第6回金沢創造都市会議

金沢創造都市会議2011 >セッション2

セッション2

セッション2「まちのRe」

●コーディネーター
佐々木 雅幸氏(大阪市立大学大学院教授)
●ゲスト
近藤 誠一氏(前文化庁長官)
矢崎 和彦氏(潟tェリシモ代表取締役社長)




世界の創造都市との重層的な関係構築をいかに進めるか

(佐々木) セッション@は2020年という少し先のことを考えながら議論しようという設定でした。つまり、2020年に東京再集中になったら、私は日本の社会はもう終わりだと思うのです。先ほど水野一郎さんが言われたように、そのときに全国の個性的な都市が百花繚乱のごとく出てきて、東京だけ落ち込むような感じが生まれるようにならないと、日本は21世紀らしくならないと思っているのです。
 そういった話を踏まえながら、私どものセッションAは、もう少し近い2015年を考えてみようということにしています。先ほど来出ていますように、既に北陸新幹線の新型車両の試験走行が始まっていますので、瞬く間に首都圏とつながれるわけですが、先ほど玄道さんからは、金沢の中は全く打って変わってスローシティがいいのかもしれないという話がありました。
 このセッションは、新幹線が来るだけでなく、新しい金沢のスタートとして、ユネスコの世界ネットワーク会議の誘致に成功しましたので、ここをどんな中身にしていくのかといったことを話し合ってみたいと思っています。
 皆さん方は、ユネスコというと富士山と和食としか、ぱっと浮かばないと思います。もちろん、それについては後で近藤誠一さんにたっぷり裏事情もお話しいただきますが、私の方では、そもそもユネスコ創造都市ネットワークとは何かについて、少しだけお時間を頂いて話をしていきます。
(以下スライド併用)
 ここに映しているのは、ユネスコの文化局の担当です。文化産業の担当セクションが創造都市ネットワークの事務局をしています。そこでは都市の創造性と地球経済の持続可能な発展の二つが大テーマになっています。具体的には2004年からこのネットワークが始まったのですが、その前段で、ユネスコは文化多様性条約というものを掲げようということで、2001年から文化多様性に関する世界宣言、2005年に文化多様性条約というものを採択しました。そして、世界における文化多様性を具体的に広げるために、創造都市ネットワークということを考えたわけです。
 若干このときの背景を言いますと、当時WTOがあらゆる財やサービスの原則貿易自由化を問題にしました。ただ、そのときにフランスやイタリアからは、「映画産業やテレビ番組のようなコンテンツまで完全自由化は困る。仮にこれが自由化になって例えばハリウッドの一人勝ちのようなことになると、映画の多様性は失われる」という話がありました。そこで、フランスとイタリアはWTOではない舞台を設定して、文化的製品とサービスに関しては独自の基準があっていいだろうということで、文化多様性条約というものを広げようとしたのです。
 それは、幾つかの都市が多様な文化産業を発展させるということと結び付いていました。現在のところ、世界で41の都市がこのネットワークに入っていて、もちろんヨーロッパの都市が一番多く入っています。北米にもあります。そして、この数年間、ここ最近は東アジアの都市の数が急速に増えてきています。日本のケースで言えば、2008年に名古屋と神戸、2009年に金沢、そしてつい最近、札幌がメディアアーツの分野で入って四つあります。お隣の韓国は三つあり、中国は何と五つあります。この東アジアで急速にこの動きが広がって、韓国も創造都市、創造経済に関心を持っていて、中国は世界の工場であるだけでなく、今や世界の文化的なソフトパワーの面でも大きな影響力を持とうとしているという流れが出てきています。
 具体的には文学、映画、音楽、クラフト&フォークアート、デザイン、メディアアート、食文化(ガストロノミー)という七つのジャンルがあります。無形文化遺産の場合は過去の文化遺産が対象なのですが、創造都市ネットワークでは、現に今生きている文化産業というジャンルでつかんでいます。しかも都市を単位にしているということがあります。例えば和食は、無形遺産として日本全体で共通のテーマとなっているのですが、創造都市ネットワークにおける文化産業七つのジャンルは、都市を単位にしているという特徴があります。
 現在参加都市は41でヨーロッパが多いわけですが、他に現在審査中の都市が40ぐらいあります。日本では浜松と新潟と鶴岡、ひょっとしたら篠山も申請を出してきます。そうすると現在41のものが、来年、再来年になると80あるいは100ぐらいになる可能性があります。そこで、世界ネットワーク会議をやったときには、文字通り、かなりの大きな会議になる可能性があります。また、ユネスコは、無形文化遺産や有形の世界遺産を指定するだけでなく、文化産業の発展で地球全体の維持可能な持続的発展を目指していますから、先進国の創造都市は、途上国の創造都市ネットワークに加盟している都市に対する支援をすることも大きな使命とされています。
 そして、年次総会をこれまで積み重ねてきました。例えば2008年にサンタフェというアメリカのニューメキシコ州の都市で会議を開いたときには、クリエイティブツーリズムが大きなテーマになって、非常に印象深い会議となりました。先ほど水野雅男さんが言われた金沢のクリエイティブツーリズムというのは、このサンタフェと連携しています。サンタフェはクラフト&フォークアートの都市ですので、金沢とサンタフェは良いパートナーです。
 2010年の会議は深センで行われました。深センはデザイン都市なのですが、このときはニューメディアを使った新しいアートやデザインの表現について議論が行われました。そして2011年にはソウルで行われ、このとき初めて、年次総会と市長サミットがセットで行われました。ここに山野市長が行かれて、見事なプレゼンをされて、「2015年の会議を金沢でやりたい。そのときには年次総会プラス市長サミットの形を取りたい」と言われています。実際にこの二つを開くとなると大変なことなのですが、ソウルでは直前に市長が代わったりしたこともあり、舞台裏は大変だったと聞いています。
 これがそのときの模様です。印象深かったのは、このとき、フランチェスコ・バンダリンという文化局長が、文化遺産を持っている文化遺産都市と、今現に生きている創造産業を持っている創造都市のネットワークを広げてはどうかということを提唱されたことです。
 2012年にはモントリオールで年次総会が行われ、今年は9月にボローニャで年次総会が開かれています。このときはボローニャ大学の大学マグナカルタ25周年記念式とセットで行われて、大変印象深い会議となりました。ここで2015年の金沢開催が決まったわけです。
 金沢の場合は2009年にクラフト創造都市の認定を受けたのですが、それに向けて職人大学校、市民芸術村、21世紀美術館等、今おみえの秋元館長らが工芸未来派という、工芸と現代アートの新しい形について議論するという成果もありました。そして、ユネスコの創造都市を集めたフォーラムなども毎年のように開催しています。
 金沢市の創造都市推進委員会では三つの目標を掲げています。一つが文化とビジネスをつなぐ。例えばクラフトそのものとクラフトのビジネス化をどうしていくか。あるいは他の産業とどう融合するか。それから若い創造の担い手をどう育てるか。そして、世界を引き付ける魅力をどう高めるかです。それぞれ具体的な事例について足を踏み出しているところですが、何といっても、大量生産・大量消費の20世紀型経済を超えた、職人的な付加価値の高い、感性の高いものづくりとサービスを提供する町だということで、クラフトイズムというものを提唱しています。加賀料理も和菓子も、場合によってはニューメディア、あるいはメディアアートに至るまで、職人的な手作りのものを提供できる町であるといった新しいコンセプトを打ち出していこうと考えています。
 ユネスコ創造都市の1年先輩として、神戸市が2008年にデザイン都市として認定を受けています。デザイン都市の認定を受けるに当たって、経済界で中心的にリーダーシップを取られた矢崎社長に今日、おみえいただきました。これから先の議論では、早速、矢崎さんから、取り組みの模様と金沢に対するメッセージ、こんなことをしてはどうかということをお話しいただければと思います。よろしくお願いします。

