第6回金沢創造都市会議

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全体会議

全体会議 12月9日

歴史と文化を活かして、金沢の個性に一層の磨きをかける
いわばルネッサンスを継続していくことが大切。

全体会議
議長:水野 一郎 氏(金沢工業大学環境・建築学部 教授)











(福光) おはようございます。本日もよろしくお願いいたします。昨日の第1日目に引き続きまして、山野市長もご出席です。どうぞよろしくお願いいたします。
 全体会議は、お隣にいらっしゃいます水野一郎さんに議長をお願いしております。私はお手伝いをしながら、水野議長に進めていただきたいと思っています。まず、昨日はセッション三つと、もちろん基調スピーチ、ゲスト講演がありました。全体につきまして水野議長に総括的なコメントをいただいて、セッションのコーディネーターの方々に簡単なまとめをお願いして、それからディスカッションに入っていこうかと思います。
 では、水野議長、よろしくお願いいたします。

(水野一郎) 水野でございます。おはようございます。
 昨日のプログラムの5時間半が長かったか短かったか、それぞれの考えをお持ちではないかと思います。全体テーマは「都市の再創造」でした。金沢創造都市会議は、都市というものをいつもテーマに取り上げております。国家でもない、あるいは広域でもない、都市という単位は、多分、生活も文化も経済も環境も、みんな見える範囲にある、実感できる単位です。ここに来ている皆さんのお顔も、知っている人がほとんどで、顔が見える範囲で市長さんはじめみんなで語ろうという、それが都市の単位です。
 この間の東日本大震災でも、非常に頑張っているな、面白いことをしているなというのは、やはり都市の単位、町の単位のような基礎自治体で、そこに復興する力があるなと感じるわけです。やはり実感してみんながつながっていける単位だろうと思います。
 ゲストスピーチがありました。近藤長官からも、都市というものがこれから日本の国家を支えていくのに非常に重要なエレメントになるのではないかというお話がございましたが、われわれはずっと都市というテーマでとらえております。
 その「都市の再創造」ということで、三つのセッションがあって、それぞれ「Re」が付いているのですが、再創造の「再」をReと置き換えると「Re創造」になるというので、本当は「理想像」という形にしようかなどという話も出ていたのですが、ちょっと恥ずかしいねという感じで、「Re創造」を「再創造」という形に置き換えました。本当は理想像を求めたいなということです。
 昨日のいろいろな話し合いの中で印象的だったのは、一つは日本の進んできた道、あるいは金沢の進んできた道を含めてですが、いろいろな価値観、美意識、スケールを含めて、戦後のパラダイムが一回終わったなという感じ、一段落したということです。重厚長大のようなものから小さくとも光るもの、横並びや水準というものから多様化や個性化というものに移る。あるいは、経済的効率性、合理性のようなものからもっと楽しいものに、魅力あるものに移っていく。それから、数量的にも人口縮減といったことがあります。縮減の社会と同時に、余剰の社会というのでしょうか。だいぶ余っているということが分かってきたわけです。例えば住宅で言えば、世帯数よりも住宅戸数の方が多い。だから余ってきている。必要なオフィス床面積よりも現有の床面積の方が多い。必要な学校数よりも今ある学校数の方が多い。必要な倉庫や工場よりも今ある、残っているものがいっぱいあるという余剰の時代だということも見えてきました。
 それからセッション3でもありましたが、IT化があって、この都市空間、国土空間の中に情報がばんばんぶっ飛んでいて、それもパラダイムとしては今まではマスメディアが中心の情報化社会だったのですが、今や個人の情報が飛び交っていて、それが大きなうねりをつくることができる。よく蝶の羽ばたきがぐっと回って、いつのまにか嵐になってしまうという話がありますが、まさにそれがメディアの中に生まれてきていると思います。そういう意味でいろいろなパラダイムがあって、だからこそ都市も変わっていくのだろうということです。
 創造都市会議は、金沢学会を含めてこれが11回目ですが、そうしたパラダイムの展開については、最初のころからかなり認識はしていたのではないかと思っています。自己確認は済んでいて、そんな中から創造都市という次のステップへ行こうではないかということ、すなわち、都市がもっとクリエイティブになるべきだというところへ持っていったのが、この会の始まりではなかったかと思います。
 今日は私の方から基調スピーチとゲストスピーチのことを少しお話しして、第1セッション、第2セッション、第3セッションについては、それぞれのコーディネーターの方から説明、発表していただきます。
 基調スピーチで飛田会長からは、都心にありました金沢大学の移転、附属学校の移転、それから県庁の移転等によって、みんなが議論していって21世紀美術館が生まれ、しいのき迎賓館が生まれ、金沢城の中に徐々に復元が始まってきた。それによって金沢に発信力が非常に生まれてきたということ。それから、今までなかなか入り込めなかった都心だったのが、誰でも入り込める、いろいろな人がそこで活躍できる場になってきたというような報告がございました。
 それに付け足せれば、われわれのこの創造都市会議がユネスコで認定され、それから歴史都市として日本の国、国家から認定され、あるいは伝建地区が金沢市内に3カ所も生まれました。昨日パーティがございましたラモーダ含めて、金沢のメーンストリートは金融の機能に占められていたのですが、その金融が縮減化したり、IT化したりして、まちのにぎわいがなくなっていった中に、新たにコンバージョンしようよということを、この会議で随分提案しました。都心というのはもっと楽しいはずだ。「みやこごころ」と読める。だからもっと楽しい都市にしようではないかということがあって、ラモーダが入ってきたり、あるいは辻口さんのスイーツの学校が入ってきたり、ペット学校ができたりして、若い人たちが集まる都心に少しずつ動いています。そのようなことを考えると、21世紀美術館にしても、しいのき迎賓館にしても、金沢の都心の枠組みのようなものが、少しずつ変わってきたのだなと思います。
 1、2、3のセッションで、実はパネラーの人たちは非常に若いアーティストや行政担当者など、いろいろな人がいるのですが非常に若い。そういう人たちのエネルギーを金沢は今吸収しているところですが、金沢自身の枠組みの中から、アーティスト、編集者、コーディネーター、あるいはいろいろなクリエイターなどが生まれるにはどうしたらいいのかというのが、この再創造の最後のテーマではないかと思っております。
 ここに来られている経済同友会の方々も、30年前から経済同友会はまちづくりに非常に熱心で、まちなみ保存、建築保存、用水の復活などさまざまなこと、あるいは都市美文化賞などというものを日本で初めて作った経済人です。そういう旦那衆たちがいっぱいいるまちが継続していくのですが、それぞれの旦那衆たちの産業そのものも、ぜひクリエイティブに育っていくという、何かそのようなことが都市をさらに元気にしていくのだろうと思います。ですから、この会議で生まれてくる枠組みと、それを生かしていくさまざまな活動が要るのではないかと思っておりました。
 もう一つ思いましたのは、「まれびと来る」という民俗学の話がありますが、赤鬼伝説や青鬼伝説があって、赤鬼が何か鉄の棒を持ってくる、何かまちを引っかき回すというのは、そのまちに何か新しいものをもたらすことができたということだろうということです。日本はずっとそういうことを経験してきたと思います。仏教伝来にしてもキリシタンにしても、それからペルーの来航にしても、外の力が加わってきて変わっていきました。金沢も多分、これだけのストックがあるといっぱい褒められるわけですが、そのストックを生かすところで今言った金沢自身の人から出てくる創造力と、それからよそから来て引っかき回していってくれる創造力のようなものと、その二つが生まれるといいなと思いました。
 私はそのようなことを思っておりますが、第1セッション、第2セッション、第3セッションの順で、これからそれぞれのセッションの総括をしていただきたいと思います。
 それでは、第1セッションの方からお願いします。

(佐々木) おはようございます。あらかじめ3分ぐらい時間を頂いていますので、3分も使わないつもりですが、多分しゃべりだしたら止まらないので、そのときは途中で切ります。
 お隣に高木さんがおられるので、後で高木さんの感想はぜひ伺いたいと思いますが、金沢創造都市会議が生み出したものが幾つかあって、文化庁が始めた創造都市ネットワークや文化庁長官表彰、これは金沢が生み出したものだと私は思っているのです。同じように、経産省にクリエイティブ産業課が置かれるようになったのも、この会議が生み出したものだと思っています。
 この会議は日本で初めて「創造都市会議」と銘打ってやって、それで金沢の中に21世紀美術館を造ったり、いろいろな新しいものを埋め込んだりしてきたのですが、同時に日本の中にも新しい、日本全体に影響を与えるような仕掛けもつくってきたと思います。そういう流れを、それこそ福光さんと振り返ってみたときに、皆さん方とクリエイティブコミュニケーションを取りながらやってきたと、昨日私は言いました。
 昨日の第1セッションのキーワードの一つは、「クリエイティブコミュニケーション」だったと思います。クリエイティブコミュニケーションを通じてさまざまな出会いをし、さらにお互いがお互いに刺激し合って、そこでセレンディピティが生まれる。つまり、都市の中にも偶発的に新しい価値を生み出すような力というものが付いてきて、そして個々人や企業にもそういったものが宿ってくる。いわばこれは金沢の歴史を、例えば10年振り返ってみたときにそういうことだったのかなと思っています。
 セレンディピティについては、これから先もっと意識的に創造都市会議や金沢というまちがそれについて研究していく、あるいはそれをどう意識化していくかということが一つの目標になってもいいなということを話し合ったのだと思っています。
 第3セッションの方では、早速それを受けていただいて「21ラボ」の話が出てきました。「21ラボ」にある機能というのは、実はセレンディピティの話だったのではないかと思います。それから、馬場さんが言われたR不動産の場合、不動産業だけではクリエイティブではない。けれどもメディアとデザインと情報がつながっていくとクリエイティブになるという話、これもまさにセレンディピティだと思うのです。
 そういう形でどんどん既存のものが変わっていくような連鎖、こういうことをこれからどうやってより意識化していくかということが大事なのではないかと思っております。

