■ゲスト講師 コーディネーター
●荒川哲生氏 ●竹村真一氏 ●佐々木雅幸氏
「地域演劇」で問題提起
●佐々木氏
 2番目のセッションは、私がコーディネーターを務めました。竹村さんと荒川さんのお話を軸にして、主に鼎談のようなかたちで進めていったわけです。
  ご承知のように荒川さんは、「地域演劇」という言葉について日本で最初に紹介された方で、そういう点では理論的な指導者でもあるし、今まさに、かつて文学座で蓄積されたノウハウを生かして金沢から新しい地域演劇をつくりあげるという実験をされております。その理論的、実践的なリーダーであって、なぜ、そういうことをやっておられるかという話から始まりました。
  私がそこでとても大事だと思った点は、1920〜1930年代のアメリカにおいて、いわゆる演劇的後進性といいますか、ニューヨークにほとんどの演劇的な要素が集まって、アメリカ第2の都市であるロサンゼルスでさえも生の演劇を見る機会がないという一極集中現象が起こっていた。その一方で、ニューヨークに集まった演劇人、あるいは演劇制作システム、劇団というものが、過度の商業主義の中で新しいものへチャレンジする精神を失っていったり、本来乗せたいと思っている芝居ができなくなってしまうという現象にぶつかった。
  そこで、演劇を再生するために心ある演劇人が地域コミュニティに目を向けて、地域に出かけていって、その地域社会の中に根付いた演劇を掘り起こしていく。レパートリーも、シェークスピアも取り上げるし、現代の新しい創作劇も取り上げるという多様なレパートリーシステムをつくってきたというお話をご紹介いただいたわけです。これは一種、今、日本で起こっている東京一極集中の文化的な現象に類似したものがあって、地方都市の都心が、金融機関や大企業の支店的業務で埋まってしまって、そこには本当の創造的機能というものが失われている現象に大変近いものがある。そこで、アメリカで起こった新しい演劇運動の波というものを、今、日本の地方都市の中でも起こしていこうということです。これはたまたま金沢市民芸術村という新しい演劇システムの容器ができたので、そこで実験をするということも加わっております。今日も、その関係者の方もおみえになっております。これはこれで新しい芽があるわけです。
都心に必要な「劇的空間」
そういう問題提起を最初にいただいたわけです。つまり、都心の再生のためには都心に劇的な空間、文字どおり生身の人間が演劇を創造するような劇的空間こそ大事であるという話になってきている。一方、竹村さんの方からは、問題はもっと根深いのではないか。なぜ、地方都市、あるいは演劇が地方において衰退するのかということを突き詰めてみた場合、それは近代の文明というものが持っているきわめて重要な要素があって、人間の全能力が開花する方向にメディアが使われないで、むしろこれまでのメディアというのは人間の能力をきわめて一面 的にしてきた。例えば、文字という媒体を通じてしか文学や芸術に親しまないという人たちが増えてきて、きわめて一面 的な感覚的な要素に閉じこめられてきているのではないか。
  本来、マルチメディア社会というのは、メディアがマルチ化することではなくて、人間の能力こそマルチ化するという社会を目指すべきではないかという根底的な話が出ました。そうした日常的な生活で人間の能力をマルチ化するような都市のあり方が、逆に、演劇を再生する力になるのではないか。つまり、にわとりと卵の関係なのです。都市の日常のありようを変えないと、やはり演劇なども再生してこないのではないかという関係と、その際に、現在進んでいるインターネットなどの先端的なメディアはどのように活用しうるものなのか、バーチャルとリアリティの関係について今度は話が展開してまいりました。
  現在、県庁跡地に関してもいろいろなプランがあります。その中の一つに、例えばマルチメディア図書館などもあります。そういうマルチメディア図書館というものは、バーチャルな空間をたどって金沢の歴史というものにたどり着くようなもので、そういうさまざまなニューメディアが図書館あるいは図書館のシステムとして組み込まれてきた場合に、我々は、いわば金沢の歴史性というもののコンテキストの中で現在の時点というものを理解することになるという問題提起がありました。そこで現在、我々の置かれている空間をどのように再構成していくか。一方ではデジタルな空間、あるいはバーチャルな空間というものが世界的に広がりを見せている。しかし片方では、きわめてリアリティのある、あるいは歴史性のあるそうした金沢、あるいはそれぞれの都市本来のオリジナルな伝統がある。この両方をどのように都心に新しい機能として備えていくか、こうしたことが都心のメディアとしては大事ではないかという話に至りました。