(矢崎) ご紹介いただきましたフェリシモの矢崎です。神戸の取り組みも含めて、会社のことも最初に少しご説明した上で、お話ししたいと思います。最初のセッションを聞かせていただいて、すごいなと思ったのは、ご登壇されておられる方々というか、金沢という町の持っているアイデンティティがかなり明確なことです。神戸はそうなりきれているかどうか分からないので、うらやましい、素晴らしいと思いました。
 うちは通信販売の会社ですので、日本全国にお客さまがいらっしゃいます。随分昔、30年近く前に、日本中のお客さまのところへ訪ねていこうということで、月に1回、土曜日と日曜日にいろいろな地域を回って講演会などをしていたことがあったのです。いつか忘れましたが、新潟で1日目に土曜日をやって、日曜日に金沢に来たのですが、距離的にはこんなに近いのに、集まってこられたうちのお客さまの金沢の方々のファッションセンスがあまりにも違うのに本当に驚きました。講演会の後にパーティがあって食事があるという場所だったのですが、女性たちの華やぎといったところにすごくびっくりして、これが文化なのだなと思いました。
 そもそも私は何者かということで、フェリシモという会社の経営者です。カタログとネットで何万種類の商品を扱っているのですが、特徴としては、その95〜96%はうちのオリジナルの商品だということです。一部輸入のものもありますが、ほとんどがオリジナル商品です。
 ファッション商品や色鉛筆などの雑貨等、いろいろな商品を扱っています。
 今、事務所は撤退してしまったのですが、ニューヨークにオフィスがあった時期があります。1995年の戦後50年、国連50年という節目のときに、たまたまニューヨークに会社があったのですが、そのときに国連から国連50周年のために何か提案をしないかと声を掛けていただきました。当時は、東西冷戦構造ももうなくなったし、国連などそもそも要らなくなった時期で、国連が登場するのはネガティブな状況の調停や解決のケースなので、当時のガリ総長のご意向としては、国連がなくなってしまうような世界になればいいということが前提でした。では、デザインということで何かしませんかというご提案を申し上げたところ、デザインだったら文化だし、パリにもオフィスがあるのであればユネスコを紹介するのでと言われて、94年にユネスコにご紹介いただきました。
 そこで「デザイン21」というイベントを始めて、いろいろなことをやったのですが、今、映像で流れているのは、ファッションやインテリアです。これは最初のときにやったファッションで、世界中の若いデザイナーに呼び掛けて、未来に伝えるファッションというテーマで、いろいろなファッションを出していただいたものの中から、50周年ということもあったので、50選んでファッションショーを催したときの模様です。
 そういうことをずっと形を変えながら続けています。そういうこともあって、ユネスコの文化セクター担当の方が、最低年に1〜2回、神戸にあるフェリシモの本社に訪ねてこられていました。ちょうど95年は神戸で震災が起こりまして、その担当の人はかなり大変な状況からずっと見ておられて、だんだん復興していく様もご覧になって、何回も来ているうちにいろいろなことを感じられたようです。
 そうこうしているときに創造都市ネットワークという構想があって、同じ文化セクターなので、こういうものがあるのですと。ついては、神戸はそれにふさわしいと自分たちは思うので、立候補しませんかということをおっしゃいました。ただ、私が「分かりました」と言えることではないので、市長に申し上げて、少し時間がかかってしまったのですが、立候補してデザイン都市神戸が誕生しました。
 クラフトだったらクラフト、金沢なら金沢というアイデンティティと同じことだと思うのです。私は神戸市の方をはじめ、皆さんに申し上げているのですが、デザイン都市と言いながら、実は全然デザイン的ではなかったりすることが多々あるのです。それは別にお金を掛けてどうのこうのということではなく、例えば皆さんが配っておられる名刺、あるいは街中にあるマンホール、標識などは全てデザインの対象になり得るのですから、そういうものをもう少し貫き通してはどうですかと。いろいろな部局が縦割りであるのですが、そうではなく、もう少し横串を通して見られるような部門も要るのではないですか、デザイン担当副市長を持たれたらどうですかとご提案いただきました。そのこと自体はなかなかできなかったのですが、それに近いセクションをつくっていただくという形で、今、ゆっくりとではありますが、進んでいます。
そういう市としての動き、会議所での動きの他にもう一つあるのが、CRイートIVE VILLAGEです。市や会議所、同友会というオフィシャルな構造の中でしかできないこともたくさんあり、私も神戸の同友会の代表をさせていただいていた時期もあったのですが、もう一つ、アシックス、ロック・フィールド、シスメックスなど、少しデザインやクリエイティブに関心がある神戸の20弱の企業家たちが集まって、いろいろな動きをしています。これはなかなか面白くて、何者にも拘束されないので、自由にいろいろなことができ、考えられ、実行もできるということも含めて動いています。
 2015年の創造都市では、アジアがこのごろ頑張っているという話ですが、クリエイティブということになりますと、やはり日本が大きな存在感を持てる領域ではないかと思っています。
 これは6年前の2007年に私たちが考えた今で言うクール・ジャパンです。Cジャパンと呼んでいたのですが、日本の素晴らしさを再認識して海外の方にお伝えしたいということで、うちのニューヨーク事務所を使ってあるイベントを開催したときの資料です。
 Cには、クールだけでなく、キュートとかクリアとかクリエイティブとか、いろいろなCがあるのではないかと思います。そのときに、日本の精神性、自然、デザインへのこだわりなどもあるのですが、このときに私たちなりにいろいろと調査をして、結果、例えばおしぼりというのは日本独特のもので、今は海外でも「おしぼり」と言うらしいのですが、例えば喫茶店に入ると、おしぼりと水が出てくる心遣いや優しさのようなことも日本の特徴です。
 それから、例えばパンです。日本にパンがいつごろ入ってきたかは知りませんが、もともとあったパンがあんパンになったりカレーパンになったり、それにキャラクターまでできたりということで、一つのものを取り込んで、どんどん新たに作り変えていく。それも異文化発なのにいつの間にか日本文化に昇華していくというようなことも、やはり日本の特徴だと思います。先ほどのキティちゃんに代表されるようなかわいいものもそうです。今なら初音ミクなどもそうかもしれません。
 加えて銀座の喧噪(けんそう)やネオンなどがあり、外国人が来ると、絶対にこの場所で写真を撮ると聞いたことがあります。これも彼らから見るとクールなのかもしれません。
 私も先ほどの文化遺産のことで、ユネスコの方にお聞きしたことがあるのです。「『文化』といつもおっしゃいますが、文化とは何ですか」とお聞きしたときに、少し困られて「文化とは生活だ」と言われました。文化遺産のことがすごく注目されていたので、それはそれで素晴らしいことだと思いますが、何か片手落ちではないかと思っていたのでお聞きしたのです。文化が生活だとすると、「生活をしていた場所の過去の、言うなればセミの抜け殻のようなものをありがたがって文化遺産にしているよりは、もう少し、今生き生きと生きているところを尊重したいですよね」ということを言っていた時期もありました。創造都市ネットワークとは、まさにそういう都市の集まりだと思いますし、まさに創造的な営みが繰り広げられている都市だと思います。
 つまり、私たちに必要なのは、遺産ではなくて未来を切り開いていく志と行動なのではないかと思います。最近はユネスコの方とあまりお会いしていないのですが、神戸市が創造都市になった後に何度かお会いしたときにおっしゃっていたのは、神戸市はユネスコから何かを言ってくるのをいつも待っておられるのです。それをユネスコの方にお話ししたら、「私たちは神戸が何かを言ってくるのを待っているのだ」ということで、せっかく創造都市に加盟したのだから、自ら能動的にいろいろなことを仕掛けていってほしいし、自分たちも発信してほしいし、横の連携も組んでほしい。どんどんやってくださいということをおっしゃっていました。
工芸というのはものすごくすてきだと思います。私たちが最近始めているCONTINEW LABO(コンティニューラボ)というのは、未来に残したい今みたいなことで、新しくつくり変えていく研究所というような試みです。
 これは山中塗とコラボさせていただいたもので、こちらは九谷焼です。これは昨日撮影したばかりの写真です。これをやっていてすごく面白かったのが、今人気のイラストレーターが、九谷の古い伝統的な模様をリスペクトしながらも、新しい柄を描き起こしているのです。そのイラストをまた九谷の窯元の絵付けの方が描き直されて、試行錯誤を重ねながら新しい九谷焼を作ったということになっています。イラストレーターも、自分のイラストが九谷で焼かれるということは、すごくモチベーションが上がるのです。それと産地の方々も、全く新しい表現がもたらされたということで、作り手の方もかなり真剣に対応してくださいました。それで出来上がったのが先ほどの写真のものです。出来上がってみますと、イラストレーターの人も産地の方もびっくりという、今までの概念になかったものが出来上がったなという感想を両者から頂いていますし、われわれもそう思っています。
 伝統を残すのはすごく大事なことだと思いますし、セッション@の木造特区の話はすごいなと思ってお聞きしていたのですが、伝統を残すだけでなく、今の時代に合うように形を変えながら、また未来へ伝えていって、未来の人がまたそれを変えていくということができればいいなと思います。
 最後に、失われた10年、20年という話がありますが、当時、神戸も経済的にかなり低迷していたにもかかわらず、神戸の洋菓子界だけはぐっと伸びていたのだそうです。それがどうしてかを研究している経営学者から聞いたのですが、神戸の洋菓子店で修業していた人が独立するときに暗黙のルールがあるというのです。一つは、既に有名な店があるところに出てはいけない。もう一つは、自分が教わった店の看板商品を盗んではいけない。つまり、新しい場所に出て、新しい商品を作らないといけないのです。新商品開発と新市場開発が宿命付けられているから伸びたのだということでした。
 創造都市金沢は2015年に大きなイベントをされるということですが、ぜひ2015年に、金沢発で未来の地球行きのものをご提案いただければと思います。ありがとうございます(拍手)。

