■全体会議「都心の総括」
チェアパーソン:水野一郎
パネリスト  :伊藤光男、竹村真一、米沢 寛、市村次夫、川勝平太、
        小林忠雄、 松岡正剛、山口裕美、米井裕一
モデレーター :金森千榮子、佐々木雅幸、大内 浩

●水野 都心(みやこごころ)を含めて、その辺の議論をしてまいりたいと思います。そして、来年行われる金沢の組織会議の本番に向けて、皆様方からご意見をいただきたいと思っております。

●伊藤 都市を創造するというのは、基本的には人をつくっていくとか、人を見つけてくるということだと思います。旅人であろうと住人であろうと、何でもかまわないですから、順次繰り返して、資源の循環ではありませんが、人間の世代の循環がスムーズにいくようにしていかなければならない。そうできた町は、いいなと思えるような町になると思います。

●川勝 創造都市学が、なぜ起こらなければならないか。これは、理論と実践が一体になったものです。それと、都市というのは生活空間ですから、地形、気候、生態のように自然科学の対象になるものと、それから、そこで生活が営まれているもので、社会科学・人文科学などの対象でもあります。その意味でも総合学です。ですから、これは新しい総合の学問としてとらえるべきだと思います。それがなぜ起こらねばならないかというと、一言でいえば、時代が変わったからだと思います。
我々は西洋の知の体系を入れてきました。ヨーロッパの都市景観であり、ヨーロッパの生活景観なわけです。そうしたヨーロッパ的・西洋的知の体系を入れる入れ物が、東京だったということです。これを我々は「富国強兵の国づくりだった」と表現したわけです。それを追いかけようと。そのために、東京に一極集中して、人材も資源もそこに集めて、実を上げてきたわけです。それが冷戦の終結で、富国強兵の時代は終わり、小国が分離し、西洋というものが相対化され、ヨーロッパの学問と地域性が明らかになってきた。そうなると、他の地域も同じような地域として対等である。それは地球を構成する一部であるということですから、地域学は、起こるべくして起こっているわけです。
金沢には芸術系の大学がありますから、その卒業生のいいものを置くことができると思います。アートを生活と分離しないことが、とても大事だと思います。それをやってきたのは、西洋美術館をつくる、西洋のものをそこで展示する。また日本の古来のものをそこに展示して、生活から遊離させて、生活と芸術、生活と文化というものを分けてきた。これはまずい。だから、これからはそういうものを特別 なものと見ないで、これが一番大事なものだと。つまり、これまでのヨーロッパの文明は、一言で言えば力の文明であった。そういう力の文明は、もう押しつけられない。だから、引きつける力を持つためには、いわば美の文明のようなものに帰っていく必要があると思います。そのようなものとして、金沢のかたちと、それを支えるソフトを総合的に考える学問として、創造都市学が必要だということです。

●松岡 かつての日本は、力型ではなく、公開型・ライフ型という格好で、日本の芸能は育ってきたということです。日本の芸能というのは辻芸から始まって、大道芸、門付け、中庭の芝居、奥座敷という構造を持っています。それぞれに、空間構造が対応しています。つまりパフォーマンスがある。
さらに、家ごとの門がある。今の近代都市になくなったものは、獅子舞などの門付け芸です。その次に中庭です。昔は芝があったので、そこで座るので「芝居」というぐらいですから、一つ中へ入った状態でパフォーマンスやアートを見ているわけです。さらに、奥座敷の芸があって、私たちの第3班は昨日は中むらというところへ行きましたが、ああいう奥でしか見られないものがある。
金沢は、いくつかおもしろい踊り場というか、隈(わい)というか、中間のトランジットゾーンがありそうです。ですから、駅西も全くのニュータウンにしないで、すでに旧市街ではやりたくても、建築条例とか消防法で失ったものを、あえて駅西の中に少し入れておいたらどうでしょうか。いつか時間がたてば、そういうものが旧と新との融合的な文化交差点として、機能を果 たす。また、そういうものにふさわしいアートをシンボライズして置いておく。いずれそこに差しかかった人が、そこで何かが読める、何かが起こるという可能性になるかもしれない。駅西もかなり諦めムードというか、だめという感じみたいですが、最後に間に合うかぎり、オセロのようにあとで黒が白になるようなチャンスのポイントだけを、埋めておいた方がいいのではないかと思います。

