基調スピーチ 「都市間競争」

金沢創造都市会議開催委員会会長
社団法人金沢経済同友会代表幹事
飛田秀一

 


北陸新幹線の金沢開業で実現する、500万人経済圏での競争にうち勝つ都市の魅力づくりが必要

 どこの局か忘れましたが、この間テレビを見ていたら、スピリチュアルカウンセラーの江原さんの番組がありました。私はそんな番組は全然好きではないし、前世だとか生まれ変わりだとか、そんなことを全く信じていないのですが、たまたまそのテレビをつけましたら、江原さんがしゃべっておられたのです。何を言うかと聞いておりましたら、世界平和について「世界平和、平和が大事だ」と叫ぶ方が大勢いらっしゃる。それはその通りだと思いますが、世界平和を叫ぶ前に、それぞれのご家庭が平和なのですか、ご近所とは平和な関係なのですか、地域とは平和なのですかと言うのです。
 家庭やご近所や地域が平和になってこそ世界平和といえるので、ご家庭や近所と毎日のようにもめていて、平和だけを叫んでいてもそれは本物ではないということでした。そのためには、ともかく理屈や理論よりも実践が大事なのだと。平和のために国連がどうのとか、イラクがどうのということもさることながら、やはり家庭が円満、ご近所と仲良くするということを具体的に実践していくことがなければ、そんなことはにせものだという話でありました。都市間競争というのは文字通り、都市と都市との競争です。特に当地においては、2014年に新幹線が開通します。新幹線が開通しますと、長野から延びてきて、新潟県の上越を通って、富山へ入って金沢が今のところ終点という路線です。素人考えでも、長野県の日本アルプスを突き抜けて、信州と北陸がつながります。さらには上越新幹線がありますが、実は新潟の上越地区を通っていないのです。上州と信越の2つを合わせた言葉であって、上越市には上越新幹線が通っていなくて、上越市を通るのは北陸新幹線です。新潟県の3分の1と、長野県の半分と北陸三県となると、人口でいうとおよそ500万人の経済圏ができます。そういう中で、今までの新幹線の駅を見ていますと、大都市、とりわけ東京との距離が極めて近くなった関係で、残念ながら、人・物・金が東京に吸い取られる部分の方が多い。全部が全部ではありませんが、比率でいうと少なくとも6対4で、東京側に吸い取られてしまう。便利になった分だけ、地域が衰退してしまうのです。こういうことではいけないので、何とかそれぞれの都市を魅力あるものにして、新幹線開通に備えて、6対4の数値を4対6、要するに、地元側が六で東京が四になるように努力をしなければいけないのです。
 そうなると、長野、新潟、富山、石川、福井の間でも、それぞれの都市がそういう思いを恐らく持っているでしょう。ところが、それぞれの都市がみんな平等に6対4になるかといったら、そうはうまくいかないのであって、金沢は金沢なりに、富山は富山なりに、上越は上越なりに、長野は長野なりにそれぞれ思惑を持って、自分のところは何とか6の側に立ちたい。そのためにはまず、都市の魅力付けをいろいろやらなければいけない。それがが都市間競争という言葉に、当地ではなったと思うのです。
 その都市の魅力付けをするために、例えば文化の厚みにさらに厚みを加えなければならないとか、そんなことも世界平和論と一緒なのです。もっと具体的にどんなことをしなければいけないのか。後から各論にも触れますが、「こんなことがあります」と言うだけだったら誰でも言えます。言うだけであっては何も都市の魅力付けに役立つことにはならない。やはり提言をして、そのことが実行・実践に移せなければいけないのではないかという気がします。
 経済同友会というのはそもそも提言をする経済団体ということで、金沢だけではなくて、全国各地の経済同友会も同じようなことをやっています。ただ一つ、自画自賛も多少加えて話をしますと、金沢経済同友会の提言というのは、その提言の多くが実際に日の目を見ている、そういう提言をここ10年やってきました。都市間競争というものは、これをやれば必ず勝つとか、これをやらなければ必ず負けるとか、そんなことはないので、勝つためにはいろいろな施策を積み重ねていかなければなりません。ここ10年ぐらいを見ておりますと、金沢経済同友会の提言が確実に実現して、都市の魅力付けに具体的にプラスするような運動をやってきたと考えています。
 最近も11月の会員総会で「企業市民の会」を設けようという決議をしました。企業も経済合理性を求めるだけではなく、地域貢献というか、地域の発展に協力する、地域の行事に積極的に参加する、地域の人たちと積極的に触れ合うということが、企業市民の考え方です。金沢経済同友会は、今月の会員大会で、経済同友会の会員企業だけでなく石川県内の多くの企業に呼び掛けて、企業市民の会に入会していただく。その際はきちんと入会届に署名していただいて、なおかつ、大したお金は要りませんが、年会費も何も要りませんが、1万円だけお出しをいただきたいと決めさせていただきました。そして今、いろいろな企業に呼び掛けを始めたところです。来年の3月末には、石川県内だけで1000社ぐらいの企業にご参加いただきたいと考えているのです。いろいろなことをやるにしても、こういう宣言に署名をし、1万円は大したことないにしても、そういう会に具体的に入っていただくというのは、地域をさらに発展させるためのいろいろな活動に大変なプラスになると思うのです。過去を振り返ってみましても、金沢経済同友会の提言というのは、実践、具体化に結び付いた確率は、プロ野球の首位打者よりもかなり高いと思います。そんな3割4分や5分じゃない。百発百中とは言いませんが、少なくとも5割は超えている。だから10年間を振り返ってみると、たくさんありました。