(水野一郎) ありがとうございます。それでは第2セッションの方から。

(大内) 今のセレンディピティというのは、ちょっと難しいですが、偶発的にいろいろな出会いがあるということです。「まちのRE」、アートでリノベーションという言葉が昨日も出てきましたが、リノベーションというのは単なる修繕とは違いまして「リ・イノベーション」ですので、新しい価値を生み出すということだろうと思うのです。
 第2セッションでは、最初にマーケティングのアナリストである三浦さんから、私たちは高度成長を機に郊外に移転して一戸建ての家を造り、あるいは畑をつぶしてショッピングモールをたくさん造った。でも、それで私たちは満足しているのだろうか、幸せなのだろうかということに大きな疑問を、今、特に若い人たちから提起されているという具体的な事例が提起されました。
 そして、その一つの回答として「シェア」というキーワードが出されました。確かにまだ実際シェアハウスに住んでいる人は非常にわずかですが、特に若い女性たちに聞いてみると、3割、場合によっては4割以上もの女性たちが実はシェアを実際にしてみたいと言っているというのが現実で、少しずつそういう動きが今始まっており、将来かなりのレベルまでそういう形になるだろう。あるいは、若い人たちだけでなく、間もなく団塊の世代がリタイアをします。私も団塊の世代ですが、そうすると彼らがどういう行動を取るか。まさに郊外からもう一度都市へということで、都市の楽しさ、都市の面白さ、まさに出会いを求める都市の楽しみを求めて、例えば都市の中の空き家を改装してそこでシェアをしていくというような動きを始めるかもしれないし、あるいは既に都市の中で何かお持ちの方が、自分だけですべてを私有するのではなく、場合によっては持ち切れないということも含めて、では皆と一緒に共有をしていこうという動きが、これから出てくる可能性があります。例えば金沢のような歴史都市が、もともと持っている多くの資産をみんなで利用していこう、みんなでシェアしていこうとか、いろいろなところにそういう可能性があるという話がありました。
 建築家の馬場さんからは具体的に、東京の東側の、まさに江戸につくられた日本橋を中心とした地区は、東京が成長する中で相当乱暴に開発されたのですが、辛うじてそこにはまだ職人さんも生きており、古いオーナーが持っているタイプの小さい建物が古びた形で残っている。それを改装してみたら、若い人たちに非常に人気が出てきたという事例をたくさん紹介してくださいました。ぼろぼろのビルが白いペンキを塗ったらとんでもないおしゃれなものに変わって、青山や渋谷等々よりもはるかに人気のある宝石屋さんができるなど、さまざまな形の事例が昨日紹介されました。
 こういうことは今までの不特定多数の、最大公約数の人たちに人気のあるような商品を生み出していくということとはだいぶ違っていて、ある種のこだわりを持った人たちにとってはいいのですが、そういう人たちがこれから都市の中に増えてくると、今度はその人たちがお互いの交流の中で偶発的な何かを生み出すということにつながっていくわけです。
 実は水野雅男さんから、金沢でもそういう動きが一部では始まっているというお話がありました。現実に町家を改修してそこにアーティストたちに住んでいただく、あるいは、そこを仕事場やギャラリーに改装していくということを、市の方でも支援していただいてやっているそうです。どのようにすればそれが可能になるかというと、かなり多くの方たちがいい物件をお持ちでいながら、やはり住み続けるのは困難だというものを、定期借地という形で上手にお借りして、あるいは市の助成や実際のコストを家賃としてお支払いするような形で経済的な負担もうまい具合に軽減する。そういう仕組みができたという事例を紹介していただきました。
 結局、そういう意味では、むしろ旧市街が大変多くの資源を持っているということを、もう一度私たちは見直さなければいけないということが、大事なポイントだったかと思います。

(水野一郎) ありがとうございます。それでは第3セッション、お願いします。

(宮田) 昨日は鄭さんと鹿野さんにいろいろお話をいただきました。幾つかキーワード的に面白い、非常に参考になるなと思ったのは、まず鹿野さんから、文化を継続させていくためにデザインを使っていくべきではないかというお話が出て、鄭さんからはデザインとは意味をつくることだというお話が出ました。昨日は、文化、デザイン、アイデア、テクノロジーというものの重要性の話をしたと思いますが、そんな中で、今のお話にもありましたように、セレンディピティという言葉が今回は結構象徴的なキーワードだったかなと思います。
 私の方から、シリコンバレーについて一つテーマとしてお話しさせていただいたのですが、シリコンバレーは、いわゆるテクノロジーだけではなくて、人々の生活をより良くしていく努力をしている場所なのです。その中で彼らは必然性を持ってやっているのです。それをわれわれ外の人間が偶発的に見つけたり、ここがセレンディピティになっているのかなという気がしたりしているのですが、この金沢で新しいモーメンタム、うねりを出していくためには、こういった活動が必要なのではないかと思うのです。
 最初に言いました文化、デザイン、アイデア、テクノロジーの重要性ということを、このまちはすごく分かっていると思うのです。ですから、それをうまく使いながら、誰もが憧れるブランドをつくっていくことが、僕は必要だと思っているのです。昨日話した「21ラボ」というのは何のためかというと、それが形としてでもいいし、クラウドという形でもいいと思うのですが、そういう金沢ならではの、世界にないようなブランドをつくり上げていくべきではないか。
 そんなことをやっていく、これは実験的な意味ももちろんあると思うのですが、まだ誰もやっていないような、なおかつ、日本にも世界でも例がないような例えばアートや美術館、こういうところからこういうモーメンタムが飛び出していくと、非常に面白い活動になっていくのではないかという話を昨日したと思います。
 この辺のお話をベースに、今日は議論できたらと思っています。

(水野一郎) ありがとうございます。基調スピーチから第3セッションまで、一通り昨日の流れを振り返ってまいりました。
 そんな中で福光さん、次の金沢学会に向かって、昨日の議論の中から何か感じたことがありましたらお願いします。

(福光) 金沢学会と創造都市会議が交互に行われている理由は、今、議長がおっしゃいましたように、今日で次の1年の課題を大体整理して、1年間かかって実現に取り組んで、金沢学会で中間報告や発表をするためで、そういう仕組みを重ねてやってきているわけです。この方法は大変効果が上がっていると思っています。したがって、今日のこの全体会議で幾つかの、僕たちで言うワークショップのネタ、あるいはアクションプランというものを見いだしたいと思っているわけです。
 今、宮田さんがおっしゃいました「21ラボ」というものが、一つはっきり存在すると思います。それで「セレンディピティ」について、この金沢創造都市会議で日本語の適訳を作りたいと先ほど佐々木先生と話していたのですが、このままの言葉ではまた意味が多様すぎて、一人歩きしすぎる恐れがあるので、何か金沢風の翻訳を早くしたいのですが。僕自身は、酒蔵というところがお宮さんのようなものなので、「降神」、神が降りるというのをいつも経験しているような人生なのですが、セレンディピティというのは私に言わせるとそれぐらい神懸かるのです(笑)。しかし、この神懸かるというのは、別に酒蔵と21世紀美術館は同じようなことであって、つまり神の宿る場所をどうつくるかということなのです。
 それが金沢の中で幾つもあるかどうか。大きいものから路地の裏まで、幾つもあってもいいというわけで、したがって、セレンディピティというのは究極的にリアルなのです。バーチャルではない。人と人が触れ合う、出会うというところから生まれる。ここを金沢は徹底的にやるべきだと。金沢はバーチャルシティではありません。徹底的にリアルシティです。人が集まってきて、わざわざ金沢に来て、それでいろいろごちゃごちゃしながら次のエネルギーを生み出していく、そういう場所に金沢はなるべきであって、多分、うまくいけば、この創造都市というものの定義はそういうことだったのではないかと思うぐらいで、これをぜひ目指すべきだと思うのです。
 そのために、昨日の基調スピーチの論調をお借りすれば、奇跡の一つである21世紀美術館のブランドを当然もっともっとブランディングしていく、あるいは分かりやすく言うともっと応用していくことが必要であると。その一つが、いかに産業・・・、産業ということはなかなか難しいので、それで「クリエイティブ」が付くと何か面白くなるような感じですが、産業というものは本来クリエイティブ産業でなければいけないと。その時代、時代にクリエイティブだから産業になっているわけであって、時代を外すと産業が廃れるということですから、クリエイティブ産業そのものがえらく目立つものだけではなくて、金沢の場合は例えば伝統工芸をはじめとする工芸なども、あるいは芸能などもすべてクリエイティブ産業だと私は思っています。
 そういう意味での産業ととらえた場合に、21世紀美術館のブランド力を使って、さらに具体的にリアルにそういう新しい力、あるいは新しい産業の付加価値を生み出していくにはどのようにしたらいいか、その仕組みをつくることは大いに可能だろうと思うのです。特に金沢は、eAT KANAZAWAをずっと続けておりまして、今度16回目になりますが、ITデジタルアート関係の人材が金沢に年に1回、セレンディピティを目指して集まってきているわけです。そういう人たちと、それからこのような会議で出会っている皆さま、ゲストの皆さまと、いかに人間のデータベース化をすると言うと変ですが、リアルにサークル化すると言うか、そういうことをつかさどる機能さえ持てれば、いくらでもセレンディピティをつくり出すことになるし、それから具体的にある産業をターゲットにして、それをクリエイティブにしていくことができるはずだと思うのです。
 ですから、この21世紀美術館のブランド力と、継続した力になっているeAT KANAZAWAの人材力とを掛け算して、そこに上手なディレクションをかませれば、非常に大きな、シンクタンクというのはちょっと古い言い方なのですが、セレンディピティタンクというか、何かそういうものができるのではないかと思っておりまして、これは大いに議論し具体的にしていく、あるいは21世紀美術館にとっても今後の在り方を考えていくときの大きな課題だろうと思います。
 それから、同じように21世紀美術館のブランドの話をもう一つだけしておきますと、水野雅男さんが一生懸命やってくれている町家の話、昨日も馬場さんに随分いろいろ教えていただきましたが、この金沢の場合、町家のリノベーションを21世紀美術館のパワーを使ってやるというのは実は当たり前ではないかと思っているのですが、まだやっていないですね。幾つかのものを群にして、21世紀美術館の町家分館というような考え方を取り入れて、1軒1展示でもいいのですが、そのような群を作って、かつそこに泊まれるようにするというようなことまでうまく入れていくと、相当人気が出るのではないかと思っています。
 この場合は、先ほどから町が変わったところの中心が、みんな中心部の話ばかりですが、町家の場合は金沢全域にあるわけで、もっと点在させてもいいし、あるいは武蔵地区をもっと集中的にそういうことに使ってもいいというようなことも思っております。21世紀美術館ブランドをいかにクリエイティブに応用していくかが、これから金沢の課題です。それから、これまで市としてやってきたことに、随分財産力があるということを考えるべきではないかと思います。
 ついでに、取っ掛かりのたたき台の課題を幾つか挙げてしまいますと、もう一つは、先ほどちょっと触れましたが、工芸というものです。工芸というものをどうするか。昨日・・・、いつでしたか、秋元さんの話を聞いたのは別の会議でしたね。失礼しました。いつもしょっちゅう工芸の話をしているので、いつか分からなくなったのですが、工芸というものも、この創造都市は工芸部門でユネスコに認定されていますが、英語で定義がcraftとfolk artになっているので、クラフト、クラフトと言ってきたのですが、ユネスコの登録の定義は別にしまして、正式に「工芸の創造都市」というふうにきちんと、日本の中では日本語で言っていくべきですし、海外においてもKOGEI(工芸)というものをやはり訳さないで使っていく時代が来ているのではないかと思います。
 そのときに、まだ少し整理をしなければいけないのは、伝統工芸というものの中にすべてがあるというようになっているのです。現代工芸というものもありますし、それから工芸全体の中に、当然ですが美術工芸というものがあります。それから、おしゃれメッセで、去年、今年とチャレンジしだした生活工芸という定義があります。工芸が金沢で非常に重要な産業であることは間違いないのですが、重要な産業であればあるほど、もっともっと売上高と付加価値額を生み出すものでなければならない。実際には伝統工芸の世界というのは、この10年間でほとんどの分野で出荷額が半分以下、極端に言うと3分の1ぐらいになっています。これはやはり今のうちに、大きなセレンディピティも含めて、クリエイティブパワーを注がなければいけないのではないか。
 もちろんリーダーとして、リーディングアイテムとして美術工芸があり、そしてそこにいらっしゃいますが、大樋年雄さんの父上がこの間文化勲章を受けられたり、そういう素晴らしいメダルがあるわけですから、その美術工芸がシンボルであることは間違いないのですが、そのすそ野を広げてそれぞれが食べていける・・・。変な言い方ですが、食べていける工芸産業をつくらないといけない。つまり、それだけものをすてきにする必要があるということを強く思っております。
 そのときには美術工芸というものと、仮称「生活工芸」というもの、つまり毎日皆さんが、お客さまがお使いになる工芸品、これは食器だったり、何かその人が使う道具だったりというものです。伝統的な貴重品として美術的に扱うというものはもうたくさん存在するのですが、毎日使っていくための工芸という分野を、もっときちんと産業化する必要があります。
 このためには、技術論もあると思いますし、それから一つはいわゆる経営論、マーケティング論というところが大変必要です。それで昨年の春ごろにエルメス社のディレクターを二人お招きして、金沢の比較的若手の工芸工房を一緒に巡って見ていただいたことがありましたが、そのときにその人たちから大きな課題だと指摘されたのは、作っている人たちが、自分がアートを作っているのか、商品を作っているのかを自分たちに説明できなかったという点で、そこが非常に大きな問題だと言われました。
 それで例えば、卯立山工芸工房でも技術を研さんして教えるわけですが、その一環としてか、その外枠でもいいのですが、あるいはクラフトビジネス創造機構でもいいのですが、工芸の世界にビジネスを教える、あるいはマーケティングを教える、つまり商品開発を教える、そういうビジネススクールの分野を一緒に機能として持たないとなかなかうまくいかない。あるいは、いろいろな若手の人が商品を作り出していくときに、今度は人目にさらして評価を受け、販売を試みる必要がありますから、そういうこともできるような、一つの言い方ですが生活工芸館のようなものが要るのではないか。これは21世紀美術館と掛け算でもできると思います。21世紀美術館の運営が文化財団だからできるとかできないとか、そういう話ではなくて、運営は文化財団なのですが、そういう部分は21世紀美術館のパートとして、市のものづくり産業支援課やクラフト政策推進課などが掛け算になってそういうことをしていくということも大いにあり得ます。それから、そういうことを含めて総合的に未来工芸、後で多分、秋元館長のご発言がありますが、そういうことをお考えのようですし、先々に工芸の未来を切り開いていくということは、日本の中ではぜひ金沢がするべきで、当然、世界産業として工芸が出ていくときに、その部分をしっかりしておかないと、アートの工芸だけで世界へ攻めていくというのはなかなか、分かりやすいですが産業にはならないという感じはしておりますので、工芸論として一つテーマがあると思います。
 それからもう一つだけ。たたき台が多すぎますが、いわゆる創造都市になってから工芸のクリエイティブツーリズムというものを随分一生懸命振興していて、サンタフェなどの例から勉強して、今、相当、市の人たちだけでもクリエイティブツーリズムができるようになってきました。それをやっているのを見て、民間でもクリエイティブツーリズムのような観光プログラムができるようになってきています。
 これはまだ本当に半日とか、せいぜい長くて1日という話なのですが、そうではなくて、長期滞在型のクリエイティブツーリズムを金沢が開発すべきです。これは何かというと、和文化を身に付けるために金沢に行くという仕組みをつくる。伝統芸能、先ほどの工芸から食まで、さまざまな財産が金沢にあります。それらをうまくカリキュラム化するようなことをして、例えば最低1週間、長いと1カ月、あるいは3日滞在を毎月など、そういうプログラムを開発して、ある人は笛を吹けるようになる、ある人はお茶をたてられるようになる、ある人はお茶碗を作れるようになる、あるいはある人は着物を自由に着こなせるようになる、そのようなプログラムというのは、考え出すと切りがないほどあるのです。この分野は、もちろん文化センターはあるのですが、そういうものを含めていろいろなことを総合して、今申し上げているような、本当のことを身に付けられるような長期型のクリエイティブツーリズムというものを考えていくと、大きな産業になる可能性があります。これは出ていくのではなくて、人を来させるというはっきりとした目的があるもので、金沢でそういうことを体験して、何かの認定を与えて、そしてそれを人々が大変自慢にして楽しく暮らしていただけるような、そんなポジションも金沢は取れるだろうと思います。
 21世紀美術館にかかわることが多かったですが、産業のパワーを付けるような方法、それから町家のリノベーションに21世紀ブランドが使えるのではないか。それから工芸というもののはっきりした、いい意味での再創造、それからクリエイティブツーリズムの長いプログラムというようなことを、私から冒頭に課題として投げさせていただきました。

