。そうすると、向こうからこちらへは、迎える手段がない。
 もし工芸工房で迎えるとすると、ハードの部分と、それを迎えるソフトの部分も含めて、ちょっと不足しているというところがスタート地点だったこともありまして、金沢市がこれから目指していく一つの文化政策を考えていく中で、金沢は工芸を切り口にまちづくりに尽力していただいていますので、やはり卯辰山工芸工房がそういう一つの役割を果たすというのは、われわれの使命だと思います。そういう視点で、そういうことをもっと詰めていかないといけないと思っています。
 それと、こういう場で一回言っておかないといけないと思っているのは、私は大学に長くいて、そういう意味では教育畑にいたわけです。今でも一番不思議だなと思っているのは、簡単に言うと美術教育というのは大学へ入ってからが専門教育なのです。現在でも、小中高を含めて美術教育の時間が減らされて、科学教育だけ増えている。ですから、ノーベル賞がもらえるのもいいのだけれど。そういう意味では、美術というものが教育の中で非常に軽視されている部分があります。その辺を考えてみると、これから工芸の作り手、いわゆる工芸土壌、ものづくりの土壌を金沢の中に広げていかないことには、結局、今はこの時点で話をしていますが、これから何十年か先に、それを背負っていく人が今度は亡くなってきたら、一体どうなるのだろうということが生じます。
 以前から、これはよく言っているのだけれども、例えば教育委員会が金沢に英語特区をつくったということがありました。そのときに、なぜ工芸特区、ものづく特区をつくらないのと。金沢の持っている一つの特色がものづくりであるなら、教育の中でそれを反映していかないと意味がないのではないか。
 もう一つは、市立工業(高校)の中に、工業はあるのだけれども、工芸がない。県(立工業高校)にはございますが。そうすると、今の話ではないですけれど、工業の中に今度つくるとなると、例えばデジタルとアナログを共通したような、ITと手作りというものの特殊な部分をそこでつくる。一つのそういうコースもつくっていって、子供のときから教育していかないと。確かに現在、工芸子ども塾などがありますが、マスから見ると少ないです。やはり基盤というものをつくっていくためには、小さいときからそういう環境をつくっていかないと駄目だと思うのです。そうすることによって、大学も今、少子化となってくると、なおさらそういう分野に進む人が教育の面から見ると少なくなるのです。そういう政策は、金沢市だから僕はできることだと思いますので、その条例にはそういうことを考えてほしいなと思います。

(大内) 圧倒的にいい条件の中にあるはずですね。それを生かすか殺すかというのは、金沢の市政にかかっています。
 もう一つ、焦るようで申し訳ないのですが、先ほど申し上げましたように、この金沢の職人大学校もあれば卯辰山工房、あるいは21世紀美術館もあるわけで、2020年までの文化プログラムは、世界の人たち、世界のアーティストたちに提案してもらおうというようなことを僕はやりたいなと思いますし、ぜひそれができたらいいと思うのです。ただ、なかなか日本は、今まで建築の分野もそうですが、国際コンペ失敗。あまり具体的なことを言うと怒られますが、エンブレムを選ぶことだけでも右往左往して失敗したり、まだ慣れていないのですが、でも、これはやらなければいけないのです。
 秋元館長にぜひ、既に21世紀美術館などは国際的ないろいろな提案の中でプログラムを作られているのだろうと思いますが、こういうことに気を付けて、このようにいい企画なり、いいものを選んで育てていったらいいということについて、ご経験も含めてお話しいただけますか。