 幾つか具体的な例を挙げてみます。城下町金沢市の旧町名の復活というのも、極めて意義のあることです。これが全国でいろいろな運動が随分前から行われてきましたが、どこも実現していません。ところが、経済同友会が提言して行政が動きまして、これまで8つの町が復活をしましたし、旧町名復活のための条例も既に制定されたのです。9番目は、私の会社のある地区です。今は「香林坊」という名前で、その方が有名かもしれませんが、昔は香林坊ではなかったのです。もう決まりましたから、来年の夏ごろか秋には「南町」という昔の名前に戻るということになっています。  旧町名に戻るというのは、私どもの会社だけを見ても大変なのです。新聞を発行していますから、題字の下に住所が書いてあります。あそこから直さなければいけません。印刷物もそうだし、名刺はもちろんです。だから、これは簡単なようでなかなか実行に移しにくい。これも総論なら、100人おられれば、90人オーバーか、80人ぐらいの方は賛成されるのですが、2割程度の方は簡単に言うと面倒くさいということで、なかなかオーケーをお出しにならないわけです。私どもも正直言えば、面倒くさいです。面倒くさいけれども、やはり旧町名というものは大事です。
 そういうことを言えば、もともと旧町名をなくしたのがおかしい、城下町であるのになくしたのがおかしいと言う人もいます。その通りおかしいのですが、そんなことをいくら追及していたって、それは昭和38年か39年の話ですから、多くの方が生まれていないと言いませんが、今日お集まりの多くの方がまだ小さいころの話だと思うのです。その過去を追及してもさほどの意味がないので、やはり復活ということにエネルギーを割くべきです。これも具体的成果の一つです。
 それから金沢では、全国初ではありませんが、○○小学校と××小学校は公立の△△中学へ行きなさいというようにきちんと決まっていました。しかしこれでは、中学校で例えばクラブ活動をやるにしても、野球は今はポピュラーなのでどこでも先生がおられると思いますが、そうでないスポーツになりますと、例えば相撲などというのは非常に指導教諭が少ないのです。そうすると金沢市内でも、相撲の監督のできる先生がいる学校は数校しかありません。そうしますと、中学校に行って相撲をやりたいという人は、自分の決められた学校へ行く限り、そのクラブに入れないわけです。
 スポーツだけではなく、勉強の方面や文化活動でもそうだと思います。例えば演劇部があって、演劇の指導をする中学校の先生というのは、これまた限られます。そうすると、その通学区域にいない子供は、小学校のときから住所を変えてそこに住まない限り、中学で演劇をできないということになります。そこでやはり、これはもう少しある程度弾力的にすべきではないかということで、完全な自由ではありませんが、学校選択制が去年の4月から実施に移されまして、来年4月の入学が3回目です。あまり偏ると抽選などの仕組みもあるのですが、来年の4月入学では子供さんの希望が100パーセントかなえられるということになったわけです。これも提言をし、教育委員会ということになっていますが、実際は金沢市がその提言を受け入れて実行してくれたから日の目を見たのです。われわれが黙っていたら、100パーセント実現をしていなかったと思われます。
 それから、ふるさと教育というのも、随分前から言われています。もっとふるさとのことを知らなければいけません。石川県、特に金沢というのはいろいろなものがあります。文化、芸能、料理、あらゆるものが、他の類似の都市に比べると格段に多い。だから、この地に生まれてこの地に育つと、そのことが非常に貴重だということが全然分からない。よその人の方が分かるのです。われわれも子供のころ長町の武家屋敷を歩きましたが、何の感動もありませんでした。昔からああだったから、何の感動もないのです。兼六園もそうです。子供のころは無料でしたから、兼六園の中で遊んでいたのです。だから、この兼六園がそんなに立派な大名庭園であるなどとは全く意識しません。
 ですから、もう少しふるさとのことを知らなければいけないということで、ふるさと教育をもっとやらなければいけないという提唱もさせていただきました。これは高等学校でも「金沢学」ということで授業の科目に取り入れたり、中学校でも小学校でもやっていますし、公立高等学校では『ふるさと石川』という副読本を出すようになりました。これは将来の教科書を目指していて、実績が要るのですぐさま教科書にはなりませんが、近い将来には何とかこれを正式の教科書にもっていきたい。教科書は、印刷は東京でしてもいいのですが、編集を東京でしなければならないことはなくて、やはり地元で教科書を作るのが一番いいわけです。何とかこの教科書にもっていきたいというのが県の教育委員会の考え方だと聞いております。これも金沢経済界の提言がスタートです。
 それから、香林坊の真ん中に石川近代文学館という旧制四高の建物がありまして、「近代文学館」という名前で運営されていました。これも「近代文学館」という名前が悪いわけではありませんが、四高の校舎を使って「近代文学館」はなかろうということで、これは「四高」という名前を付けないと、金沢の都市の魅力付けに役立ちません。やはり金沢はいろいろな城下町という要素もあれば、かつての軍都という要素もあり、学都という要素もあるのです。金沢の学都のシンボルということになると、やはり旧制第四高等学校ということになりますから、その建物に「四高」という名前がないのは寂しいということで、「四高」の名前を付けなさいという提言をしました。今は改装中で、正式には来年になると思いますが、いろいろな事情があって「四高記念文化交流館」というややこしい名前に決まっています。これも省略すれば「四高記念館」ということですから、それはそれで一歩も半歩も前進したと思っています。