(佐々木) どうもありがとうございました。昨日撮ったばかりの写真がうまくはまりましたね。コンティニューラボというのはいいアイデアだと思って聞いていました。イラストレーターの方と工芸職人の思いがけない出会いで予想もできない新しい概念が生まれる。最近はやりの言葉でいくとセレンディピティということですよね。僕はセレンディピティが生まれる場が創造都市だと思っています。今、金沢は矢崎さんにやられてしまうなと思いました。金沢は地元にあるものをもっと生かせるのに、「うーん」という。皆さん、どんな感想を持たれたか、また後で聞かせていただきたいと思います。
 それから、神戸の洋菓子の暗黙のルールは、実は金沢の和菓子の暗黙のルールの現代版ですよね。あるいは、金沢の和菓子の暗黙のルールが崩れてきているのかもしれません。伝統ということと、その変容ということなのでしょう。これはどこまで守って、どこを変えていくかということを考えるのも面白いと思いながら聞いていました。
 それでは近藤さんにお願いします。今回2回目の登場で、前回のときは文化庁長官として記念講演を頂きましたし、皆さんご存じだと思いますが、7月に長官を交代される直前に素晴らしいお仕事をされました。それは、富士山の世界遺産の登録において三保の松原を併せて登録するということで、これは近藤さんの力がなければできなかったと思います。本当に素晴らしいお仕事をされました。それから和食の流れも含めて、ユネスコのこともお詳しいし、創造都市の大変大きなサポーターでもあるので、ぜひお話をお聞きしたいと思ってお招きしたわけです。よろしくお願いします。