(秋元) なかなか難しい、一番日本人が苦手な、みんなが参加できる場づくりをどうするかというところだと思います。21世紀美術館は国際的に評価される美術館だと言われますが、もし国際的な美術館のランクがあるとすると、相撲のランクで言えば、横綱級がルーブル美術館やポンピドゥー・センターや、ニューヨーク近代美術館だとすると、ぎりぎり幕内力士に入れているかどうかという国際性だと思うのです。
 でも、その中で上を目指していくということですが、金沢の中だからこそ、より金沢で文化的な国際的な場づくりをどうするかということは本当に真剣に考えていく必要があると思います。一つは、第1セッションの佐々木先生の言われていたところの、まさにカルチュラルポリシーのところというか、そのフレームを割と海外の人が見たときに、はっきりと金沢が目指している文化の方向性がどういうものか、そこできっちりと言っていくということだと思うのです。
 あらためて2020年に向けて、いろいろないい材料がある、そして今、非常に注目されている金沢が、足元のベーシックなところで、どういう文化政策を取るのか。今日も昨日も、吉本さんも話されたと思うのですけれども、文化がただただ文化のためにあるのではなくて、それが経済とつながったり、人づくりになったり、まちを豊かにするものであったりと、かつて経済の中に求めていた、他に与えていくようなもろもろの効果のようなものが文化というフレーズの中に入り込んでいると思うのです。
 そういう中で、もう一回、金沢がどのようにそれを具体的に2020年に向けて展開しようとしているか。それについて、クリエイティブに関しては、皆さん逆に提案してくれと、これをより良くするということがやれるかどうかというところなので、まさにこの辺をしっかりもう一回つくり込むというのは重要かなと思います。

(大内) そうですね。そんなにいきなり大きいものでなくても、少しずつやりながら、いろいろな企画提案の中には、必ずしも実現性のないものまであるかもしれませんが、どうしても日本の場合、直接行政が関わると、必ず成功しなければいけないというプレッシャーがあって、安全パイを選んでしまう。けれども、明らかに前衛の世界というのは、場合によっては失敗の方がはるかに多い、そういうものにチャレンジしなければいけない。そのときに、どうやっていい提案を選んで支援していくかというのが重要だと思うのです。
 もう一つ、そういうプログラムが来年からでもつくれるのではないかと思うのです。

(福光) そういう意味でも、昨日の審議官のお話でも、要するに工芸サミットは何も決まっていませんというのが本当のところのようで、こちらから何をしたいか言ってくれと。そうしたら、それを勘案してプログラムにしますという話だったので、要するに、こちらでつくる必要はあるのです。今のように昨日からの話を総合的に、今のいろいろな方に入ってもらう話も含めて、金沢の考える文化プログラムを、すごく面白いのを考える体制をつくらなければいけません。
 われわれはいくらでも体制がつくれますが、市の方でも、文化プログラム室のようなのをちゃんとつくっていただいた方がうまく動けるのではないかと思います。

(秋元) そうですね。今、福光さんが言われたので、より具体性があれですけれども。今、話が挙がっているだけでも、工芸サミットは、金沢はどうするのだというのは言われています。
 もう一つ、京都から立ち上がった「鷹峯フォーラム」も、元文化庁長官の林田さんが音頭を取ってやっています。今、工芸会の理事長もされていて、ここも金沢に非常にラブコールを送ってくれています。もう一つありましたが、工芸ものに関してはかなり全国的なレベルで、金沢に対して求められています。
 それで、金沢がどのようにそれを受けるのか。もしくは、今、福光さんが言われたように、「じゃあ、こうしたいんだ」「世界に向けて日本全体を引っ張っていきますよ」というようなメッセージは多分必要でしょう。この間、「鷹峯フォーラム」には私も行っていたのですが、京都府の副知事と副市長が来られて、これは割と生々しいことで、文化庁を誘致しているのですね。京都は、もうはっきり言っているわけです。もう京都とかそんな話ではなくては、世界へ向けての日本全体の文化を背負うのだということをメッセージとして言っているわけです。ですから、非常に具体的なメッセージも込めながら政策をつくっていくことが非常に重要かなと思います。

(大内) ありがとうございます。第2セッションの本山さんなどは、ギャラリーで幅広くネットワークをつくりながら、若い人を育て、ギャラリーの役割というのは場を提供するだけではなくて、人を育て、作家に寄り添っていろいろというお話がありました。そのときに、例えばこの創造都市のネットワークを使って、金沢がイニシアチブを取ってというのもあるわけですよね。何かご提案いただければありがたいです。