 その隣に中央公園があります。金沢の中央だから適当に「中央」という名前を付けたのでしょうが、ここももともとは四高のグランドです。「中央公園」というのは、「銀座」が日本中にあっていろいろな方が批判しているのと同じで、「中央公園」「東公園」「西公園」などというのは全国どこでもあるのです。世界にあるかもしれない。これも何とか「四高」の名前を付けた公園にすべきではないかという提言も行いました。こちらは、県庁跡地の整備などいろいろなものがありますから、まだ実現しておりませんが、近い将来、これも必ず実現したいと思っています。個性のない適当な名前を付けるようなことをしていたら、都市間競争に負ける要素を増やすだけだと考えているところです。
 全国の皆さんよくご存じのNHKの大河ドラマが都市間競争にプラスかどうかというと、私はプラスだと思います。異論もあるかと思いますが、ともかく前田利家なる者が大河ドラマではしょっちゅう出てくるのですが、主役になったためしがなかったのです。百万石のくせにいつも脇役で、仙台の伊達某とか、広島の毛利に比べて、私は当時いつも言っていたのですが、彼らは地方の知事であったかもしれないけれども、中央政府の閣僚にはなっていません。立派かどうかは議論の分かれるところかもしれませんが、ともあれ、現代風に言うと知事だったのです。
 ところが、前田さんは、今風に言うと、副総理兼石川・富山両県の知事だったわけです。それなのにマイナーで、あまり全国に知られていない。これは面白くないということで、これも経済同友会で提言をさせていただきました。それで実現したのかどうかは分かりませんよ。私はNHKではありませんから、どうして決めたか知りませんが、ともかく提言をして、経済同友会も加わった経済界や行政が誘致運動をやりまして、大河ドラマの「利家とまつ」に結び付いたのです。
 あれから大河ドラマはいろいろやっていますが、視聴率が「利家とまつ」を上回る大河ドラマは一回もないのです。今回もだめです。だから、われわれの提言がいかに正しかったかと言いたいのです。前田さんだって功罪いろいろあるでしょうが、ともかく前田家というものが、極めてマイナーな存在から全国的にメジャーな存在になったことは間違いない。どこに行っても前田さんの話、加賀百万石の話が出ます。ということは、取りも直さず金沢の魅力度が増したことは間違いありません。だから、あれも相当なプラスになった。
 あのときもこういう提言をしなかったら、100パーセント実現をしておりません。なぜなら、われわれが提言をする20年ほど前から商工会議所が「海の百万石」ということで、銭屋五兵衛を大河ドラマにしてほしいという運動を20何年来やっていました。あれをあのままやっていたら、銭屋五兵衛も大河ドラマには無理だったと思います。それを、これは銭屋五兵衛ではない、前田利家ではないのかという提言をさせていただいて、それが実現したということです。
 最近では、金沢城跡の国の史跡指定について来年1月に県が文化庁に申請を出して、来年秋には国の史跡に指定される可能性が極めて高いことになりました。これも、文化庁に対する県の申請が重い腰であったのか、さほど重くない腰であったのか、私は腰の重さは知りませんが、ともかく経済同友会が、あそこは石垣だけではなく全体を国の史跡指定にしないと世界遺産にもならないという意見を出させていただいたことが、県の背中を押したということだけは間違いありません。それと同時に、辰巳用水や前田家の墓所など、いろいろなものの史跡指定に向けて動きが加速しております。これも多少自慢して言うと、すべて経済同友会の提言の結果だと思います。
 長いレンジで見ると、他の城下町に比べて、ここに住んでいる人があまり当たり前になって、ものをあまり大事にしないものだから、史跡指定に対する動きが非常に鈍かったことだけは間違いありません。その結果、いろいろなものがある割に、史跡指定とか国の伝統的建造物群の保存地区にするといったことがあまりされてきませんでした。東の茶屋街などは史跡指定と一緒で、国の伝建地区になりました。補助金も出る代わりに、壊したらあのままのものを建てないとだめなのです。あれだって30年かかりました。今、あの辺の裏の東山の寺院群に、40幾つのお寺がひしめき合っているのです。もちろん寺町にも小立野にもありますが、それほどひしめき合っている寺院群は日本にはほかにありません。そういう所も国の伝建地区に指定してもらおうということで、今、金沢市が準備を進めているところです。これも提言なかりせば、こんなことにはならなかったと思うのです。
 ともかく都市間競争というのは、どの都市も負けることを考えているわけではありませんから、みんな話をすると、新潟の人などは「北陸新幹線が開通したら、新潟は金沢に必ず負ける。文化の厚みが違う」と関係者はみんな言います。これはほめ殺しというのです。そんなことは新潟の方々は本心では思っていないと思います。ほめ殺しを本気にして何もせずにいると、2014年は大変なことになって都市間競争に負けてしまいます。こういう都市の魅力付けというのは非常に時間がかかると思うので、提言と実践の繰り返しが必要です。金沢の場合はスタートが遅かったわけですから、これから息長く、スピードを関係当局に上げさせてやっていく以外にないと思うのです。