(近藤) ありがとうございます。ユネスコ、富士山、和食、創造都市、この話を全部すると何時間もかかってしまいますし、このセッションのテーマが2015年の金沢における創造都市の世界会議ということですので、その大きなテーマについて一言ずつ、2015年に絡める形でお話ししてみたいと思います。
 全体を貫いているというか共通している、あえてメッセージという言葉を使えば、日本人というのは国際ルールを非常に尊重します。そして、そのルールの中でベストを尽くして良い成績を取るのが非常に得意です。しかし、ルールを作っていくこと、ルールをプロアクティブに使っていこう、自分の都合のいいように、少しねじ曲げてでもいいから自分の利益になるように使う、活用する、場合によっては変えていくという発想はあまりないのだと思います。
 何が良いか、何が悪いかということではないのですが、これからはこれだけ変転する国際社会の中で、ルール自身もどんどん変わっていきますから、日本は常にルールは所与のもの、将来にわたってそのまま規制をする枠組みであるとは考えずに、ルールを参考にしつつ、どうすれば自分の国の利益、自分の社会、町の利益を実現できるようになるか。そのために国際システム、国際ルールをどのように活用できるかというような発想を持っていくべきだと思います。40年間、外務省と最後は文化庁で生活をしたので、それが非常に強い私の印象です。
 従って、2015年の金沢における創造都市世界会議も、金沢として、そして日本として、そういう発想でプロアクティブにどう使うか。2015年を機会にどうやって金沢を活性化するか。そういった発想をぜひ持っていただきたいと思います。
 ユネスコというのは、ご案内のように戦後すぐにできた国連の専門機関です。「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」という有名な言葉がユネスコ憲章の前文に書いてあります。戦後、国連ができて戦争が禁止になりました。国連憲章2条4項は武力による威嚇、武力の行使は駄目だと言っています。それを犯した者は国連軍が行って成敗すると。
 それまで国際連盟などいろいろな国際機構があって、戦争はなるべくやめようとしてきましたが、これで完全に一つの国の中のように戦争はなくなるのだと。罪を犯した人は警察が逮捕するようにして罰するのだということになりました。だからみんな平和が来ると思ったわけですが、その中で、「いや、それだけでは不十分だ。戦争をしないというだけでは平和は必ずしも保てない。平和というものは積極的に前向きにつくろうとしなければ駄目なのだ」という発想の人がいて、そういった方々がユネスコをつくったのです。
 人の心の中に平和のとりでを築くということは、プロアクティブにみんなで平和をつくっていく仕組みをつくろうということです。そこで教育と文化と科学とコミュニケーションという四つの分野の機関を、わざわざ別につくったのです。従って、そこに平和のためのプロアクティブなアプローチがあるということを一つご理解いただきたいと思います。
 それから、世界遺産には有形と無形があります。富士山は有形文化遺産として今回登録されましたし、昨日、和食が無形文化遺産として登録されました。この世界遺産条約も、単に価値があるものを登録することが目的ではなくて、まずは保全が目的で、リストに登録した有形・無形の世界遺産を全世界が協力して守っていこうという精神なのです。
 例えばオマーンという中東の国が、アラビアオリックスというカモシカの一種の生息地である特別な草原を世界遺産に登録してあったのです。あるときオマーンが、そこから石油が出たので、「もう世界遺産は結構です、石油の方が欲しい」と。石油を開発すれば当然保全ができなくなるので、取り消したいと言ってきたのです。
 委員会は最初、本人がやりたくないと言うのなら外してやろうかと思ったのですが、ある人が非常に反発して、「とんでもない話だ。世界遺産条約とは、人類にとって貴重な遺産を世界が協力して前向きに守っていくための条約なのに、事もあろうに、それを持っている本人にやる気がないということを許しては駄目だ。絶対に守らせろ」と強く主張したのです。散々議論があったのですが、最終的には、もう開発が進んでしまって、当初の価値がなくなったという専門家の説明があったので、結局外しましたけれども。そのときにあるカナダ人の女性がとうとうと演説をして、「こういうことは絶対にあってはならない。これはこのコミティーの恥であり、人類の恥である。こういうものは何があっても守るものだ」と言いました。これは実際、私もその場で聞いて、みんなが感動した話です。そういう非常に前向きな協力を行うのがユネスコであるということです。
 創造都市会議ネットワークも全く同じであって、デザインやガストロノミーなどいろいろな分野がありますが、その分野で登録をして、ネットワークで適当に付き合いなさいということではなくて、これを軸にして、都市と都市がお互いに前向きに協力し、文化・芸術によって町の活性化することで平和に貢献していく。ユネスコ憲章の前文にある「心に平和のとりでを築く」とはそういうことなのです。その具体的な方法の一つが創造都市ネットワークなのです。そういう大きなピクチャーの中にあるということも、ぜひご理解いただきたいと思います。
 もう一つの日本人にとって大事なことは、日本はこういう仕組みがあまり得意ではない訳は発信です。日本人は自分の価値観や思想をなかなかうまく説明ができません。そもそも日本語ですら言葉で説明しにくいことが多いですし、ましてや英語やフランス語で世界に発信しようとしても、なかなか思うようにいきません。あまり自信を持ち過ぎてお説教をしようとすると、70年前の大東亜共栄圏のような失敗になってしまうということで、これは日本人が抱えている大きな問題です。
 例えば富士山の世界遺産を思い出していただければ分かりますように、世界遺産に登録することで、そこに隠されている、そこに宿っている日本人の文化の素晴らしさ、思想が世界に伝わりやすくなるということがあると思います。富士山は、特に文化遺産として今回登録されました。世界遺産条約には自然遺産と文化遺産の2種類があります。自然遺産とは自然の地形で地質学的に意味がある、学術的に面白いもの、あるいは生態系が非常にユニークなものが対象になります。日本がこの条約に入ったときには、真っ先に富士山を自然遺産で登録しようと思ったのですが、これは諦めたのです。地質学者によると、富士山は地質学的には火山としては本当につまらない山なのだそうです。どこにでもある火山で、とても世界遺産にはなれない。しかも、ごみの問題、し尿処理の問題がありました。そこでやむなく、では文化遺産しかないなと。しかし文化遺産とは、建物であれ、町であれ、仏像であれ、人間が作った素晴らしい財を登録するものです。しかし、富士山は日本人が作ったものではありません。山は文化財ではないのです。
 それをどうやって文化遺産にするかということで、いろいろと苦労がありました。文化遺産には登録基準が六つあるのですが、1〜5まではどう読んでも人間が作った文化財のことです。つまり、芸術的な傑作や町並みなのです。例えばダビンチの『最後の晩餐』は人類が作った最高傑作の芸術作品ということで、基準1の大傑作という基準を使って登録されています。
 富士山は日本人が作った芸術作品ではありませんので、1〜5では扱えません。しかし、6に「優れた文学的、または芸術的傑作に関連するもの」という基準があります。非常に曖昧で、皆、使いたがらないのですが、ここでいくしかないということで、結局、北斎などの浮世絵をはじめ、『万葉集』で、あるいはいろいろな写真家からさまざまな芸術を生んだ大本になったものだと。富士山がなければ、もちろん広重の浮世絵はなかったわけですから、そういうことで辛うじて理屈が通って登録されたのです。
 よく考えてみると、富士山そのものには芸術価値はないのです。山ですから。しかし、日本人がそこからインスピレーションを得て、素晴らしい浮世絵その他を作って、それが世界中に広がって、ゴッホまで富士山の絵を描いているのです。ゴッホはもちろん富士山を見ていません。北斎の描いた富士山を見てインスピレーションを得て、自分でも描いてみたのです。
 ということは、日本人が富士山から素晴らしいインスピレーションを得て、その美意識を育て上げて芸術作品に落とし込んだ。それがあったからこそ富士山は世界文化遺産になったのです。ということは、日本人のそういう自然観や美意識が素晴らしいものだと評価されたことに、ほぼ等しいのではないかと思います。裏を返せば、日本人がもしぼんくらで、富士山を見ても何も思わなければ、あるいはそれを素晴らしい浮世絵にする才能がなければ、富士山は世界遺産になっていないわけです。つまり、富士山が世界文化遺産になったということは、日本人がずっと何千年も蓄えてきた自然観や美意識の素晴らしさを評価してもらったことに等しいと取っていいのだと思います。
 幸い日本は、ヨーロッパや中国のように異民族の征服がありませんでしたから、そういう古い時期からの美意識、自然観をずっと蓄え、ものすごく洗練させてきたわけです。そのことを富士山の世界遺産登録がリマインドしてくれたのです。ですから、われわれはもっと自信と誇りを持っていいと思うのです。富士山は素晴らしいのですが、富士山を素晴らしいものとして世界遺産に登録できたのは、日本人がそこから素晴らしい芸術精神を吸い取ったからで、そういう能力がわれわれにあるからだと取るべきだと思います。和食についても同じで、季節感をその時々に表しているという部分が評価されました。
 結局、共通しているのは日本人が持っている自然感です。欧米人は、人間は理性があるから自然よりも優れている、自然を超越している、自然を開拓してもいい、いくら切り刻んでもいいという発想が強いです。それは科学技術を生みましたが、日本人はそうではなくて、人間といえども自然の一部である、自然には底知れない恐ろしさもあれば優しさもある、自然の懐の中に入っていくのが一番いいのだという発想できたのです。
 そういう日本人の思想は、400年続いている近代文明の中では主張しにくいのです。あくまで理性による科学技術で全て解決できると思っている人が、ずっと400年間世界を支配してきましたから。それは今後も続くでしょうし、日本もそういう科学技術を取り入れて近代化しました。ただ、それは続けていきつつ、これからの世の中は日本人の持っているような自然を敬う気持ち、あるいは先ほどの多様性を敬う気持ちがなければ、地球を守っていくことはできないと思います。つまり、日本がこれまで近代化で成功しつつも維持してきた日本人的な自然観、美意識、思いやりの気持ちを今後もっと人類に知ってほしい、世界に知ってほしい。そうすれば環境問題もテロも、一遍に解決はできなくても、もっと処理しやすくなると思います。
 今回の世界遺産、富士山と和食の登録は、「有形は17番目、無形は22番目の世界遺産ができた。万歳」ではなくて、日本人がずっと大事にしてきた自然観、美意識が評価された。従って、今後、文化遺産というものを使って、世界にじわじわと広めていく素晴らしいきっかけを頂いたと取るべきだと思います。
 冒頭に申し上げたように、日本人は自然とはこうなのだと口で説明して説得するだけのて能力もないですし、多分、欧米の方々も理屈で聞いてもぴんとこないでしょう。しかし、富士山や和食にはこういう哲学が潜んでいるのだということを訴えれば、彼らも分かってくれると思うのです。富士山も和食も非常に有名ですし、マンガ・アニメもある意味ではそうだと思います。日本から出てくるものは非常に奥が深く、素晴らしい理念があって、それは近代化の中で欧米人が忘れてきたものである。人間としてそれを取り戻した方がいいのだということを感じてもらうチャンスになるのだろうと思います。そういう意味で、ユネスコでやっている事業、特に有形・無形の世界遺産条約は、言いたいけれどもなかなか言葉で言えなかったことを日本が伝える、非常にいい取っ掛かりになってくれるものだということです。
 創造都市も全く同じだと思います。その土地土地に眠る文化、伝統、歴史をわれわれ自身が見つけ出して、それを東京や大阪を通さずに直接世界にアピールする場を与えてくれているわけです。ですから、2015年の金沢会議も、そういう発想で、ぜひ金沢の素晴らしさを金沢の方々自身が自分で発見し、自信と誇りを持って発信していくことに使っていただきたいと思います。
 三つ目に、金沢はクラフト(工芸)ということで創造都市になったわけですが、デザインでもなく食でもなく工芸というのは、私は非常にうれしいです。というのは、日本の伝統工芸や伝統芸能はこれだけ素晴らしいものでありながら、今の世の中で十分に社会的に評価されていません。官僚はもちろん、政治家もビジネスの方々も十分に評価できていません。それは、戦後の経済成長、あるいはこの150年間の西欧中心の近代主義の中で、先ほどの日本人の自然感と同じで脇にやられてきたがために、その価値を日本人自身が分かっていないからだと思います。
 しかし、金沢にもたくさん人間国宝クラスの方がいらっしゃいます。漆芸を取ってみても、象嵌(ぞうがん)を取ってみても、見れば見るほど、知れば知るほど、素晴らしい。時間をかけ、才能を発揮して、それをずっと受け継いできたわけです。2015年は、日本人自身がその価値をもう一度再認識し、それを活性化していく術を見つけるきっかけになる、あるいは2015年にかけての準備のプロセスがそれにつながるであろうし、そうでなければいけないと思っています。
 クラフトというのは、欧米ではアートとは違って若干下に見られてきたところがあると思います。マルティン・ハイデッガーというドイツの哲学者がいます。私も分かりませんが、『存在と時間』という難しい本を書いている人です。たまたま手にした『芸術作品の起源(根源)』という本で彼が言っていることは、非常に単純化して言えば、物には3種類あるということです。一つは、自然界に転がっている石のようなもの、一つは人間が道具として作った箸やナイフといったもの、一つは芸術作品です。自然界に転がっているものは価値がない、道具は利便さという価値がある、芸術作品には芸術的な価値がある。芸術的価値が一番優れているという議論をしています。
 私はなるほどと思いつつ、いや、ちょっと違うのではないかと。日本人は道具にもずっと芸術性を込めてきた。そもそも芸術という言葉が昔あったかどうか私は知らないのですが、日本の最も誇るべき芸術作品に例えば楽茶碗があります。これはお茶を飲むための道具です。それ以外の文箱であれ置物であれ、日常生活に使うものに丹精を込めて、素晴らしい自然感、美意識を注ぎ込んできたのが日本の伝統工芸だと思います。もちろん長谷川等伯の大きな屏風などもありますが、日本人にとってみれば、道具の価値と芸術価値はそんなに区別がつかないという伝統があると思います。最近はヨーロッパ人もそれに気付いているようです。
 この間たまたま知ったのですが、フランスは20年前に、日本に倣って人間国宝制度を導入しました。それは工芸に限っているのです。恐らくまだアートと工芸の区別がフランスにもあるのだと思いますが、しかし工芸の素晴らしさに気が付いたのです。しかも日本のまねをして人間国宝制度をつくったことは、われわれとしても大いに誇っていいと思います。
 ですから、これをまた2015年に使われたらどうでしょうか。これは人間国宝の方が多い京都でも言ったのですが、制度導入から20年たっていて、既に100人ぐらいいるフランスの工芸における人間国宝と、金沢や京都など、日本の工芸部門の人間国宝とフランスの人間国宝を会わせて、そこで何かコラボレーションをする、トークショーをやってはどうでしょう。お互いにものすごく刺激になると思います。日本の1000年、2000年という素晴らしい伝統を踏まえた素晴らしい作品の価値が大量生産で作られた茶碗や文箱とは違うことは、フランスの人間国宝が見れば一目で分かると思います。他方、金沢の人間国宝の方々も、徒弟制度も含めて長い時間をかけて磨き上げてきたフランス人の工芸品を見れば、その質とデザインの斬新さ、日本にない素晴らしさを分かって、ものすごく大きな刺激になると思います。これが日本の伝統工芸を活性化する、そして金沢の工芸を活性化する大きな鍵になるのではないでしょうか。
 そういうことをただ待つのではなく、プロアクティブに前に進めていく。フランスに話し掛けて、そういう機会をつくっていく。そういったことで積極的に2015年を活用していただくことを提案いたします(拍手)。
 