(本山) そうですね。文化プログラムの中の人材育成という話の中では、例えば作り手に対しての人材育成は手厚いと思うのですが、私はギャラリーの立場なので、逆に作家なり作品なり文化なりを伝える役割を担う人、仕掛けをつくっていく人を育てる、そういう伝える人間、ディレクションできる人間も育成していく必要があると思います。
 金沢は公共の施設もそうですし、企業でも、取りあえず空いたスペースがあったらスポットやピクチャーレールを付けて、取りあえずギャラリーのような空間をつくるのですが、そういうきれいなギャラリー空間は、その後、稼働していない。市民の方が使うのだけれども、後で有効に何か面白い企画をやれているかというと、空間が無駄になっているだけで終わっているのが、非常に自前でギャラリーをやっている人間からすると贅沢だし、もったいないです。それを、うまく企画をやっていけるような人を育てるべきではないかというのもあります。
 先ほど川井田先生が、金沢美大の学生さんが障害者のアーティストをプロデュースしてというお話をされていましたが、大学を出た後に、働きながらプロデュースを実践して経験を積んでいけるような、インターナリーもそうですけれども、そういう人材も育成していく必要があるなというのは感じました。

(大内) そうですね。

(福光) 私もそう思います。ディレクター、プロデューサーを育てるというのは非常に重要で、金沢はどの分野もそうなのです。もう既に、価値創造拠点を今年もいろいろディスカッションを重ねておりますが、あれを目に見えるどこかの施設ができるという意味ではなくて、今の文化プログラムをスタートさせるプロジェクトを価値創造拠点のスタートとして動かしていけば、いずれにしてもそれはできると思うのです。総合的な話なので、そういう考え方もあるかと思います。

(大内) 昨日、磯谷審議官から、日本全体で東京オリンピックを目掛けて、来年秋から20万件のイベントをやって、5万人のアーティストの参加、5000万人が参加するという話が数字としてはあるわけですよね。本当に誰がやるのだろうというのと、できるかな、大丈夫かなというのもあります。つまり、実際のアーティストは、表現は悪いですが、お金の力でお呼びするというのはできるかもしれないですけれども、そうではなくて、自分たちの文化の蓄積となり、そのまちや日本全体、あるいは世界に貢献できるレベルの優れた文化を生み出すということをしなければいけないわけで、イベントがまさにイベントで終わってしまっては意味がないわけです。
 そういうもののためには、今のお話のようにプロデューサーやディレクターという方たちも実践の場がないとこういう方たちは育たないわけです。そういうことを金沢が、さすがに金沢で同じイベントをやったら、そういう人たちが育っていく、そういう姿がやはりできないといけないし、この創造都市会議で提案したり、創造都市ネットワークの海外の方たちからご提案いただいて、上手にその中から良いものを選んで実践に移していく。まさにインターナショナルなチームで実践していくということをやっていかなければいつになってもできないと思います。
 もうあまり時間がないのですが、昨日は、場合によっては観光をある程度制限するような議論もありました。けれども、そうではなくて、金沢の良さは生活の中にある文化なわけです。ある意味で生活の中の文化というか、とにかく至るところで、それなりに金沢の文化を感じるようなしつらえ、おもてなしがあることが、結果的に金沢の敷居を上手に高めていくのではないか。先ほど市長からもありましたが、それが首都圏の富裕層、海外の富裕層や女性が関心を持ってくれることにつながっていくのだろうと思いますが、具体的な提案がもし皆さんの中からあれば、どうぞ。

(水野) 具体的な提案ではないのですけれども、今、金沢の良さという形で大内先生が空間やしつらえ、味覚や会話などがあったのですが、金沢というのは考えてみると非常に静かな空間をいっぱい持っていた、また、ゆったりしているというのがあって、心の問題なのですが、静かでゆったりしている状況がずっと江戸から続いてきているように思うのです。明治維新以降も、戦後もそうですし。
 高度成長にも乗らなかったし、いろいろな維新のあれにも乗らないで時代の後をゆっくり歩きながら来た。ゆっくりしている。内発的で動いてきている。そういう良さのようなものが、この2015年3月の北陸新幹線開業でわーっと来て、ゆったり静かというのがなくなった、そんな戸惑いも心の中であると思うのです。
 もう一つは全然別で、具体的な話ではないのですが、ゆったりしている、静かであるということは大事なことで、金沢らしいなという、その辺は続けていけたらと思います。