(水野一郎) いや、大変ですな(笑)。四つほどご提案がございました。いずれもクリエイティビティの大変高いアクションプランです。21美の秋元館長、昨日のセッションをはじめ、21美に対しては随分膨大な期待がいっぱい入っていますね。しかも、コンテンポラリーアートから工芸まで幅広く、また、町家の会場までというふうになっていくと、もう21美の枠を超えて、都市全体で21美的な活動をしなければいけない、そんな雰囲気ですね。ちょっとコメントいただきたいと思いますが。

(秋元) 曲がりなりにも21世紀美術館を預かる者としては大変光栄ですが、非常に期待が大きいので、あらためてもっともっと勉強しなければいけないかなと思っているところです。これは私なりの理解ですので、またいろいろ教えていただければと思いますが、ちょっと自分も整理するために、21美的なものの使い方というのを昨日から考えています。
 一つは、21世紀美術館ができて、いろいろな効果があったと思うのですが、今、話題になっている21美的なもののコアにあるものとは、こういうことかなと思っています。外から見たときに、あるタイプの人々というか、例えばそれは大きく言えばクリエイターだったり、クリエイティブなことに興味のある人たちだったり、新しいことに非常に感度の高い人たち、これは多分、年齢というよりも生き方や価値観の方向性だと思いますが、そういう人たちに「金沢という面白いところがある」ということを伝える役割のようなものがあったのではないか。それまで金沢と言えばどちらかというと伝統的なまち、保守的なまちとしてイメージされていたのが、新しいことが好きな人たち、クリエイティブなことにかかわっている人たちが金沢を意識していく大きなきっかけとして、21世紀美術館の活動があったのではないかと思っています。
 それを一つ、非常にざっくりとした話ですが、財産として考えていくと、これから21美的なものを展開するというときに必ず必要なことは、「新しいことが起きそうだな」「新しいアイデアがここにかかわれば生まれそうだ」「金沢にいるのだけれども、もっと広い世界的な動きとかかわれそうだ」「何か自分も刺激を受けて新しい価値をつくり出せるかもしれない」、そのようなことが期待されるような取り組みになっていくことだろうと。例えば、昨日から出ている町家の再利用や、ITにかかわるようなものからも、すべてそういうものが何か発信されていなければいけないだろうと思っています。
 昨日からお話を聞いてきて、私自身も最近感じる方向としては、まちの全体の方向として、いろいろなベースになるような資源は諸先輩方の努力で積み上がってきた。それを土台にして、いよいよクリエイティブな産業、ビジネスを、小さいものでもいいから生み出していくような力をまちが持つための、最終的な仕上げが何かということだと思うのです。それは多分、人を呼び込む力を、例えば資産としてある町家や、ITに力を入れている部分、さまざまな市の文化政策などがあると思いますが、その中につくり込んでいって、人を呼び込んでくるということだろうと思うのです。
 そうすると、一つは住宅の部分でいくと、若手のクリエイターが、短期でも長期でもいいのですが生活できると同時に、それは金額的なこともありますが、同時にその住んでいる場所が、ある種のクリエイターたちのコミュニティになっていて刺激を受けることができる。そして、またそこでビジネスを実験し、立ち上げることができるというようなところだと思います。
 昨日は、各先生方、講師の皆さんの話の中に実際の具体例が幾つもあったので、それを金沢的にどう結び付けていくかということだろうなと思ってお聞きしていました。そのときに、一つの21美のブランドのようなものを広げていって、全体をイメージとして使っていくということができるだろうと思っています。
 結構、これはそんなに抽象的な議論展開でもなくて、割とコアになるコンセプトをつくって、そこに今まで皆さんがやられていることを、どこにどういうステージで差し込むかということで結構できてしまうかなという気もしています。具体的な施策に落とし込んでいくのに、そんなに手間はかからないかもしれないと。市長の決断などいろいろありますが、「行こう」と言っていけばできるのではないかという気もしないでもありません。
 21美としては、その役割の中で実際に使っていく場所として、具体的な役割を幾つかのラインナップをつくっていく中で考えていくのだろうなと思っています。大きく言うと、21美というのはこれまで7年過ぎていますが、いわゆる世界で通用するような優れた現代美術というものを、クオリティにこだわって金沢から発信するということをやってきたわけです。これまではそれを美術という枠の中でやってきたわけですが、今度は金沢のまちづくりとより強い連動をさせていって、一緒にシナジーのような効果というか、それを意識したような展覧会づくり、プログラムづくりというものをやっていく時期に来ているなと思います。
 私としてはその実験のつもりで、ここのところ工芸とかかわらせてもらっています。今はまだ美術館の中のダイレクトな企画の中に落とし込んでいるわけではないのですが、逆にクラフト政策推進課や市の皆さんと一緒に、「工芸トリエンナーレ」などをやっています。これは大樋年雄さんなども深くかかわってもらっている今の金沢市工芸協会などの力も大きく借りながらやっていて、美術館の中だけでそのプログラムを作るのではなくて、もうちょっと金沢の中にいるクリエイター、クリエイティブなことにかかわっている人たち、またそういう仕事をやっていけそうな、編集できるような、プロデュースできるような人たちと共同で一つのテーマをシェアしながらやっていく。美術館のことは全部美術館のスタッフの中だけでというのではなくて、プロジェクトごとに、テーマごとにというか、チームを組んでやっていくみたいなことを今実験していっています。
 これは結構、いろいろな意味でいいなと思っているのが、課題が共有できて、現状をお互いに認識することができる。片方の目だけで、つまり例えばキュレーションする目だけで工芸の問題を見ているのと違って、現場で制作しているアーティストの課題やリアリティの置き場所がどこにあるか、その双方に課題を別の角度から共有できていて、割と立体的に物事をとらえていけるなと思っています。そういうやり方をしていくことで美術館の中の動きもだいぶダイナミックに、ダイナミズムができてくるというか、いわゆる単なる学芸員ばか、研究者ばかのようにならずに、もう少し生きた形でアートというものを考えていくことができる。そういう時期に来ているので、昨日からのご提案は内側を刺激する意味でも大変面白い動きになるかなと思っています。
 当面、美術館の具体的な事業としてかかわれそうなこととしては、一つは工芸があります。これは美術の問題だけでなく、まさに福光さんが言われたとおり、金沢にとってというか、石川にとって重要な地場産業でもあるので、美術館として単に工芸を美術の問題として扱うだけでなく、産業育成を支援していくような役割を文化施設が担っていくことができるかどうか。これもまた美術館としては新しい取り組みでもあるので、そのような視点から工芸とかかわっていきたいと思っています。
 もう一つは、宮田さんなどがやられている美術館のブランディングのところで、実は3年後に10周年が来るので、このあたりで次の時代のブランディングを考えなければいけないということで、もう少しリアルな、美術館の中で起こっていることと、バーチャルに情報として発信していけるものを組み合わせたいということで、ここを実験場にしてもらえればいいかなと思っています。その中で新しい取り組みをどんどん入れてもらっていきながら、もしビジネスになるのだったらそれは展開していけばいいしということを考えていて、この二つが当面、美術館として具体的な事業に落とし込んでいけるところかなと思っています。長くなってすみません。