 (佐々木) どうもありがとうございました。お二人からたっぷり話を聞くことができて、もうこのあたりでほとんどいいのではないかという方もあるでしょうが、フロアからコメントなり感想なりを頂いた後、私の方から幾つかまとめて質問を差し上げるという形にしたいと思っています。どなたでも結構です。個別の質問でも結構ですので、今のお話に対する質問をお願いします。

(福光) お答えできる範囲でよろしいのですが、ビジネスに関わるので矢崎さんにお聞きしたいと思います。先ほどの九谷のああいうやり方は、本来、われわれが先にやっていないとおかしいのですが、地元であれを仕掛けると、なかなかそう簡単にはいかない、いろいろなことがあるのです。矢崎さんは多分、いろいろな分野で、各地で商品開発をしておられると思うのですが、どういう仕組みでやっておられるのですか。例えばプロデューサーのような方を置いて、その方が各地の職人さんとデザイナーを会わせて仕掛けていかれるのだろうと思うのですが、差し支えない範囲で少し仕組みを教えていただけたら、大変ありがたいです。

(矢崎) 基本的には、プロデュース役はうちの社員が担っています。その人間がクリエーターやアーティスト、イラストレーターと産地をつないでいます。ただ、その人間は産地やクリエーターを知っているわけではないので、そういうことに関心のある人をまたいろいろな人に紹介いただいて、その三者で繰り広げられていくということです。これは先ほどのケースでもそうですし、海外でもフェアトレードみたいなこともよくやるのですが、その場合も同じです。あと、国内で授産施設の人たちと一緒に何か商品を作っていただくケースでも、基本的な構造は全て同じです。
 もう一つ、基本的にはうちが作っていただきますので、売れるか売れないか分からないとはいえ、一定のミニマムのロットは保証してお作りいただくということでやっていますので、お作りいただけているということになっています。