(大内) そうですね。去年のこの会議で、私は「静けさ」がキーワードになるかもしれませんよというセッションをやらせていただきました。世界で、皆さんご存じだと思いますが、いろいろな良質な観光地やリゾートへ行くと、本当にゆったりとして静かで、駅のアナウンスも、場合によってはないのではないかと、そのようなことまでも考えるように、あるレベルの観光地はなってきているわけです。
 鈴木大拙館が、あそこだけ静かなのではなくて、周囲の静けさの延長上に鈴木大拙館がなければいけないわけですから、そういうことは、私のスイッチの音量を下げてくれればできることもいっぱいあるし、兼六園のガイドのことなども、既にいろいろ対策を打たれて、少しガイドのアナウンスなどを抑制しようというのもあるようです。そういう身近なレベルで、先ほどの駐車場に生け垣をというものもそうですし、ちょっとした身の回りの意識を高めていく。金沢を文化都市として演出していく、高めていく、いろいろな手法が本当はあります。
 そこをみんなで気が付き、多分、ある意味で、ドーッと観光客が来たことということで、マイナス面もありますが、観光客や外国人があらためて金沢のこんなところに魅力があるのだと教えてくれたことも実はあるのだろうと思うのです。全部が、暴力的に異人が襲来したということではないと思うので、そこをもう一度、再評価するというのが、これからこの1〜2年の金沢のやることです。さまざまな外からの方たちが、良いところも悪いところも金沢の足らないところも、多分気付かせてくれているというところを、やはりもう一度学習して、その次のステップに金沢を上げていくことをしなければいけないのではないかと私は思います。

(秋元) 観光のところで、浅田さんから富裕層という言い方をしていいのか、文化的な文化人と言っていいのかもしれませんが、そういう方たちをお断りしたという話がありました。一方で、これまで以上にそういう方たちが来ていると思うのです。私はこれも新幹線の効果だと思っているのですが、うちにも、これまで以上にそういう方たちは多く来ています。
 それもグループで来られるようになった。つまり、飛行機でファーストクラスがないので、新幹線の方がリッチに来られるわけです。かつ、1人、2人ではなくて、グループで来られるようになってきている。それもあって、なかなか受け入れられなくなってきているというのもあるのです。例えばあるグループは、美術館などに寄付するようなお金持ちが来て、また1人のアーティストのお買い物で、ちょっと生々しい話ですが、1000万円買うわけです。そういう方たちに対して、その場にだけいるわけではなく、やはり泊まるし、食べるし、そして他の観光もする。そういう人たちのニーズなり行動をキャッチするようなものが今、こちら側がないのです。ですから、そういうものをコーディネートしているのは、東京の人です。その辺のところを、金沢の側できちんと整備していくことは必要だろうと思います。
 もう一つ、水野先生の町家の話で、木造を復元するというようなことですが、この間、実は文化庁の重伝建の担当の人と話して、水野先生や何かのところで木造の都市みたいなことを言っているよという話をしたら、「それは面白い」と。なぜかというと、「全国で今、重伝建の指定する場所がなくなってきていて、実は予算をカットされそうだ。実は施策として打ちたい。ところが、ネタがない」という話です。かつ、職人さんたちがもうモチベーションが下がってしまっている。やる所がいつも修理などで、クリエイティビティを刺激されないという話で、それを真剣に考えていたのです。10月ごろだったので、多分、予算を考えていたのだと思うのですが、ですから、そういうこともこちらから逆に突っ込んでいく。「こういうことをやれないか」と突っ込んでいくというのは、すごく大事な時期だと思います。

(大内) 生々しい話は面白いですけれども、山野市長から。

(山野) 生々しい話なので、ちょっと美しい話を。結局、先ほどから出ているようなマイナスの喧噪を排除とは言いませんが、立ち止まってもらうのは、やはり市民しかないと思います。市民がフィルターになるしかないのだと思います。そんな意味では、先ほどから出ているこの条例や、米沢さんにご提案いただいた駐車場のところにちょっとした生け垣を造るとか、本山さんがおっしゃった、取りあえずギャラリー、そういうできることを行政もやっていって、市民が意識を高くすることによって、フィルターになっていって、マイナスの喧噪が立ち止まってもらえるようにする。簡単に蹴散らされるかもしれませんが、それは地道につくっていくしかないのかなと。そのための施策のヒントも今日は幾つも頂きましたので、しっかり承って取り組んでいきたいと思います。

(大内) ありがとうございます。そろそろ残念ながら時間が来てしまっているのですが、昨日、今日、いろいろな議論で、その中にも、これであれば具体化に結び付けられそうなアイデアも出てきたと思いますので、ぜひ協力し合って、具体的なものを立ち上げたいと思います。そのためにそれぞれの立場で、ぜひご努力いただきたいと思います。

     

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金沢創造都市会議2015