■ゲスト講師 コーディネーター
●野村万之丞氏 ●松岡正剛氏 ●小林忠雄氏
都市には「闇」も必要
●松岡氏
 第1セッションでは簡単に言うと、都市には光も必要だけれども闇も必要だろうというのが第1点です。つまずいたり、汚かったり、見通 しがきかなかったり、解釈がすぐできなかったりというような場所、あるいはいきさつが必要である。二つ目は、そういうことをするにはロールとツールとルールというか、どういう人がそれをやったり、どういうツールがそこに関与したり、それにともなうルールというものが発生するだろう。ルールというのが必ずしも規制のためだけのルールではなくて、手続きとか作法とか芸能とか遊びの仕組みとか、そういうものも含めてルールと呼んでいるのですが、それが必要であろう。
  それから野村さんからご自分の体験を背景にいろいろな例が出たのですが、それをあえて一言で言います、家とか門とか流(りゅう)です。あるいは、式と言ってもいいのですが、そういうムードというものが都市文化には絶対に必要なのに、どうも金沢はそういうものがありながら成長させてこなかったのではないか。そこから、金沢の現状や近世からの歴史と今後の将来的・未来的都市観というものの比較になりました。これも簡単に言えば、加賀百万石という定番のお墨付きの中にあまりにも金沢はどっぷりとつかりすぎて、今申し上げたような光と闇、簡単に言えば重層的多様性で都市をつくるというものを、ネグッてきたり、祭りを一様な百万石祭りにしてしまっていたり、実際にはかなりの流派が同時に動いているにもかかわらず、そこに物語というかドラマというか、そういうものを見いだすシナリオメーキングが欠けていたのではないか。
  そこからフロアの方もずいぶん入って、「まさにそうで、困っている。我々もそういう感じがしているのだけれども何とかならないか」というような議論になりました。
焦点当たらぬ「前田以前」
●野村氏
 私は平易なお話をしていました。きつい、汚い、危険なところにしかおやじは酒を飲みにこないので、あまり街をきれいにすると人は寄ってこないよという、簡単なところから口火を切り、あるいはだれかが百万石の息の根を止めてあげないとこのままだと金沢はだめになるとか、そういう話から入ったのです。今、松岡さんがおっしゃったように陰と陽、例えば百万石の前田の文化以前に、一向一揆とか富樫とかという平安からのすごい文化をここは持っているわけです。しかし、そこには一つも焦点が当たらないし、金沢の人は言わない。
  あるいは、皆さんが混ざった発想の中には、自分たちは百万石で金沢にいるときには、恩恵はないのだけれども、外へ出ると非常に百万石というブランドは恩恵がある。ではこの百万石ブランドをどうしたらいいのか。「では、どうするのか」という話に、1時間半ほどした段階にすぐに入れたので、セッションとしてはとても面 白かったと思います。
  僕らで言うと、加賀流、加賀風というか、風というのは前から出ているように風景の「風」でもあるし、「流」というのは風流の流でもあるので、風景とか風流とか、そういう景観もあったり、独自の仕方のようなのものを金沢は打ち出すべきだ、もっと頑固になるところは異常に頑固になった方がいいのではないか、変に迎合しすぎているのではないかという話が出ました。
  私なりになんとなく皆さんのセッションの仲間に入っていて一番おもしろいなと思ったのは、前田の時代より前は非常に小京都的な町なのだけれども、前田の時代になってからは小江戸的なものがあって、京都でもなし東京でもない。そのかわり、両方からいろいろ吸収すべきところは都合よく吸収して、この先はいらないと、そして金沢風とか加賀風というものをつくっていくのではないか、などというところで終わりでした。時間切れということでした。