(水野一郎) いいえ、ありがとうございます。7年間で1000万人という集客の大きさだけでもびっくりするのですが、われわれから見ると現代美術という形でアジアの作家、ヨーロッパの作家、アメリカの作家、あるいは国内の若手作家が来て、びっくりするような作品がいっぱい出てきて、カルチャーショックを受けるわけです。それはほとんど先ほど言った「まれびと」のようなもので、全然違うものが入ってきて「わっ」と思って、みんないろいろな刺激を受けています。
 そういう21世紀美術館のコンテンツとともに、まちを開こう、まちと一体化しようというこの動きが始まったら、それこそまた21美の評価が高まるのではないかと思います。そして逆に、それを金沢がどれだけ受けていけるか、まちがどれだけ受けていけるかという勝負にもなるのではないかと思います。
 高木さんにちょっとお伺いしたいのですが、先ほど福光さんの方からも出たとおり、昨日の話の中に、クリエイティブ産業とか、いろいろな種類の産業がありました。すべての産業がクリエイティブにならないと生きていけないのではないかという話、それから今、アートの方からも産業支援をしていきたいというような話がございました。そういう意味で、少し昨日からお聞きしていての感想も加えて、コメントをいただけたらと思います。

(高木) 私は3年かかって経済産業省に今年クリエイティブ産業課をつくったのですが、つくった瞬間に「しまった」と思ったのです。何かというと、佐々木先生にはもうお話ししているのですが、世の中、「クリエイティブインダストリー」ではなくて「クリエイティブエコノミー」にもうなっていた、ちょっと遅れてしまったなと正直思っているのです。
 まさに福光さんがおっしゃられたとおりで、すべての産業がクリエイティブであるべきだから、例えばデザイン業というのはクリエイティブ産業に登録されているけれども、自動車は登録されていないという事態になってしまうと、「自動車会社の中にもデザイナーはいるではないか」という話になるのですよね。イギリスなどはそれに早くから気付いて、産業分類ではなく職業分類でクリエイティブということをとらえ直しているのです。そうすると結局、皆さんがおっしゃっているように、人が中心のネットワークをどうやってつくるかということと、私が一番大事だと思っているのは、クリエイティブとはプロセスのことなのではないかということなのです。セレンディピティというのはまさにそういうことで、どうやってクリエイティビティが上がるようなプロセスを、行政なり産業界がまちにインストールしていくかということが、多分ここで皆さんがお話しになっていることの根幹なのではないかと思っています。
 私はすごく気分が上がる会議だなと思って、ずっと楽しくお話を聞いていたのですが、ちょっとシリコンバレーの話が出たのでお話をすると、私は2006年から2008年までスタンフォード大に留学していたのです。シリコンバレーというのは本当に気分が上がるまちで、着いた瞬間に、銀座にもあるのですが、シリコンバレーのアップルストアを見ると、みんな「やっと来たぞ」と思うわけです。「何かここで成し遂げてやるぞ」と思って世界中から人が集まってくるような場所になっているのです。
 私は向こうにいたときに、スタンフォード大がシリコンバレーの形成にどうかかわったかということをちょっと調べていたので、幾つか「21ラボ」のヒントになると思うことをお話しすると、彼らの成功している要素は大きく分けると三つあって、一つ目がムードだと思うのです。気分が上がるまちをどうやってつくってきたかということです。アイコンとロールモデルがやはりあるなと思っていて、ロールモデルで言うとまさにスティーブ・ジョブズさんがそうですし、アイコンで言うとアップルやGoogleの本社があって、Googleの本社はキャンパスと呼ばれているようなすごく面白い場所になっていて、スタンフォード大学もあってと。
 それと比較すると、金沢21世紀美術館というのが本当にアイコンになっているのだろうなと思うので、次は、人のロールモデルをどうやってつるかということが多分すごく重要なのではないかと思います。日本はどうしても社長よりも会社の名前でというところがあると思うのですが、例えば福光屋さんのブランドよりも福光さんのブランドの方が、若い人にとっては「ああいう人になりたい」というようなロールモデルになるかもしれないですし、何かもっと人に注目してやってもいいかなと思っています。
 実は、それを支えるメディアがあるかどうかが多分重要だと思うのですが、シリコンバレーだと“TechCrunch”や“WIRED”など、いろいろなテクノロジーやベンチャーにフォーカスしている雑誌、それからインターネットのマガジンがたくさんありまして、「この人がすごい」という記事が多いのです。向こうの人は本当にビジネスモデルよりも人に投資しているので、そういう意味で「この人はどういうことをやってきた人か」ということがとても重要ですし、そういう意味では失敗をしていても、それもその人の経験になっているのだったら投資をしようというところもあるのです。そういうメディアを併せて育てるということが、多分すごく重要なのではないかと思います。
 二つ目の要素は、やはり大学がかなり中心的に機能してきたということだと思うのです。一つが社会人の再教育のようなものがあって、シリコンバレーにいっぱいIT系のベンチャーができて、会社が出てきたときに、5年とか10年いると、皆さん次に移りたくなります。ただ、一つの会社に5年とどまっていると世の中の最先端の技術が分からなくなるので、一度スタンフォードに戻って大学院で勉強し直して次に転職するというような形で、人材のハブになっていたということがあります。金沢にも美大がありますし、そういうところをどうやって利用するかということが一つあると思います。
 アメリカの場合、労働ビザを取るのもすごく難しいので、まず大学に入ります。大学に海外から人が来て入ると、卒業した後、1年間は就職できなくてもトレーニングという形で残れるので、それもあって、まず大学に来るのです。そういう形で海外からまず大学に人を入れて、それがうまく使えるリソースになっているのではないかと思います。
 あとは、実験がすごく大事だと思っていて、MITのメディアラボもそうですし、スタンフォードでも本当に多くの社会実験が行われていると思います。スタンドフォードで言うと、テニュアを取った教授であれば5年のうち1年はビジネスをやっていいですよとか、あとは知財で収入が得られたら、3分の1は大学、3分の1は学部、3分の1は先生に入るというようなインセンティブもちゃんとあるので、先生がビジネスもできるというようなこともあります。それで先生の技術を実験してみる、そこに投資家が付くというような機能があるのだと思います。
 もう一つが投資の話なのですが、やはりベンチャーというのは、大きくなっていく段階ごとにかなり金融のシステムが変わっていて、一番最初はすごくハイリスクでもいいよというエンジェル投資家がいて、ちょっと大きくなるとベンチャーキャピタルが入って、その後、IPをしたりほかの会社に買われたりということがあるのですが、段階に応じた金融システムが同じまちにあるということが、すごく重要だと思います。こんなに情報社会になっても、やはり同じまちにいて、アイデアがあるとすぐサポートしてくれる人に出会えて、その人と朝ミーティングをして、次の日にはお金を、最初は500万円というような形で入れてもらえるという環境があるからこそ、ITは特に本当に速いスピードで回っていきますので、そういう競争の中でも勝っていける場所としてシリコンバレーにまず行こうということになっているのだと思うのです。
 金沢でも旦那衆が金沢市の創造都市を支えてきたという話がありましたが、それに加えて地元の金融機関がどのようにうまくパトロンなりエンジェルなり、投資あるいは融資の源泉として機能していくかということで、段階に応じたメニューをきちんとそろえられるかどうかが、多分、鍵になるのではないかと思っています。
 「21ラボ」のお話をお聞きしていて、「21ラボ」と大学や金融機関、あとはメディアがこうした仕組みをつくれれば、金沢の持っている、金沢にしかないリソースをうまく活用して、外国人も入れて新しいものを生み出していけるのではないかと思ってお聞きしていました。

(水野一郎) 宮田さん、先ほどから「21ラボ」の話が福光さん、秋元さん、それから高木さんから出ているのですが、ご提案者としてどうですか。

(宮田) 大変心強い限りですが、今、高木さんのお話を聞いていて非常に参考になったことがたくさんあって、おっしゃっていたとおりだと思うのです。やはりムードという話は非常に重要だと思いますし、それについては僕が言ったあこがれのブランドになるというのが一つ重要なことだと思います。
 あと、メディアという話もすごく重要だと思うのです。いかに最初のフォロワーが重要かが、この何年かを見ていれば分かると思いますが、そういう意味でフォロワーとなってくれる人、メディアであったりが、個人に注目して新しいものをどんどん生み出していく。
 それで、最後におっしゃった重要な金融の部分ですが、金沢の中での金融のエコシステムというものが必要だと思うのです。それはいろいろな段階があっていいと思いますし、今、僕も東京の方で孫泰蔵氏と、小額のシードの部分での若手のベンチャーのいろいろな活動をしているのです。例えば10年前とか十数年前、日本でITバブルなどというものがありましたが、あのときに比べてこういう業界での起業は、実際にお金はあまりかからなくなっているのです。例えばいろいろなサービスがクラウドで用意されていて、ただで使えたりということがあるので、新しいアイデアを本当に頭がちぎれるほど考えて、いかにいいものにしていくかというところ、ここははっきり言ってお金の掛からない部分なので、それを実現していくための本当に小額のシードの金融のシステムみたいなものが地元にあるということは、結構重要だと思います。
 そして一番大事なのは、このまちで何か成し遂げたいと思うことだと思うのです。そのムードづくりが割と今は重要なのかなと思っていて、その意味で21世紀美術館の存在は、非常に重要なところに位置しているのではないかと考えています。