(福光) その場合、やはり通販である良さが相当出ているのでしょうね。

(矢崎) それはあります。一つ確実にあるのは、その商品について、そもそもどうしてこういう企画が生まれたか、これはどういう意図を持っているかなど、必ず情報を併せて伝えるようにしています。写真だけぽんと見せても販売できませんから、それをお伝えすることができることが一つ大きいですね。余談ですが、先ほどのお皿については、産地の方もすごく喜ばれて、実際、どうなっていくかは分かりませんが、今、自分たちのチャネルでも売りたいとおっしゃっています。

(福光) 金沢市にクラフトビジネス創造機構というものがあります。これは、クラフトの創造都市として、工芸のビジネス化を促進するファンクションで、今、私がそれを任されていて、それで結構苦労しています。また後で詳しくお聞きしたいと思います。

(佐々木) 皆さん、このパンフレットに『ともにしあわせになるしあわせ』という矢崎さんの最近書かれた本のタイトルが載っています。これはなかなかいいフレーズで、まさに通販でただ物を流しているだけでなく、人の思いをつないでいるのです。今の消費者が本当に欲しいと思っているもの、これを使うと幸せになるというものと、自分の作ったものが社会を幸せにできると思っている生産者とうまくつなぐことができれば、まさに新しいセレンディピティですね。
 その意味で、事業性と独創性と社会性のバランスをとてもうまく取っておられると思います。時々はバランスが欠けるのでしょうが、うまくいくとこれは非常に良い試みになるのではないでしょうか。フェリシモという会社が一番分かりやすいのは、「500色の色えんぴつ」です。これを少しだけお話しいただけませんか。

(矢崎) これはいろいろな商品のうちの一つです。独創性というところで、われわれの場合、お店に置いておられるような商品を扱っていたとしても、うちで買っていただける理由にはならないということがあります。もう一つ、価格の競争に自信がないし、したくないというようなところもあって、やはり自分たちのオリジナリティにずっとこだわり続けていたこともあって、「500色の色えんぴつ」を作りました。
 あれは20年以上前に作って販売を終了していたのですが、会社に飾っていたら、皆さんが欲しいとおっしゃるので、数年前に出したのです。しかし、時代は随分変わっていて、クリエーターの人もほとんどみんなデジタルの世界になっている中で、そんな商品が果たして売れるのかというところで、実際に出してみると当時よりもよく売れて、何だかんだで7万セットぐらい売れました。
 「500色の色えんぴつ」でもう一つびっくりしたのは、ネットの時代なので海外からも、英語のページにぽんと置いたり、メールをぽんと送ったりしただけで、世界55カ国ぐらいからご注文いただいて、びっくりするような、あまりなじみのない国の方々にも買っていただいています。商品代金よりも送料の方が高かったりすることもあるのですが、色数で言うと、あれは多分世界一なのです。その教訓として、世界で一番を作ると、世界中から注文が来るのだなと思いました。
 それから、先ほどのクラフトの件で少しだけ。うちで商品をいろいろ作っているのですが、最近、物ばかりもどうかということで、事の商品化ができないかという模索を始めています。あるとき、豊岡の鞄職人さんたちといろいろな取り組みをすることがあって、その職人さんたちの「後継者がいない」「若手がなりたがらない」という悩みからのヒントで、お客さまに鞄職人と一緒にやるレザークラフトを勧めてみようと。やったこともない人でも最終的に鞄を作れるようなレッスンプログラムを組んでいるのです。
 そうすると、累計で7000人に、1年間、そのレッスンプログラムに申し込んでいただいたのです。つまり7000人の職人予備軍ができたということです。工芸で言いますと、若い人たちほど、あるいは女性もそうですが、ものすごくみんな興味を持っておられるので、そのときに、何かここで学べる。先ほどツーリズムの話もありましたが、自分がここに来て、少しでもそのことに触れられて、見るだけでなく、自分がその創作のプロセスに参画できるということになると、ものすごく大きな可能性があると思います。

(佐々木) どうもありがとうございました。もう一方。大内さん。

(大内) 近藤長官にぜひ。先ほど本当に大事なことを言っていただいきました。一つは、今度、金沢でユネスコの創造都市会議を開くときに、ぜひ日本発の国際ルールといいますか、これからクラフトをベースにビジネスと結び付けて、それを世界に広めていくときの、ある種の良い意味でのルールを作れればいいと思っています。
 そのときに、もう一つ長官が言われたことで、日本人の持っている自然観や美意識というものが、今回、富士山でも食でも評価されたということですが、実は建築の世界などもそうだと思っています。つまり、日本人の意識から言うと、建築は果たして永遠のものかというとそうではない。
 17〜18年前になりますが、私はたまたま中央アジアのブハラが世界遺産に指定されたときに、ヨーロッパから来た専門家はみんなブハラのアドビでできた日干しれんがの建物をどうやって保存するかということばかり議論するので、「ちょっと待ってください。粘土でできているのですから、これが風化して消えていくというのはむしろ宿命的であって、それがなくなったときに、常に造り続けていく、あるいは修復していく技術を継承することの方が問題だ」と。日本では、つい先日行われた式年遷宮で、わずか20年で伊勢神宮を造り替えていくというのは、建物としての永遠性ではなくて、技術を1200年間どう守るかということにあったのだと思います。
 その例を話すと、私の説明もひどくてうまく理解されなかったのですが、たまたまアメリカの先生の中に少し伊勢のことを分かっている方がいて、少しコメントを頂きました。先ほど長官から面白い提案で、フランスの人間国宝のクラフトの方と、日本の金沢のクラフトの方がバトルをしたら、本当に面白いと思います。ぜひ今度、長官に司会をしていただきたいと思います。
 日本が新しいルールを作るときに、フランスとやってフランスの人たちにぎゃふんと言わせるのは確かに快感なのですが、多分それだけでは少し足りなくて、外交官として大変なご経験がおありですから、もう少し味方を付ける必要があるのではないかと思うのです。日本のやり方でいこうではないかと。そういうときにどういう国、あるいはどういう人たちを味方にしていったらいいのでしょうか。
 例えば貿易などの場合、今、アジア太平洋で東南アジアやオセアニアなどを味方にした方がうまくいくかもしれないという考え方があります。どういう人たちと一緒にやるのが一番いいのでしょうか。日本単独で一つ新しいルールというのは、ちょっと荷が重いなという感じもするのですが。それはどういう国の人たちと一緒にやったらいいのでしょうか。ぜひアドバイスを頂きたいと思います。

