■モデレーター プレゼンテーション

●金森千榮子
 1950年代、ラジオからテレビに転換する時代に、ちょうど仕事を始めさせていただきました。人間が持っている声や、人間が持っている表現したいことなどラジオの仕事を通 してやってまいりましたが、テレビが出始めたころから、少し様子が変わってきました。それはラジオのご出演をお願いしますと必ず向こうの方が「テレビなら格好、身なりを整えていくけれども、ラジオなら普段着でいいね」と言われたことです。今ではいい言葉だったと思いますが、当時はやはり何とも言えない落ち目を感じました。当時は落ち目のラジオとよく言われたものです。
 さらに放送の世界が進展する中、いくつかの番組を作り、たくさんの方にお目にかかっているうちに思いついたことは、そんなに肩肘張って一つの番組を作りましても、もちろん制作意図があって番組は出来上がっていくわけですが、企画書を書いた段階と、取材したものを一本化し構成するときに、ひどい食い違いと不意打ちを食うわけです。慣れないディレクターは必ず最後に「この村はこれからどうなるのでしょうか」あるいは「この町はこれからどうなるのでしょうか」という言葉を付けました。私もその一人でしたけれども、よく「ディレクター、おまえもこの先どうなるのでしょうか」という思いでした。つまり自分でわけがわからなくなると、必ずダムを造る町は気の毒であるという一つの固定した発想から入りかける。行ってみたらどうも考えていることが違うようだということにぶつかって、それならばこの先この村はどうなるか、日本はどうなるかというふうにくっつけてしまった方がとにかく潜り抜けられたわけです。
 いかなるときも、体制に立つことより、むしろ個人という人間のおもしろさに気づきました。人間のおもしろさといえば大げさですが、人の話のおもしろさです。打ち合わせをしますと言葉に艶がないというか、いろいろなことが自分の頭にも入ってしまいます。私はほとんど打ち合わせをしないで、そのときそのときに伺う言葉で構成しようと思いました。一切打ち合わせをしないという生の番組を、昼の真ん中に作ってみました。このとき私が大変意外に思ったことは、打ち合わせをしない方が人は豊かであるということ、本音に近い部分も出てくるということです。もっと驚いたことは、そんな堅苦しいことよりも、すべての人は役者ではないかと思うことです。年配の方も若い方もすべて、普段着の言葉で話しかけたときに、このまま舞台に乗せられるという、非常にいい答えが返ってきました。
 あるとき一人のおばあさんが、一度死んでからその時あの世を見てきたとおっしゃいました。当時はまだ痴呆老人が少ないころでしたから、私はそんな体験もあるのかとマイクを向けたのです。その老女は海の中で見てきたことを話してくださいました。海の中で会ったのは、節談説教のお坊さんでした。お説教に節をかけ、また普通 のしゃべりになる。一番いいところへ来ますとそれを聞いている人が一様に迎え撃って南無阿弥陀仏と言う。まるで2つの場所で演技をしているような、それが節談説教です。明治から昭和にかけて、もてはやされましたが、次第に衰退していきました。そのおばあさんが海の底で見てきたというその話は実にすばらしい、まるで一つのドラマを見ているような感じがしました。節談説教というものを私は全く知りませんでしたが、そういうものがあることを知り、また小沢昭一さんが研究していらっしゃるというので、お願いしまして一本のドラマを作り上げました。私の中に、その原点とは言いませんが、人は生きていくときの一番もとになっているものが言葉の世界にも確かにあることを、非常に感じたわけでございます。
 それともう一つ。例えば、金沢への旅人は、一つのイメージを持ってお越しになると思います。しかしそのイメージとくいちがうと、これはどうも違うという批評をちょうだいいたします。でも私は、金沢であろうと福井であろうと長浜であろうと小布施であろうと、その土地に住んでいる者はいつも旅人のイメージの中の町を良しとしてはいないということもあります。それは年齢に関係なく、地にうごめくものと言っては大げさですが、いっぺん切ってしまえないか、このステージを変えてみたい、その舞台の中で自分は違うことを言ってみたいということを持っています。なぜかそれはいつも、伝統という言葉で一緒になってしまいます。私はこの小さな町であれ、年寄りであれ、若い者であれ、どこかで何かを破壊してみたい。破壊というのは全部崩してしまうということではなくて、いろいろな方からいろいろなお話を伺う。むしろ金沢に何の関係もない方々からお話を伺うことによって、町が、考えが、人の言葉が、生き方が壊れて、そのときに再び昔という言葉と、今という言葉と、壊したものとが結び付けられていくように思うわけです。
 私はお越しになる方々からいろいろなことを伺い、一つのものを違う目で勉強させていただくときに、寄神ということを思います。能登の方で昔から寄神や漂流神という伝説があります。まさに向こうからお見えになる方をお迎えする我々は、単に観光客がお見えになったというよりも、その方が生きていらっしゃった一つのストーリーが我々の中で合体して、それからもう一つ自分のストーリーが、また土地のストーリーが、都市のストーリーが生まれていくように思います。固定的に金沢というものを一つのもので丸める必要は毛頭ないから、こういう意味のお集まりも開かれているわけでしょうけれど、住んでいる者は、壊していただくのを待っているような気がします。
  


金沢ラウンド誕生について
パネリストプロフィール
モデレータープロフィール
開会あいさつ
福光松太郎
プレゼンテーション
 水野一郎
 伊藤光男
 竹村真一
 米沢 寛
 金森千榮子
 市村次夫
 川勝平太
 小林忠雄
 大内 浩
 松岡正剛
 山口裕美  
 米井裕一
 佐々木雅幸
●セッション1
都心で実験してみたいこと
●セッション2
これから議論すべきテーマは何か
●セッション3
創造都市とは何か
 
全体会議のまとめ
委員長総括
実行準備委員会