(水野一郎) 大内先生、先ほど高木さんの方から大学という話が出て、私はどきっとしたのですが、金沢には大学がいっぱいあるのですね。学生のまちと言ってもいいほどで、3万人ほど学生が都市圏にいるのです。しかし、存在感が薄いので、今、市長さんともども、どうやって学生のパワーを引き出そうかということを考えているのですが、カリキュラムを見ると、文科省のワンパターン型がやはりどうしても多くて、そこからいかに抜けるかというところがある。クリエイティビティのようなものをどうやって子どもたちに教えていくかということが、非常に大きなテーマになってきているのです。そのあたり、今の大学というものでいかがでしょうか。

(大内) 大学人でありながら、僕は日本の大学に対して非常にペシミスティックなのです。私もボストンにいた経験があって、アメリカの大学も知っていて、どうしてもいつも比較してしまうのですが、先ほど高木さんがお話しになったように、スタンフォードのすごさも知っているのですが、もう一つ高木さんが言われたことに少し加えると、例えばヘッドハンティングビジネスというのも、シリコンバレーはものすごいわけです。
 確かにスタンフォードに入って、その後どこかに、先生もビジネスがもちろんできるし、そこがまず入り口で、そこからみんなスピンアウトしていくわけです。日本の大学の先生はそれをやっているかというと、やっていないのです。中にはそこが永久の就職場所だと思っている人たちが時々いるくらいで、実は非常に人材の流動性の少ないのが日本の大学なのです。ここが非常に大きなネックで、教育機関ではあるのかもしれませんが、クリエイティブユニバーシティではない。かつて日本でも戦後、京都大学、あるいは東京大学なども一時期そういうことがあって、すごくいろいろなところから人材を集めざるを得なかったのです。そういう中からスピンアウトすることがあったのですが、例えば戦後日本の高度成長を支えていたときに、いろいろなビジネスを立ち上げる際のヘッドハンティングは例えば誰がやったのだろうかというと、実は結構、金融機関がやっていたのです。
 私はかつて日本興業銀行の中山素平さんなどのお話を随分伺ったことがあるのですが、例えば、具体的な名前を出してしまってもいいと思います、ワコールの立ち上げのときに、全くお金がなくて、「女性の下着を売って、こんなものがビジネスになるか」と言われていたときに、興銀の中山さんが「これはいけるぞ」と言って塚本さんにそれなりのお金を差し上げて、そこから始まっているのです。つまり中山素平さんはそういうある種のヘッドハンティングビジネスというか、要するに人材を紹介して、新しいものをビジネスに展開する役割をしていたわけです。そういうことをかつての日本の金融、特に興銀や外銀、特に地域開発などだと開発銀行の方たちがやっていた時代があって、残念ながら日本の大学は、そういう役割を果たしてきたとは、正直言って少なくとも今までは言えません。
 ただ、昨日、馬場さんがおっしゃっていた、要するにデザインと不動産とメディアの三つをつなげることで、不動産が突然クリエイティブになったという話を非常に面白く伺っていて、教育という狭い文科省の中にあるパッケージができているのですが、それとは違う世界をやはり上手に今の大学もそうですし学生たちにも知らせてあげなければいけないし、そういう場を金沢のようなところでぜひつくっていただきたいと思います。
 例えば、大学と21世紀美術館の新しいラボで組んで、学生は21世紀美術館の新しいラボで単位が取れるというようなことをすればいいし、そのときに、外国人でもいいですし日本の若いアーティストたちが町家に滞在しながら金沢の伝統工芸の人たちと何かを始めてしまう。それは多分、最初は相当ゲリラ的でもいいと思うのです。
 ここはちょっと次のテーマになるかもしれませんが、今までの金沢のやり方は、水野雅男さんが非常に一生懸命やっていらっしゃるから、それを批判するわけではないのですが、僕に言わせるとちょっとお行儀が良すぎるという世界があって、ニューヨーク、アメリカでもそうですが、始まりはみんな行儀が悪いのです。中には建物の不法占拠みたいなところから始まって、大体ゲリラ的に始まるというのが普通です。ご存じのとおり、ビル・ゲイツだってそうで、シリコンバレーの神話もガレージから始まったという話があるように、その辺のアクティビティを支援する。今の学生たちもちょっとお行儀が良すぎて、もっと行儀の悪い世界で何かを始めてしまうというのを支援する仕組みをつくるといいと思うのです。
 それを上手に仕立て上げていくというところでは、大人たちがいろいろ教育したらいいのですが、最初のイナーシャの部分というか、種をつけるところというのは、かなり実は行儀が悪くてもいい。そういうようなことを金沢でできるかねというのが、逆にこれから大きなテーマなのではないかと思うのです。ぜひ町家のようなところで、本当に・・・。
 実は今日、私の学生が13人ぐらい来ていて、ちょっと町家に泊まらせていただいているのですが、私がちょっと見た感じでは、少し造りすぎている。何かもっと、寒いし、どうしようもないし、居心地も悪いしというようなところにまず彼らをぶち込んでしまって、そこから彼らがそれにどうやって適応していくかということの方が、実はクリエイティブの始まりだと思うのです。そういう仕掛けも必要で、それを上手にそれなりの一流のものに仕立て上げていくときには、馬場さんがやられているようなマーケティングのノウハウ、あるいは一流のデザイナーたちとコラボレーションが始まる、そういうファーストステージから完成されていくまでを、上手につくることが必要なように思うのです。
 大学そのものについても、これから大学は生き残りの時代に入りますから、そういう意味では上手に大学も、大学の中で完結するのではなくて、外とのコラボレーションがないと、大学はもう生き残れないところにもう切羽詰まってきていますから、大学もいいチャンスで、外でゲリラ的にやることでも十分単位が取れる、あるいはそこで勉強するような仕掛けをつくれば、僕は可能性はあると思います。

(水野一郎) はい。それでは、お招きした若いアーティストの方から少しお話をお聞きしたいのですが、第2セッションの馬場さん、昨日から含めての感想、あるいはどうしても言い残したい、これだけは言っておきたいということがございましたら。

(馬場) 本当に面白い話だなと思って聞かせてもらったのですが、僕は今の話を聞いていて、リノベーションとクリエイティブ産業についての関係がすごく見えてきた気がして、リノベーションというのは、ムードをつくっているのかもという気がしました。それで、クリエイティブな産業が生まれる場所、ムードってあるなと思うのです。
 例えば、ソニーは工場から生まれているし、アップルコンピューターはガレージから生まれているわけで、そこにはやはり何かを生み出してやるぞ、生み出さざるを得ないぐらいのムードがあったのではないか。恐らくそれはいわゆる普通のオフィスビルからは生まれなくて、普通のオフィスビルは安心や信用を担保するものとして存在していればいいのですが、そのクリエイティブな産業、クリエイティブなことが生まれる空間、ムードのようなものを都市としてつくっていくということがものすごく大切なことで、そのポテンシャルが金沢はあるなと思いました。
 そして、21世紀美術館の存在の話も出ていましたが、僕たちにとって、僕にとってでもいいかもしれませんが、21世紀美術館は究極の高みにあってほしいなという感じがします。いつかはあそこで展覧会をやりたいと思えるぐらいの、強い求心力のようなもの。世界があそこにあこがれたのは、あそこにあるものが世界のトップだという感覚があってのことだったと思うのです。そこはプレゼンテーションの場であり、同時にコミュニケーションの場であったと。そして、それを創造するものが周辺にある。もしかしたらそれは町家かもしれないし、その辺のぼろ家かもしれない。その空間には創造の空気がたくさんあってというような構造になればいいなと思います。
 それから高木さんの、シリコンバレーの三つ、ムード、大学、投資という話を聞いていて、昨日僕が言っていた「特区」のような感じが、それに近いなと思ったのです。僕は昨日いろいろな人から「特区ってどんなものなの」と、飲みの席で聞かれたりしていたのですが、欲しいのがまず規制緩和、レギュレーションですね。それからファイナンスなのです。その二つ、要は仕組みです。仕組みをつくることは、クリエイターは苦手なのです。ですから、仕組みは外からつくってほしい。自由に考えられる仕組みをつくってほしい。そして最後にマネジメントという概念がそれにがちゃっとくっつくと、物事はドライブするような気がするのです。
 高木さんの話を聞いていて、そういうことを「特区」とざっくり言っていたのだなということが少しずつ分かってきたのです。21世紀美術館を面白い同心円上のピラミッドとして、その周りに他のものがネットワークして、そこにクリエイティブな産業が起こるようなムードが設定され、そしてそこにシステムがちゃんとインストールされているという状況が出来上がったとすると、これはものすごいまちになるのではないか。そのフィールドと磁気が、もう金沢にはあるような気がして仕方がないなと思いながら聞いていました。

(水野一郎) 今の「特区」というのはなかなか面白いですね。

(福光) 馬場さんが仕事の中で痛切に感じておられる規制というのをもうちょっと具体的に、どういう緩和が必要かということをお出しいただけたら。

(馬場) 分かりました。まず建築基準法ですね。新築しか前提に考えられていないのです。あと、大変なのは消防法です。でも、それは人命の安全を担保しなければいけないので仕方ないなと思うのですが、例えば町家を宿泊施設にしようとすると、避難経路がものすごく問題になるのです。そこをどう緩和するかというコツ。もちろん、こういう理論だったらいいのではないかという仮説は持っているのですが、それを「そうだね」と行政側が判断してくれなければいけない。今はその判断の基準とか、誰に判断してもらうかみたいなものがないのです。
 建築基準法を言い出すと切りがないのですが、用途変更というのがありまして、例えば町家を宿にする、オフィスを住宅にするというのは、はっきり言って空間的には簡単なのです。けれども、それを合法化するのにものすごいお金が掛かる。ものすごく手続きが面倒というところがあります。
 ファイナンスに関しては、古い建物に対してファイナンスが付きにくい。ローンが下りないのです。なぜかというと、銀行によってばらばらなのですが、何年以上たった建物には担保価値なしという内規を銀行が持っているからです。地元の産業を活性化するという意味において内規を取っ払ってもらって、収益還元型で、この建物にこれだけ投資して、これだけ生み出すならいいではないかというようにしてもらえれば。ハードにしか担保価値を持たないという日本の金融システムはもう変えてもらって、そこで何が起こっているか、その空間がどれだけ収益を上げているかということに対して担保を持つ。当たり前のことだと僕は思うのですが、今までの日本の銀行はそれをしていないので、やってほしいということです。いろいろあるのですがレギュレーションとファイナンス、大きくはそこの障害を取り除いた瞬間に、よりクリエイティブが続きやすい空間が創造できて、無駄なお金、無駄な投資は不要になるのではないかという気がしています。