●水野 町が一つのパフォーマンス空間になることができるわけです。例えば、駅西の欅の代わりに桜の木を植えて、そこでお花見をやってしまう。そういうような町に出ていく仕掛け、町で遊ぶ仕掛けみたいなものが、全くなくなっているのは事実だと思います。コンテンポラリーアートも、一時期は美術館に入るのを断っている部分がありましたが、町へ出ようという試みで、ずいぶんいろいろな展覧会もやったようです。つい最近では、青山で水の波紋というのを見てきましたが、なかなか楽しいものでした。そういった仕掛けづくりも大切ですが、続けるエネルギーもまた、非常に大事なことだと思います。

●竹村 この会議を企画されている皆さんが、「創造都市」という言葉に、どのくらい思い入れをお持ちなのかわかりませんが、もっと「創造」という言葉にこだわって企画してみてはどうかということです。創造都市会議と銘打ってボンと打ち出すときに、もう少しエッジの立った、なぜ創造都市なのか、なぜ創造という言葉を使っているのか、わかりやすい切り口をはっきりと提示する必要があると思います。
茶道という話がちらほらと出ていますが、価値をゼロから創造していくことを考えたときに、茶道とか茶室という装置が、非常に意味のあるものとして浮かび上がってきます。というのは、利休が魚籠を花器に使った。それまでは、従来の博物館型だったわけです。中国の金物の非常に価値が定まった宝物を見せるというかたちで始まったのだけれども、利休から魚籠のような、美術的な価値もないものを転用し、あるいはそこに意味付けし、再解釈することによって、新たな価値を生み出していくわけです。ということは、価値が決まったアート作品の陳列、展示ではなくて、転用、再編集によって新たな価値を生み出す。それから発展して、さらにそこが文化産業として工芸家の技術を援用して、どんどん新しい価値のものを生み出していく。産業構造も創造していく。そういう1つのポータブルなシステムであったということです。そういう価値や産業を創造していく装置として、茶道・茶室があったのだというかたちで、この会議で取り上げる。そこら辺が非常にクリアなコンセプトとして出てきます。
創造という観点から、ゼロエミッションであれ、茶道という伝統であれ、通 貨の問題であれ、全部とらえなおしてみる。そうすると、現代の最も重要な問題が、抽象論でなく、具体的な創造的提案をはらみながら、創造都市という一環したコンセプトの下に再編集できるのではないかと思うのです。コンセプトとしては、すべての市民が、社会、経済、都市、人間の生き方、人間のあり方全体を、ゼロから創造していけるのだという実感を持てるような切り口。それから、人間がつくったものなら、つくりなおせるはずだ。お金だって人間が作ったものであるかぎり、作りなおせるはずだ。そういう観点です。
1つ提案ですが、アワード 、つまりショーのシステムを作ることによって、世界中の新たな創造の試みが、ホームページ上などにどんどん情報として集まってきやすい構造を作る。これは、プラットホームビジネスです。つまり、世界中のバラバラにあった情報が集まってくるような、プラットホームを作るということです。それが私の提案です。

●佐々木 今、金沢というものが持っている、眠っている資源、リソースや知識を呼び覚ますような、いくつかの実験的なプロジェクトの企画がある。それをただ単に会議で議論するだけではなく、実際にやってみて、半年から1年たって、それの成果 を検討しあうという、文字どおり創造する会議。あるいは、会議と創造が絶えずインタラクティブになっていく。そういう新しいやり方ができればいいと思う。
ネットの使い方にしても、今のアワードの話はとてもインパクトがあって、最初は小さな試みでもいいのだけれど、世界的にとてもおもしろい創造的な試みがあった場合、それを金沢は評価していく。あるいは、金沢の中にある小さな創造の試みについては評価する。そういう世界の創造都市ショーと金沢創造都市ショーの両方が、リンクしていくようなものをやるのも悪くない。非常に刺激的なご意見をいただいてありがたく思いました。

●小林 金沢について言うと、金沢の人は社交的な話については洗練された、しかも接待の仕掛けもきちっとできている町なので、よそから来ると非常に居心地がいいということはわかります。しかし、若い人たちは決して満たされない。つまり、自分たちが何かしゃべるという、いわゆる本来のおしゃべりをする場が少ないのではないかという印象を持ちました。もう少し若い人、あるいはよそから来た人たちも含めた、自由な話をする場を立ち上げていってほしいというのが、私の印象でした。