(近藤) 新しいルールというのは、そう簡単に作れるものではありませんし、先ほど申し上げたのも、例えば2015年に何か文章になるようなルールを作れという意味ではなくて、日本人的な発想、思想、自然観、あるいは目に見えないものの価値も評価できる。例えば墨絵を見れば、墨を塗っていないところは、欧米の方々の多くは描き残しというか、何もないもの(nothing)と取ってしまいますが、日本人はむしろそこにこそ意味があって、そこにこそ大きなメッセージがあると感じるわけです。音についても同様で、間というものには、われわれにとっては音が鳴っているときよりもメッセージがあります。そういう感覚は、もともと人間は持っていたと思うのです。持っていたけれども、17世紀以降の近代化で、目に見えるもの、音として聞こえるもの、科学で説明できるものしか存在しないのだ。それを相手にすることで産業革命ができ、これだけ生活が楽になったということもあって、多分、欧米の方々はそういうものをやや横に置いてきたわけです。
 しかし、これからはそれが大事になってきます。自然観と同じように、そういう目に見えないもの、つまり相手の心の中や相手の文化といったものも分かり合えることが必要になってくるとすれば、日本人はそういうことを依然としてまだ心の奥に持っています。幸い、近代化から150年しかたっていませんから、まだ十分持っていると思うので、それをじわじわと広げていく。
 そういうのが頭にあって私はルールと申し上げたので、例えば六つの基準にもう一つ加えて、目に見えないものも何とかというのではないのです。もちろん、そこまでいけばいいのですが、またあと100年かかるかもしれません。しかし、何もやらなければそこまでいかないわけですから、今回の富士山や和食を使って、そういうものも意味があるのですよと発信していければと思います。例えば、三保の松原が富士山の一部として登録されました。最初は、物理的に45kmも離れていて、山の一部ではないから登録すべきではないと勧告されましたが、われわれは、「いや、物理的に離れていても、目に見えないつながりがあるのだ。日本人の心の中では、富士山といえば三保の松原と一体なのだ」ということを言って、それが結果的には通ったのです。
 だからといって、これから世界中が、日本人が思っているように目に見えないものを全て評価するようになるかというと、決してそうではありまえん。ただ、そこへ向けての小さな一歩だったと思うのです。それに共感を覚える人はたくさんいると思います。例えばサンテグジュペリの『星の王子様』では、キツネが王子様に「大事なものは目に見えないんだよ」というせりふがあります。ですから、彼らだってそういう気持ちは持っているのです。
 ですから、文化遺産を使ってそういうものを呼び覚ましていく。忘れかけているものを思い起こさせることで、じわじわと日本人の発想に近いものをみんなに持ってもらえるようになる。そういうことで、もし誰かを味方にしてより戦略的にやるとすれば、私はアジア人とフランス人が一番それを分かってくれると思います。多分、アングロサクソンが一番分からない人たちでしょう(笑)。

(佐々木) それでは、先に秋元さん。

(秋元) 今のセッションから少し参加させてください。一つは、今度、国際会議が2015年に開かれるので、その中で何を工芸として見せてくか。今、日本または金沢の工芸のユニークな点はどこかを考えていくということだと思うのです。その中で、近藤長官の言われた、いち早く無形文化財として人間国宝制度をつくった日本と、その価値が理解できるフランスとで、アートとしての工芸を国際的なところで見せていくことは非常に重要なことだと思います。もう一つは、矢崎さんが言われたデザイナーと工芸産地のコラボレーションもずっと続いている重要なマターでもあるので、こういった工芸の現代化、デザイン化と言ってもいいかもしれませんが、これも一つ重要なマターだと思います。
 ここで自分の意見も加えさせていただければと思います。金沢に来て、ここのところ工芸をいじくり回しております。その中で、次の国際会議も含めて、工芸の何をではなくて、何を工芸として見せるかということを考えています。つまり、それは工芸の再定義みたいなことも入ると思いますが、もう一つは、工芸からビジネスモデルをどのようにして立ち上げていくかということもまた重要なことだろうと思って、ここのところずっと工芸をいじくっています。
 今の工芸の現状ですが、一つは今、いみじくもお二人のご提案の中にもあった方向だと思うのですが、工芸をアート作品化して見せていくということと、デザイン化してデザイン製品として、プロダクトとして見ていくという二つの方向の中に工芸の再生の道のようなものをつくろうとしてきています。この理由はさまざま考えられますが、21世紀の文化的なフレーム、文脈にのっとったときに、アートとして見せるか、もしくはデザインとして見せるかといった中で、工芸を生かしていくということがあったのだろうと思います。この動きは基本的には今も続いていると思います。
 ここのところずっと工芸の産地を調査していて面白いと思うのが、なかなかその二つでは再生できていないということです。その理由は幾つかあるのだと思うのですが、産地の弱体化が続いていて、工芸のアート化とデザイン化が工芸の産地を元気にしているという方向に働いているというポジティブなデータは、今のところ私のところでは見つかっていません。もちろん、個々で成功している事例はありますが、それが大きく産地にドライブをかけていくということはないのです。
 一番の理由は、工芸そのものが持っている本質的な作りが、アート化、デザイン化することにあまり向いていないということです。つまり、デザインのように均質なものを大量に作って生産していくことに向いていないし、西洋的なアート作品の中の文脈の中に落とし込んでいくと、日常性や用途がどうしてもネックになっていくだろうと思います。80〜90年代にバブルが起きたときに、工芸も大変売れました。ここが産地としての工芸の一番のピークだったわけです。そのときに、ちゃんと総括されていないのですが、多分こういうことが起きて、今の産地の弱体化の一因になったのではないでしょうか。一つは、ある程度のレベルのものをたくさん作ってどんどん出してしまった。つまり、品質そのものは実は落ちている。例えば江戸時代の蒔絵と今の数百万円する蒔絵を比べると、明らかにレベルが圧倒的に高くて芸術的な魅力があるのは、やはり江戸時代のものなのです。生産者(作り手)側よりも、販売する側、商売的に言われるままにそれを先導していくというやり方をしたおかげで、結局、作り手側がうまくそれに対応しきれずに置いてきぼりを食らってしまったというところなのです。その中で技術力も落ちてしまったということがあります。
 しかし、今一つ面白い動きが産地から出てきています。ここのところ輪島と九谷を行ったり来たりしているのですが、一つだけご紹介します。輪島で江戸時代の貝桶を再現・復元する貝桶プロジェクトが行われています。これに50人の職人さんたちが関わって、金属、金工、木工、漆、布など、さまざまな工芸的なものが詰め込まれている貝桶を作っています。これは通常の研究者主導のアカデミックな復元ではなくて、現地の職人さんたちの知恵を絞り出して作っていくというものです。
 そこで再発見されたことの一つは、産地とは卸問屋の集積だという考え方ではなく、技術集団だということです。つまり、問屋さんの集まりではなくて、あそこは技術が集積している人たちの集まりだと考えるということと、工芸を出来上がったものではなくてリソース(資源)とする考え方です。つまり、産地を再生していくのが最重要課題だろうということです。工芸の次のステップは、もちろんその中の頂点としてアートがあったり、デザインとのやりとりがあるのですが、産地そのものをどう再生するかが一番の重要なポイントだろうということが言いたかったのです。すみません。長くなりました。

(佐々木) 分かりました。それでは先ほどから手が挙がっているスプツニ子!さん。

(スプツニ子!) 私の話は大内さんと近藤長官の話に戻った話と意識についてです。私は2012年から今年の2月までクール・ジャパン推進会議の民間委員を務めさせてもらいました。そのときから、日本人の価値観や日本文化を対欧米や対海外の価値観という捉え方でいることには未来がないと強く思いはじめているのです。先ほど大内さんの話で出てきたサンリオのキティちゃんのオープンイノベーションにつながると思うのですが、欧米対日本ではなく、欧米の視点から見た日本文化をどんどん取り入れてミックスしていくことで、日本文化も進歩して発信していくというところがあると思っています。
 一つすごく大事な例が、西陣織の細尾さんという300年以上続いている西陣織のファミリーがあるのですが、もちろん着物は最近使われていないので、生産量、消費量がどんどん下がっている現状があります。ただ、2009年に細尾さんがミラノサローネに西陣織を出したときに、ピーター・マリノというインテリアデザイナーが目を付けたのです。彼はルイ・ヴィトン、シャネル、ディオールなど世界中のブティックのインテリアのデザインを手掛けていて、西陣織の生地がすごくぴったりだということで、西陣織を抜擢したのです。柄は全く和柄ではないのですが、西陣織を生かしてルイ・ヴィトン、シャネルなど世界中のブランドで内装をやって、西陣織は大復活をして、今もイケイケの新しい西陣織をどんどん作っているのです。それがすごくいい例だと思うのです。対海外という考え方では生まれないような発信がすごくあるのです。ですから、オープンイノベーションというキーワードがすごく大事になるのではないかと私は思っています。
 私は日本人と日本文化を理解していないアングロサクソンのハーフなのですが、だからこそ日本の良さも分かるし、アングロサクソンの良さも分かるし、ミックスしてもっといい文化をつくっていけるという考えがあるので、それはここにいる皆さんにも考えてほしいと思いました。