(水野一郎) 私も幾つか、市民芸術村やひがし茶屋街のリノベーションをやっているのですが、大変苦労します。やはり特区が生まれればいいなという感じはするのですが、雅男さん、その辺、実際にやっておられていかがですか。

(水野雅男) そうですね。特区はぜひ実現してほしいなと思います。
 私は昨日、町家を使った三つのトライアルについて紹介しましたが、キーワードとしてシェアするということ、借用するということ、若者という三つを挙げました。その一つのシェアは、結局はコミュニティを再創造しようということを狙ってやっているのです。「偶発性」という言葉が出てきましたが、今回、共同アトリエにしたところにはアーティストも工芸作家も入っているし、あるいはプランニングをやる人間も入っていて、その中で何か新しいことが生まれるのではないかと思っているのです。ですから、工芸とかアートとかと分けないで、お互いにインスパイアされるような、昨日の言葉で言うとクリエイティブコミュニケーションが生まれるような空間に対して、何か支援をしていただけるとありがたいと思っています。
 私たちは今、取りあえず芳斉町で造ったものも一つですし、その前に問屋町で空き倉庫をアーティストの創作の場にしていますが、そういう美術館という箱ではないオルタナティブスペースをまちなかに造っていって、それをネットワークさせようということを考えて今やっているわけです。金沢には「校下」という単位がありますが、一つの校下ごとにそういうオルタナティブスペースを造っていくことによって、われわれはコミュニティを再創造していこうと考えています。
 もう一つ言うと、大内さんから行儀が良すぎると言われましたが、今やっているのは、取りあえずこういうことをやればコミュニティが楽しくなるなとか、こういう使い方もできるのだなということを知ってもらおうということで今トライアルしているわけで、町家を持っていらっしゃる方や空きビルを持っていらっしゃる方が、そういうふうに使えるとか、貸せるとかということが分からないわけです。それでわれわれがまず事例を作って、それを告知していく。そういう意味で、どうPRしていくかということもすごく大事なポイントになると思います。「あ、それ、面白いね」と思ってもらえるようにしたいと思うので、取りあえず借りるということにしています。定期借用しているのですが、テンポラリーユースで取りあえずやってみて、うまくいけばそれをまた更新していくという形にしていく。そういうトライアルに対しても、何か少し支援をしていただけるとありがたいかなと思います。

(水野一郎) そのシェアがコミュニティを元気にするという話でいくと、先ほどの高木さん流に言うと、アーティストと銀行の若い人とメディアの若い人が一緒にシェアすると面白いということですね。先ほどちょっと手を挙げられた、高木さん。

(高木) 特区、やりませんか、市長(笑)。今、特区制度がどうなっているかと言いますと、9月末に第1ラウンドの締め切りがあったのですが、結構クリエイティブ特区で出している自治体もあるのです。その中から何が選ばれるか、第1ラウンドはまだ結果が出ていないのですが、例えばロケの誘致を中心に考えているようなところでは、道路の使用許可、これは警察ですね。あとは国土交通省の占有許可、それから自治体が出している広告条例がロケを実施する際のネックになっているから変えてほしい、そのような話があります。例えば、金沢をリノベーション特区にして、3月末の第2ラウンドに応募するのはどうかと思って、今、お聞きしていました。建築基準法と消防法のような話や、よく聞くのは、B&Bの話も昨日ありましたが、家や町家を宿泊施設にしたりするときに、やはり規制がある。宿泊施設にするときには避難経路が必要で、1泊ずつお客さんと契約を結んでそれを回避しているというようなかなりグレーな部分でやっていたりする人もいるという話も聞きますが、そういうものをきちんと規制緩和で外してしまうというのは手かなと思って聞いていました。
 あと、あるとしたら、大学をうまく活用して、留学生のビザあたりの規制の壁を外して、いろいろな方が来られるようにするということをしたら、かなりいろいろな新しいことができるようになるかなとも思っていました。それをやるのに必要なことは、自治体が主導でこれをサポートするというか、推進したいと思っている産業界や市民の方と一緒に協議会をつくって、何回か議論を重ねた上でまとめた提案ですという証拠があればいいということになっていますので、ご参考まで。

(水野一郎) ありがとうございます。市長、特区の話とか、それから先ほど秋元館長から、ぴしっといけば、ゴーサインが出れば行くぞなどという話もあったようですが、ちょっとこの辺で一言お願いします。

(山野) 2カ月ほど前に意思を明確にして、創造都市会議の過去の記録を、今日も昨日のを頂きましたけれども、全部取り寄せてあらためて全部読み直させていただきました。去年は、実は「金沢市長予定者」という表現でここに座らせていただきましたけれども、今日は金沢市長として座らせていただいています。実は今日は市長になって365日目になりまして、心新たに今日、参加させていただきました。ごめんなさい、昨日のセッションに参加できなかったので、皆さんのお話をお聞きしながら、幾つかメモを取りながら整理してきましたので、少しお話しさせていただければと思います。
 まず、「21ラボ」というのは、すごくすっと入って来る言葉だと思いました。少なくとも金沢、石川県の人は、きちんとした定義はできないまでも、何となくイメージはできるのではないかと思います。大変いい言葉だと思います。そして、福光さんがおっしゃったリアルワールド、リアルシティ、eATのお話も具体的にいただきましたが、宮田さんが目の前にいるところでちょっと気恥ずかしいのですが、eATを16年やって、宮田さんが金沢に住むことになったことが、eAT KANAZAWAの最大の、そして大変分かりやすい成果だと思っています。
 そのようなころに私は市長に当選させていただいて、ふんだんに力を貸してもらっています。クリエイティブベンチャーコンテストという、学生さんやいろいろな方から、こういうビジネスモデルがあるということをまず書類で出してもらって、私はとにかくプレゼンはすごく大事だと思っていますので、それを実際にプレゼンしてもらう。その審査員も宮田さんにしてもらったり、つい先般、スマホのアプリコンテストを、やはり同じように書類審査をした後、全員に、10社もしくは10人の方にプレゼンをしてもらいまして、これもやはり宮田さんはじめ何人かの方に審査員をしてもらっています。今、金沢市の広報戦略全部を見直していこうということで、これも宮田さんにもメンバーの一人になっていただいて、広報戦略委員会という形でアドバイスもいただいています。そういう意味では、本当に私にとっては心強い方ですし、繰り返しになりますが、eAT KANAZAWAの大変分かりやすい成果ではないかと思っております。
 私は金沢のような地方都市が元気になるには、もちろん既存の業界の方たちも頑張っていただくことは大事だと思いますが、何といっても若い、若くなくてもいいですが、思いのある方がリスクを取ってでも挑戦をする、そういう人間がどれだけ現れるかだと思っていますし、そのための環境整備を少しでもしていく、そういう機会を少しでも提供していくのが行政の仕事の一つではないかと思っています。まさにバーチャルな話をリアルワールドにしていく、そのための環境整備をぜひ引き続きしていきたいと思っています。
 もう一つeATの話で言えば、昨日もDVDが流れましたが、先般中島さんとお話ししたら、またすごく分かりやすい、極めて寓意的な話というか、eATも16年になったので、これまではどちらかというとわれわれの世界の話でしたが、これからはもっと多くの市民の方たちで、中島さんが具体的におっしゃったのは、近江町で買い物に来る方たちがeATの話を少しできる、少し分かってもらえる、そういうようなものにeATをしていきたいということでした。これもきちんと定義はできませんが、何となくおっしゃりたいだろうことは分かりますので、そのために市としてまた中島さん、宮田さんなどと力を合わせていければと思っています。
 21美の町家分館、宿泊。これは先ほどの特区の話になってきますので、また後で触れたいと思います。
 工芸については、福光さんから作家工芸、芸術工芸と生活工芸、産業工芸という話がありました。言葉の定義はこれからきちんとされていくかと思いますが、僕もそのとおりだと思っていまして、実は私の愛読書とは言いませんが、時々読み返す本の一つに、能の世阿弥の書いた『風姿花伝』という本があります。僕はいろいろなところで芸術に携わっている方に「絶対読んだ方がいいですよ」とお話ししているのですが、どういうことかというと、世阿弥はご存じのように14世紀に生まれた方で、『風姿花伝』もそのころに書かれた本です。当然、私も昔は『風姿花伝』という本は能の何か指南書のように思っていましたが、実は読んだら、そういう側面もありますが、そうではない。一言で言えば、極めて優れてマーケティングの本なのです。ぜひ皆さんも、お読みになっていない方がいらっしゃればお読みいただければと思いますが、世阿弥はこんなふうに言っています。芸というものは自分で判断するものではない。見ていただいた方たちがそれを芸と判断するかどうかなのだと。極めてレベルの高い芸を理解できる方の前では、そのレベルの芸を精いっぱいやれ。そういう芸術、芸をよく理解できない方たちの前では、その方たちが理解できる芸をきちんとやっていくべきだ。それが本当の芸術だということを世阿弥は『風姿花伝』の中で書いていまして、それが「秘すれば花」という、そこになったらちょっと分からないのですが、そういうふうに書いてあります。私はそれはすごく大切な、だからこそ14世紀に書かれたものが21世紀の今であっても読み継がれているのではないかと思っています。
 まさにそこが福光さんからご提案いただいた部分になっていくのですが、生活工芸という分野が、世阿弥の言う高いか低いかという表現はともかくとして、まさに日常的に使われるようなものがきちんと理解されて、普及していくということが大切で、昔は大パトロンがいたと思いますが、今はそういう大パトロンがいませんから、行政がそのための環境整備の一つをしていくことが必要ではないかと思っています。今、議会の真っ最中なのですが、12月議会の補正でもそのための予算も少し付けさせていただきました。議会の方でご理解いただいて可決いただければ、新年度にはその実験ブースのようなものを広坂近辺で造ることができないかと考えています。これはおしゃれメッセで既に実験的にされていますので、それを踏まえてこの12月議会で補正で出して、それがエンジンになれば新年度の中で生活工芸というものが広坂の中でどんな形で反映できるか、少し研究させていただければと思っています。
 それと、工芸というものを日本語で時間がかかってもとおっしゃいました。実は私は市長になって、春先に本庁を出ていろいろな文化施設やスポーツ事業団、消防、企業局など、全部を2回回ったのですが、春先に卯辰山工芸工房で何人かのご指導される先生方とまさにその話をしていまして、私は幸か不幸か、工芸は素人なので、「先生方、僕にはちょっと分からない」「クラフトって聞いても、僕は工芸の素人なのでぴんとこない」と。「工芸」という言葉の方がぴんとくるのですが、先生方が作っているもの、これがクラフトかと言われたら何となく違和感を持つのですが、やはりクラフトという言葉にこだわらないといけないのですかねと話したら、ある先生が「いや、われわれはやはり『工芸』という言葉を世界語にしたい。世界語にして広げていくことが、われわれの一つの使命だと思っている」とおっしゃった先生がおられて、その後、そういう報道もなされていますし、今、福光さんにもそうおっしゃっていただきましたし、私も先般、ソウルの創造都市の世界会議でも、佐々木先生からご助言もいただきながら、下手な英語でまさに「KOGEI」として広げていきたいということも申し上げさせていただきました。2015年に創造都市の世界会議が金沢に開かれることを認めていただきましたなら、あらためてそのことを強調していきたいと思いますし、その間にも時間がありますので、微力ではありますが精いっぱいやっていきたいと思っています。
 クラフトツーリズムのお話もいただきました。僕には長期型のツーリズムという発想はありませんでした。それは今、宿題としていただきまして、もう少し中で議論していきたいと思います。
 長期型はなかったのですが、短期には卯辰山工芸工房などがあります。東京事務所に今年から金沢営業戦略室という部署を設けまして、修学旅行やMICEの誘致に今積極的に動いています。金沢は工芸の都市なので、工芸を体験できる、体験したい、もしくは体験しようと思っている高校や大学、短大を何とか修学旅行、また夏休みの期間中に引っ張ってくる、それを戦略的にできないかということで、今、県の東京事務所の方にも力を貸していただいています。先般、東京都立工芸高校に来ていただいて、卯辰山工芸工房に入っていただいて、その一端を感じていただいたところです。これをもう少し戦略的に、そして長期的なスパンでどんなことができるかも今、宿題としていただきましたので、考えていきたいと思っています。
 あと、スタンフォード大学の例を幾つもおっしゃっていただきまして、本当に僕も聞いていて、大変刺激を受けましたし、ムードという部分では特に市としても行い得ることが幾つもあるかと思いますので、ここも皆さんと相談させていただきながらやっていきたいと思います。
 そのムードの、間違いなくムードのエンジンになる一つが、今、ご提案いただいた特区の話になると思います。自治体と市民の皆さん、そして産業界の皆さんで協議会のようなものをつくって進めていくというのが第一歩ではないかというご提案もいただきましたので、自治体としては市の職員の方もそこにいますので、そういう環境ができるようにしていきたいと思います。また皆さんに力を貸していただいて、具体的な特区のイメージがまだできませんけれども、水野さんや馬場さん、水野一郎先生も仕事がしやすいような環境をつくっていければと思いますし、大内先生がおっしゃった少々荒唐無稽なこともぐっと、これも市としてリスクを背負いながらかもしれませんが、アナーキーな部分も応援できるような環境もできればと思います。
 もう一つ、21世紀美術館の話が出ました。僕は先般も館長とお話ししましたが、年間150万人という本当にたくさんの方に来館していただいています。館長の思いとしては、新幹線が開通するころには180万人の方に来ていただけるようにとおっしゃっていただきました。私は非常に心強いと同時に、ただ行政改革、行政改革といわれている折ではありますが、僕は館長はじめスタッフの学芸員の皆さんが、本当にフルに仕事をしているのを目の前で見ています。特に学芸員の皆さんは女性の方が多く、感性を精いっぱい出していただいています。僕は、館長からは言いづらいかもしれませんが、マンパワーの充実ということも大切ではないかと。マンパワーが充実すればすべてがうまくいくというものでもないかとは思いますが、そういう部分も含めて美術館がぐっと前に出るような施策を館長と相談しながら一緒に取り組んでいきたいと、皆さんの前で宣言をさせていただければと思います。私の方からは以上です。