美しい金沢づくりに向けて、無電柱化に代表される、着実で地道な取り組みが大切

 例えば金沢学会だったか創造都市会議だったか、あるいは経済同友会だったか、「美しい金沢づくり」という提言をしたと思うのです。誠に結構で、美しいというと、代表的なのは看板だとか電線ということになると思います。看板は、話し合い次第ではスピードを上げようと思ったら上げられます。ところが、ヨーロッパの都市に比べて圧倒的に日本が汚いのは電線です。無電柱化されていないのです。金沢も、武蔵から犀川の大橋までがきれいなのは電線がないからです。それから、長町の武家屋敷や東茶屋街に行くと、「ああ、きれいだな」と思うはずです。あれは電線がないのです。地中化したわけです。
 ところが、この地中化にはものすごくお金が掛かるのです。県の試算によると、1キロの無電柱化に7億円かかります。ということは、1メートルするのに7万円掛かるということなのです。だから、ある日突然に主要な所が無電柱化するなどということはあり得ません。やはり地道に提言、要請を続けていかなければいけないと思います。経済同友会か創造都市会議がそういう提言をしたおかげで、今年度の金沢市の予算も県の予算も、無電柱化に関しては前年の2倍か3倍に膨れています。といってもそんなものすごい金額ではありませんが、着実に進んでいることだけは間違いありません。2014年までに無電柱化を進めることによって、他の都市に勝つとか、何よりも東京に一方的にストローされることがあると思うのですが、こちらもストローして6対4にしよう。こういうことにこの無電柱化は役立つと考えているわけです。
 話が長くなったので、基調スピーチになったかどうか分かりませんが、私の話も参考にしていただいて、熱心なご議論をお願いしたいと思います。どうもありがとうございました。
  
 
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