(佐々木) なかなか面白くなってきました。要は2015年の会議のコンセプトとアーキテクチャーをどうしていくかという話で、根底では、クラフトが持っている用の美、利便性と芸術性の二つを併せ持っていること、西洋のアートとクラフトというように分離されていないところに意味がある。この会議がそのことを新しい次元でどういう形で発信しながら世界的に認めさせていけるかということの端緒になるかどうかでしょうね。
 今、既に41都市の創造都市がある中で、少なくとも中国、韓国はアジア的価値観を持っています。私どもはもう一つ別のプロジェクトで、来年から東アジア文化都市事業というものも始めます。このように領土問題や歴史問題でぎくしゃくしているときだからこそ、文化で価値観を共有していく必要があるわけです。
 そうすると、金沢という地理的なポジションで会議を開くときに、アジアの二つの国とどのようにポジションを取っていくのか。それから、日本のクラフトの流れは恐らくチェンマイやインドネシアなどの東南アジアから来ていますから、こういう恐らく新しく候補になってくる都市とのネットワークも大事になってきます。また、神戸、名古屋、札幌など、既にユネスコのネットワークに加わっている都市に分担してもらう、あるいは共同作業をしてもらうということです。つまり、東京オリンピックを東京だけがやるという時代ではないので、金沢で行う会議が重層的な協力関係によって新しい価値観を出せるかどうかです。しかも、クラフトを通じてそれができるかどうかです。そういうことで、多分、開催実行委員長を引き受けるであろう福光さんが強くうなずいているので、ここで一言お願いします。

(福光) 明日また近藤さんからご意見をお聞きしたいと思いますが、この世界会議のメーンコンセプトは、多分そのころは100ぐらいになっているであろう創造都市に対して、共通的に投げ掛けるメッセージであった方がいいか、それともそのコンセプトの中に工芸の話を入れてしまった方がいいのか、それから金沢で開くのですが、そのことが日本の自然観や美意識を代表したようなメッセージであってもいいのか。その辺の度合いが分からないのが、今一番、私どもの困っているところなので、お時間もありますし、明日またいろいろと議論、あるいは教えていただければと思います。

(矢崎) 一つご提案ですが、先ほど、工芸と食とありました。これはメーンの会議のテーマということではなくて、アトラクションでいいと思うのですが、有名な料亭やレストランがたくさんあるので、そういったところと組まれて、たくさんの工芸家の方と組まれて、何か食事を頂いて、食べ終わったらその工芸品も全部セットで持ち帰れる、その代わり1セット3万円とか5万円とかでも、みんなお金を払うと思います。Just an ideaですけれども。

(佐々木) ありがとうございます。近藤さん、どうですか。

(近藤) 一部は明日に取っておくとして。一つ、幾つかの話に共通していることとして、例えば三ツ星級のレストランのシェフがいて、こちらにおいしいものを食べたい人がいて、その2人が同じ部屋に座っていても何も起こらないと思うのです。その三ツ星級のシェフが自分の材料を仕入れ、素晴らしい厨房があり、素晴らしい包丁があり、それと同時に消費者に対してもメニューを作り、コージーなテーブルを作り、ホームページにメニューを載せて宣伝をする。そのようなアートマネジメント的なマッチングをする人がいないといけない。
 特に伝統工芸、伝統芸能の世界ではそれだけでは不十分で、難しいけれども、消費者、つまり観客になる人に何かもっと分かりやすいイントロダクション、能なら能、文楽なら文楽、例えば杉本文楽や三谷文楽のように、ある程度分かりやすく、入りやすいようにしておきながらレベルを落とさないでそのレストランに連れてくるということも必要です。同時に、シェフに対しても、自分の持っているものを頑固に通すのではなくて、「今、若い人はこういうものを望んでいます。今のファッションはこうなのですよ」と教えることで、シェフも自分の持っている腕をそれに的確に合わせながら作っていくとうまくいくと思うのです。
 伝統工芸の方々にもいろいろな方々がいらっしゃいますが、どうしても自分のアトリエにこもって、300年前から伝わってきたものをひたすらやっている方もいらっしゃいます。そういう方に、プロデューサーなのかマーケティングのプロなのかデザイナーなのか分かりませんが、今はこういうものがはやっているのですと伝えて彼らを刺激する人が生まれることが、伝統工芸、伝統芸能が現代にも生きてくる非常に大事なポイントではないかと思います。
 時間がないので、ここでやめておきまして、先ほどのスプツニ子!さんのコメントにもコメントがありますし、明日、最後の福光さんのご質問にも答えるようにしたいと思います。

(佐々木) これはユネスコの創造都市ネットワークが共通で持っている大テーマです。アーバンクリエイティビティとサステナブルディベロップメントという概念です。福光さんからの一般的な宣言の範囲という質問がありました。金沢が特に打ち出すものは、私はこの真ん中にくると思うのです。それがクラフトイズムと置けないかと。
 クラフトが持っている概念で置き換えた場合、これは文化多様性と生物多様性の接点になると思うのです。つまり、生物多様性というのは、その土地固有の自然の資源です。クラフトはそもそも、その土地の資源を使って、技が加わってできているのです。ですから、生物多様性が減っていくと素材がなくなるのです。
 一方で、都市の創造性はまさに文化多様性なのです。地球上で文化多様性を失っていけば、地球は文化が画一的で何も面白くないわけです。そうすると、クラフトイズムとわれわれが呼んでいるものは、実は生物文化多様性というものを体現している概念なのです。バイオ・カルチャー・ダイバーシティという概念を金沢会議宣言として打ち出せれば。見せ方は、先ほど矢崎さんが提案されたような、全て1セットお持ち帰りいだたくということがあってもいいし、三ツ星シェフがずらりと並んで、それぞれの参加者の好みに合わせてフレキシブルに対応できるということでもいいかもしれません。そういった即興性も含めて。
 100年後の国宝というような話もありましたが、やはり相当時間をかけてこの会議を準備すると、後々、世界のこの問題は、金沢を抜きには絶対に語れないということです。この会議をそもそも始めた安江良介さんが言ったように、世界の都市の最先端のものを、毎年、金沢に集めないとできないのだと。それで経済同友会がKANAZAWA ROUND会議を始めたわけです。多分この話が21世紀ラボで、21世紀ラボというのは、日常的にそういった議論をしていくことで、まさに世界発信をしていくことになるのではないかと。これが創造都市金沢の第2ステップです。われわれの会議も10年やってきましたが、その次はそういったレベルに持っていけるかどうかです。
 今日は近藤さんと矢崎さんをお招きしましたが、会議の準備委員、アドバイザーを勝手にお願いしてしまおうと思っています。今日のフロアの皆さんも、今日のパネリストの他の方々も、2015年の金沢会議のアドバイザーだと。あるいは積極的な参加を頂くということをお願いして、このセッションを閉じたいと思います。どうもありがとうございました(拍手)。

 

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第一日目 12月5日

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