(水野一郎) 大変うれしいメッセージがいっぱい入っていました。皆さん、市民、われわれとか一緒になって、行政の人も一緒になってゆっくり熟成させていきたいなと思って聞いておりました。
 それではだいぶ時間も来たようですので、ゲストの方に少しまたお話をお伺いしたいと思います。鹿野さん、いかがでしょうか。

(鹿野) はい。今回は非常に面白い話題を聞かせていただきました。実はもっと予定調和的な会議なのかなと思ったのですが、結構皆さん本気の議論をされていて、非常にびっくりしています。
 僕は昨日、すき間という話がすごく面白いなと思っていて、皆さんの話は特区も含めて全部すき間の話につながるのかなと思っていました。僕もそれはいつもつくるときにすごく考えていて、すき間をつくるということは、要するに具体的には個々の振れ幅が取れる、確保することだと思うのです。そのとき重要なのは、まず枠決めがあってそこに入れていくという考え方にすると、すき間はできなくなっていく、すき間が埋まっていくのですが、まず個々の動きがあって、枠組みは後から考えるというようなやり方が、多分、シリコンバレーも生んだと思うし、シリコンバレーがそういうムードになっているということもあると思います。シリコンバレーは非常にあこがれの存在でもあるのですが、その大きい一つの要素が、オープンソースという考え方を世界的に提示したことだと思います。要するに、つくり方とか自分たちの秘密だったものを全部公開することによって、そこに知識が一気に集中してきたわけです。僕もそのオープンソースの恩恵を受けましたし、僕自身もオープンソースで物事を公開すると、非常に知識が集まってくるということを経験しています。
 ただ、僕にはいわゆるオープンソース、かつ、いわゆるシリコンバレー的な考え方というのは、今後このまま続くのかということが、一つ疑問としてあるのです。まず一つ、日本はそれを目指したのにできなかったという事実があります。東京もそれを目指していたと思うのですが、できなかった。できなかったと言っていいのか分かりませんが、できなかった。例えば、日本でYouTubeのような技術を使うと犯罪者になってしまいますが、アメリカでそれが成功して今は世界的に広がっています。ただ、それも例えば中国でiPadという名前でアップルが出せないということが起きてくると、もっともっとローカルな考え方が必要になってくると思っています。
 宮田さんが昨日言われていたLBS(Location Based Service)というのは、僕はこれからの新しい考え方だと思っていて、今はグローバルな視点でLBSが進んでいるのですが、もっともっと一歩、二歩進んだ、本当にその土地と関連している、いわゆるクラウドサービスというのは、その地域ならではのものしか最終的には残らないと思っていて、そこに一つ鍵があるのではないかと思っています。
 すき間という考え方で言うと、僕は21世紀美術館に行ったときに、本当にすき間だらけの場所だなと思いました。それはいろいろな意味のすき間で、透明性もあるし、どこからでも入れる。何かすき間だなと思ったところに、先ほど「まれびと」という話もあったのですが、すごく現代的ないわゆる一つの境というか、境界がそこにできていて、いろいろな考え方や文化、カルチャー、芸術といった、異業のものたちがそこに集まってきているのだろうと思うのです。
 ただ、それというのはこれまで各地でも起きていて、地続きの境だと思うのですが、先ほどのクラウドサービスのようなものがこれからそこに一つ加わってくるのかなと思っています。そうすると、いわゆる地続きだった境がクラウドという天のようなものとつながると考えると、もっと新しい、本当にこれからの神社というか、境のようなものを、21世紀美術館が何か生み出していくのかなという予感を、今回の会議に参加させていただいて感じたところです。具体的には来年以降、例えば金沢に特区ができて、何かすごいことが起きるのだろうなという予感を感じさせていただきました。
 私も今回、さまざまな勉強をさせていただいたので、仙台でも何かできないかなと考えました。すみません。スパイではないのですけれども、非常に勉強になりました。

(水野一郎) 21世紀美術館と対抗するように、せんだいメディアテークというのも素晴らしい組織ですね。

(鹿野) あれもガラス張りの建物で、非常にすき間だらけの建築なのです。メディアテークの最初のコンセプトでは、1階の壁はなくて、1階は公園にして、2階から建物にするということだったのですが、それも建築基準法か何かで引っ掛かって駄目だったらしいのです。それぐらいすき間だらけだったということです。仙台でもやはり一つのシンボルとして機能していて、21世紀美術館も多分、そういうことが皆さんの精神性のよりどころになっているのだろうと感じました。

(水野一郎) ありがとうございました。鄭さん、建築とプロダクツ、さまざまなことに挑戦されていますが、金沢もプロダクツを頑張りたいなと思っているのですが。

(鄭) はい。それは一つ自分の仕事の中でやっていこうかなという気はしています。
 鹿野さんもおっしゃっていますが、私もスーツを着てこなくて失敗したかと思って、最初はどん引きしていたのですが、皆さんのおっしゃることは本当に筋が通っているのですが、ただ、言葉が違うと思うのです。それなりに皆さん、専門職で自分のフィールドでやられているので、言葉は違うかなと。ただ、その言葉の違いを言い続けても何も生まれないので、あまりそこは、それはそれとして私はいつも認識するようにしています。例えば馬場さんのやっていらっしゃることも、こういうふうに言い換えられるよねと、したり顔でかぶせてくる人がいると思うのですが、そういうことではないのではないかなと、私はいつも思っています。
 あと、うちの社訓でもあるのですが、“Back to now, creating future classics(今に立ち戻って未来の古典をつくる)”という言葉をいつも言っているのです。恐らく、福光屋さんにしてもすごい長い歴史があって、それで残っていらっしゃるというのは、多分、その時代時代の必然性を、ものすごくやられていらっしゃると思うのです。金沢に町家が残っているというのも多分必然でしょうし、馬場さんがされていることも、多分、バブルのときにやっていたら「はあ?」と言われて終わってしまっていたと思うのです。その時代の中でどうリアリティがつくれるかということは、非常に重要かなと思っています。
 あとは何でしょう。進め方というわけではないですが、例えば宮田さんの話の中にスマートフォンやiPadが出てきたと思うのですが、あの作り方というのは、基本的にはものすごいパラメーターを一個一個関係させながら解いていくのです。家電の現場にいたときの経験では、大体、利益相反するような人たちが、お互いの言いたいことを言っているのです。「それをやると電波特性が悪い」とか、「この何インチのディスプレイは誰が決めたの」と聞いたら誰も答えられなかったりとか。その割には「スマートフォンを目指せ」みたいなことを言っていたりして、全然リアリティがないのです。
 シリコンバレーやアップルの話も出ていましたが、ものすごくこういうものを作りたいという明快なビジョンというか、明快と言ってしまうとまた語弊があるのかもしれませんが、多分、そういうものを馬場さんがおっしゃるようにムードとして共有しているのではないかということは、自分も家電の現場にいて感じていました。ですから、皆さんのおっしゃっていることを一つ一つパラメーターとして設定して、多分一人の方が何かをやったときに、違うパラメーターが例えば上がったり下がったりというか、僕も特区をつくることは非常にいいなとは思うのですが、特区をつくることが多分目的ではないと思うのです。どういうまちをつくるかということが、すごく重要だなと思っています。
 21世紀美術館ができたことは、金沢にとって大きな財産でもあり、僕は「すごい名前だな」とあらためて思ったのです。大きく出ているぞと。「向こう80年、これはもう安泰じゃん」みたいな。やはり未来の古典になり得るすごく大きなポテンシャルというか、何か見ていて、ドラえもんを小脇に抱えているような感じを受けるのです。ですから、21世紀美術館からの発信は、ドラえもんが繰り出してくる何かのようで、わくわくしたり、何かいいんじゃないかみたいな。それと同時に、歴史的な重みのある金沢という魅力のあるまちが、二元論ではなくていろいろなパラメーターの中で揺れ動きながら、成長というか、新しい都市モデルを見せてくれると、すごく僕も来たいなと思うので、ぜひそういうまちづくりをしていただけたらと思います。ありがとうございました。

