■パネリスト プレゼンテーション
●松岡正剛
 今、水野座長から都心を離れることの心配が出ました。日本の都の歴史を見ていくと、都心が空洞化してその機能が郊外に移るということが常に起こりました。例えば平安でそうなり、再び室町で北山や東山が復活し、桃山期で法華21か寺がずらっと並んで、法華アーティストが出てという繰り返しを起こしているので、都心が空洞化していくこと自体が絶対マイナスの現象かというと、必ずしも悲観だけではないと思います。ただ、手をこまねいていけば、都心は完全に羅生門化するという可能性もあると思います。
  金沢には広見とよばれる、見通しがきかない路地のパティオのような小さな空間があるという話を聞きました。大変おもしろい。京都では今、路地が壊滅状態になって、路地が塞がったり再開発されることもあるし、路地を使う子どもたちの遊びのツールがなくなって、路地が非常に衰退しているわけです。広見というものがどのくらいあるのかわかりませんが、もしあるとすれば、これはやはり広見などに残っている可能性というもの、およびそこに培われてきた文化、あるいは遊び、生活のスタイル、植木の植栽、そういうものももう一度捉えなおすことが可能になってくるでしょう。
  一方、その都心のストリートの中に生保や銀行などがあって、それがほとんどITによって空洞化しているということですが、今アメリカの私の友人たちは、ITのWebの世界のことを“there”あるいは“theres”と言っています。「向こうはね」というような感じです。かつて彼らはサイバースペースというものを“here”と見ていたのです。「ここ」が我々の新しい基地である、新しい世界である。しかし、どうもそれが“there”であって、そのぶん“here”というのはリアルな場所に残ってくるのです。我々の日本のITあるいはサイバー、Webと、今日の都市というものを考えると、やはりいくらサイバースペースが拡張しても、我々の足元にある“here”というものは、まだ残っているどころかそこにこそ何かを賭けていく必要があると思うのです。
  ただし、サイバー的thereに慣れた人たちには、非常にephemeral(仮設的)な感覚が発達します。一言で言えばロックやポップス、漫画など、非常に常設的ではないfragileな取り壊し可能なような状態のものを作っているわけです。大体、Webで10秒間以上かかって何かがわからなければいけないなどというものはもちませんし、1か月も同じ画面 が出ているところにはだれも行かなくなりますから、どんなときでも仮設的である。そういう感覚が一方で出てきている中で、例えば金沢の都心というところを、再び新たな常設で埋めようと思っても、おそらく時代的な感覚や都市感覚や世界感覚が、そぐわないだろうと思うのです。むしろ、hereの都心の方にこそ非常設的な文化の変化の多様性というか、variableなものが必要であって、それには当然、銀行や生保では無理だとは思いますが、何が必要かということがこれから出てくるだろうと思います。
  もう1つ大事なことは、都市の都心(みやこごころ)というのは、流民が作ってきたことが多いということです。遊民といってもいいのですが、京都の都もそうでした。おそらく金沢は、金沢から出て行った人も、入ってきた人も含めて、流入する流民の文化というものがあったと思います。この人たちにはある種の憧れがあって、泉鏡花のようにここから出て東京へ行く人と、五木寛之のように憧れて向こうから来る人がいた。しかし一方で、仮設性とともに流民性というものを排除しないようにすべきだろうと思うのです。そういうことが最初に私が感じていることです。
  そのうえで2点だけ言っておきたいのは、1つは経済と文化は切り離さない。「経済文化」という四字熟語は1つの単位 であるということです。『ボランタリー経済の誕生』という本の中でボランタリーコモンズ、自発する経済文化圏という単位 を計算してみました。全国で、その単位を何人と決めるかは各都市によって違うので、一概には言えませんが、金沢くらいの都市単位 だと大体700〜800、500〜1000人以内というような単位だと思いますが、そこで興せる経済文化というものが何なのかという研究・開発、分析が必要だろうと思います。それに対応して、ぜひとも着目すべきなのは、祭りです。祭りというのは、箸、箸置き、下駄 、鼻緒、提灯、扇子、ろうそく、そのときの飾り付けなど全部入れますと、最大で8000アイテムくらいの商品がそこに登場します。
 しかしこの祭りが短期間の場合には、コミュニティや都心の再生とはあまり結び付かないと思うのです。むしろ年間を通 して頭屋さんが決まってきたり、あるいは厄年の人が今回はどうなるかが見えてきたり、初孫が生まれたところがどうなるといったような、1年間のストーリー、ドラマ、スクリプトというものを背負う必要がある。そういう決め事を引きずりながら、祭りが数日なり、1週間なり、あるいは春秋に執り行なわれるべきでしょう。これからは、そういう祭りに戻すべきです。それが経済文化の本来です。祭りがどういう単位 で、どういう経済文化を持っているのか、そこにいったい商品、文化、芸能、あるいはステイタス、記憶、記録などがどういうふうに生まれるのか。そこをつくりたい。それが、ボランタリーコモンズとよばなくても、ある種の自発的な経済文化単位 として機能しうるものになっていくでしょう。以上、最初に申し上げた仮設的でかつ流民的な、そこに何か流れ込んでくる人が常に起こるような、そういう都心(みやこごころ)、都心(としん)というものを挙げておきたいと思います。

 

金沢ラウンド誕生について
パネリストプロフィール
モデレータープロフィール
開会あいさつ
福光松太郎
プレゼンテーション
 水野一郎
 伊藤光男
 竹村真一
 米沢 寛
 金森千榮子
 市村次夫
 川勝平太
 小林忠雄
 大内 浩
 松岡正剛
 山口裕美  
 米井裕一
 佐々木雅幸
●セッション1
都心で実験してみたいこと
●セッション2
これから議論すべきテーマは何か
●セッション3
創造都市とは何か
 
全体会議のまとめ
委員長総括
実行準備委員会