(水野一郎) ありがとうございました。今回のパネラーは非常に若くて非常にクリアな、しかも強いということを感じました。金沢にとっては非常にいいアドバイスをいっぱいいただいたのではないかと思います。それでは地元の半田さん、ご感想を含めて少しお願いします。

(半田) 2日間ありがとうございました。私はもう60歳で、若者ではないのですが。
 今日はいらっしゃいませんが、昨日、三浦先生の話の中にあった時間軸よりも空間軸、今ほど鄭さんもおっしゃいましたが、二元論ではなくなってきている。昔の「新しいものはいいものだ。古いものは良くない」という感覚から、空間軸の方に移ってきたというようなことを、今回のゲストの皆さん方の話の中でも、何となく「あ、そういうことになったんだな」ということを感じました。
 先ほど鹿野さんからも、すき間にいろいろな意味がある、そういったものを埋めていくのにどうするかということが、これから重要になってくるのではないか。そういう意味では、金沢にはまだまだすき間がたくさんある。二元論で語れない部分。白か黒か、いいか悪いかといったものではなくて、その間にあるグレーの部分がすき間になって、この金沢がより良くなっていくのだろうなと。
 三浦先生の書いた『スカイツリー東京下町散歩』という、最近の新書を読ませていただいたのですが、スカイツリーという超近代的な部分と東京の下町をめぐるというのは、この金沢というまちと新幹線とが何となくイメージ的に・・・。もし新幹線が来ると、新幹線がスカイツリーであり、東京の下町が金沢のような、そんな感じなのかなというようなことを感じました。

(水野一郎) 米沢さん。

(米沢) 私も今回、セレンディピティという言葉がぴんとこなくて、佐々木先生に聞いたら「偶然の洞察力で偶察力」だと。それでもまだぴんとこなかったのですが、さすが福光委員長、「神が降りた瞬間」とおっしゃって、そう考えれば今日もたくさん神が降りた瞬間がありました。今までワークショップをやってきましたが、これは図って最初から考えてやった話ではなくて、全部瞬間、瞬間をとらえて、それを具現化というか、リアリティにするためにチームをつくってやってきたということで、そういう意味ではあらためて聞いた言葉なのですが、この2日間はそれを今までやっていたのだなということを実感している時間です。
 恥ずかしながら、私は去年の金沢学会で「学生特区」という言葉を何とか出そうかと思っていたのですが、具体的にうまくいかなくて出せなかったのです。それで今回特区とお聞きして何を思ったかというと、先月大分へ行ったら、てっさの真ん中に肝がどんと載っているのです。びっくりしたら、日本で全部禁止だけれども、大分だけふぐの肝を食えると言うのです。「ええ?」と言ったら、当時の平松知事が「これだけみんな好きで食べているものを、大分だけは絶対に出す」と言って、条例化でなったのだそうです。現実に料理屋さんへ行くとばんと真ん中に載っていて、それが何とも言えずおいしいのです。そこでしか食べられないので、多分、僕は来年も行くと思うのですが、それぐらいなのです。そういう意味では昨日からずっとお話を聞いていて、当初はやはり人だと言われました。まさしくそういうことなのだろうということをこの2日間、非常に思いました。
 もう一つ思ったのは、それぞれの先生方、いろいろな映像でプレゼンしていただきましたが、すべて皆さんが掛け算なのです。不動産とメディアとデザイナーも、誰もプラスではなくてみんな掛け算なのです。これはすごいなと思いました。掛け算というのはどこかがマイナスだったら答えはマイナスになるのですが、それを全然考えずに全部掛け算になっている。そこがすごくて、多分、1+1=2ではなくて2×2=10になる、その間が多分、分かっていないのですがセレンディピティという意図せずに出てきたもので、それは掛け算の力なのだろうと思いました。マイナスを恐れないこの意志というのが、今回非常に勉強になったということだけ、お話ししておきます。以上です。

(水野一郎) だいぶ時間も来ているのですが、佐々木先生。

(佐々木) これまで出ていないポイントをちょっと、私の極めて個人的な感想といいますか。今、山野市長も言われたのですが、先月一緒にソウルに行きまして、ユネスコ創造都市ネットワーク会議に出てまいりましたので、その模様を少しだけお話しさせていただきたいと思います。
 日本はご承知のように、今、世界で29のメンバー都市がある中で、三つの都市が認定されているのですが、実は新たに4都市、加わりたいという都市が候補都市として既に認定中です。新潟市、浜松市、札幌市、それから少し小さいのですが山形県の鶴岡市なのです。この4都市とも市長さんが来られて、実に迫力のある素晴らしいプレゼンをされました。もちろん山野市長も素晴らしかったです。
 それで私は、昨日の近藤長官の話もそうですが、今、日本は海外からどんな目で見られているかと思ったら、やはり震災もあり、いろいろ経済状態も良くない中で、本当に日本の再生する力というのは、都市の創造的な力だと思うのです。これがネットワークになっていかないといけなくて、少なくともユネスコのその場では、山野市長が2015年に日本にユネスコ会議を招致したいと言われて、それを応援する4人の都市のリーダーがまたそれを応援したと、間違いなく映っているのです。
 われわれは、では2015年に何を訴えかけるか。金沢の創造都市会議というのは、例えば「KOGEI」というものを世界語にしたいという先ほどの話がありました。そうしたら、この3年間、4年間かけてどうそれを準備していって、世界からたくさんの人が来られたときに、金沢へ来てもらって何を持って帰ってもらうのか。さらにそこで宮田さんのような方がまた生まれるかもしれません。つまり、海外からどんどん来たいとなる、そういう中身をわれわれが今からつくれるかということが、一つはあると思っています。
 それからもう一つは、高木さんといつも話をしていて、実は手前みそなのですが、先ほど大学の話があったので言わせていただくと、私は日本で唯一「創造都市」という名前の社会人大学院を、かれこれ10年やってきているのです。最初は10年持たないといわれたのですが、何とか10年持ちました。このことはある程度、日本の中に定着したのですが、多分、これからはクリエイティブインダストリーを超えて、クリエイティブエコノミーの時代です。クリエイティブエコノミー研究所やクリエイティブエコノミー大学院などを、どこが先につくるかだと思うのです。そういうことをちょっと考えたいなと思っています。
 その場合、かなり世界的に注目されます。今、実はそれを狙っている私の友人たちがロンドンとメルボルンにいますし、いろいろネットワークができるのですが、それをやるとクリエイティブなグローバルな人材が集まるような求心力を持つ可能性がありますので、そういうこともぜひ考えていただければいいなと思います。

「金沢創造都市会議2011宣言」採択

 

(水野一郎) 時間がもうなくなってきたのですが、ここで金沢創造都市会議2011宣言を考えたいと思います。今、案をお配りしております。今日、大変議論の中身が濃い時間で、もっと時間が欲しいという感じです。しかも今日、来られている会場の方からもご意見等をお聞きしたいと思っていたのですが、その時間がなくなってしまいました。
 それでは宣言の案を福光さんの方から発表いたします。よろしくお願いします。

(福光) この宣言は、昨日からの全体の感じを出すことであって、あまり細部に行きわたりませんのでご了承いただきたいと思います。
 宣言を読む前に、せっかくマイクを持ったので。先ほど、市長さんから大変力強くご発言いただいて、大変うれしく思っております。ありがとうございました。
 私から四つ出して、高木さんから明らかに「特区をやりませんか」と言っていただいたので、これはまた市長さんと相談しますが、われわれとしては完全にプロジェクトにしたいと思いますし、佐々木さんが言われた2015年への創造都市会議世界会議での戦略は、もう当然前提としてやらなければいけないわけです。そんなことも含めての宣言を読み上げさせていただきます。
 「金沢創造都市会議2011宣言(案)。
 金沢における都市の再創造の代表例は、金沢大学や県庁等の移転後の跡地利用論議の結果、実現した金沢21世紀美術館、しいのき迎賓館、金沢城公園である。多くの入場者が訪れるこれらの施設の現況は、歴史の審判に耐え得る奇跡とも表現できる成果と言える。ユネスコの創造都市ネットワーク登録もまた、都市の再創造を目指した活動の成果の一つに数えられる。金沢に新しい価値を付け加える再創造、すなわちルネサンスに取り組むために、金沢創造都市会議と金沢学会の交互開催を始めて11年目を迎えた。3年後に迫った北陸新幹線金沢開業に向け、歴史と文化を生かして金沢の個性に一層の磨きをかけるルネッサンスをこれからも力強く続けていきたい」。
 以上でございます。

(水野一郎) ありがとうございました。
 ただ今の内容につきまして、何かご意見はございましょうか。
 それでは、ただ今、読んでいただいた宣言を採択したいと思いますが、ご賛同の方は拍手をお願いします(拍手)。
 ありがとうございました。予定の時間をちょっと過ぎました。新幹線開業へ向けてと同時に、世界のネットワーク会議に向けて、より一層励んでいかなければいけないと思いますが、それは今までのように大上段に構えるというよりも、やはりクリエイティビティというところから言うと、個人個人、一つ一つの企業、一人一人の市民がいかにクリエイティブになるか、そこが基本ではないかと思っております。そのために意味を考えたり、物語を作ったり、編集し直したり、われわれがしながらクリエイティブパワーを高めていきたいと思っております。今日はどうもありがとうございました。


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