●米沢 今の若者の集まる場所という話ですが、行政でもいろんな広場を造っていますが、公共的に造った広場、公園のベンチの置いてある場所には、人は集まっていないのです。ところが、ある場所には若者たちがいる。なぜかと聞くと、居心地がいいのだと。広場の学問というのがあるのかどうかわかりませんが、居心地のいい、集まる広場を造ることが非常に大事なポイントになるのだろうと思っています。

●水野 広場というと、ヨーロッパ、特にイタリアは広場がいっぱいあるのですが、おもしろいことに観光客もいて、地元の人はというと、広場に正装で出てくるのです。男はきちっとネクタイをし、女の人はスーツを着て、きちっと帽子をかぶって出てくる。それが広場なのです。大変フォーマルで、そこでは1日中飲食しながらしゃべっている。完全な社交の場ととらえられているように思います。日本の広場はそうではなく、今造っている広場はほとんど公園みたいな感じで、使われていないのが現実です。台湾や中国へ行くと、広場で碁をしたり太極拳をしたりして、溢れるように人がいます。そういう意味でいうと、日本人がいつからか家から出なくなってしまったことが、かなり大きいと思います。何を造ってもだめではないかという感じさえしております。

●市村 全く更地に何かを造るわけではなく、すでにあるところに、ある制約のもとにやるから、大変なのです。しかし、結果 的におもしろいものができるわけです。何を加えたら、よりおもしろくなるのか。
オールドタウンの特徴は、実際に拝見しても広見や中庭、あるいは中庭の植木の技術や格子のすばらしさを、西側地区のニュータウンの外部空間へ適用していけばと。そういうかたちで、本番に備えてのプランを募集して、本番のときにそれをディスカッションするという方法が、おもしろいのではないでしょうか。

●水野 町家と現代建築の住宅の比較、現代の商店と昔の商店の比較をやってみますと、昔の商店の方がずっと開いているのです。今はどんどん閉じてきている。クローズした施設しかない町が、人は賑わうはずはないということは感じております。

●山口 今回の創造都市の中で、これからできる美術館のファクターがかなり大きいようで、私も現代アートの仕事をしている以上、このことを避けて通 れない。現代アートの魅力の1つに新しいか、新しくないかという価値観でなく、ショックを受けるもの、見て以来、気になって気になって仕方がないものを、ぜひ価値基準に入れていただきたい。アートが生まれる瞬間というのは、極にあるものが出会うものだと思うのです。金沢市民芸術村のように、古い建物の中にフレッシュなもの、現代アートがあるのはとても美しく感じます。そういう極にあるものが出会うのが、とてもいいことだと思うのです。その差が広く、ギャップが大きい方がより美しい。その意味でいうと、金沢はすでに歴史がある街として膨大な時間があります。ここに斬新なものが出てくる。あるいは今まで価値が認められなかったものが認められる。そのような、いわゆるオリジナルの金沢スタイルのようなもの、あるいは新しい価値観でカテゴライズできるようなものを、一人のデレクターが交代で何かを企画するような事を、やったら非常に面 白いのではないかと思います。

●米井 去年の夏の盆休みに信じがたい光景を見ました。私の家の近所に広見があり、それは昔の武家屋敷で土塀のあるところなんですが、そこへある日暑いときに、いきなりステージが登場して、夜になると屋台が出てきて、そこでお父さん方のベンャーズバンドをやっているのです。町の真ん中で信じがたい光景なのです。商店街の若い人が、勝手にやっているお祭りなのです。以前、青年会議所の事業で、夢マーケットというのをやって、屋台を出して、若い人に自分の好きな商売をやってくださいと実験的にやってみたのですが、それほどノリがよくなかったのです。えてして大人が用意したものは、子どもが喜ぶものではないのです。なぜあそこがいいのだろうというところに、なぜか集まる。そんなところも理解したうえでやっていかないと、まちづくりにつながらない。それよりも、自発的にやっていく人を、支援するような懐の深さがあると、もっとおもしろくなると思います。

●松岡 2年間の会議全体の印象から、闇とか負の領域をもう少し取り上げないと、都市論にも創造にもならないと思います。それは教育、学習、ITの負の問題や、家庭などもありますし、経済でやめた方がいいという問題もある。文化でも、文化だからいいというものではないのです。我々が土地として持っている負の領域についても、語る議論をしないとだめだろうと思います。  もう1点、金沢についての語り方で、吉田健一以降「これは金沢だな」と思わせるエクリチュールがないのではないか。私の勉強不足かもしれませんが。もう少し「金沢語り」を増やしていただきたい。映像でもいいと思います。「金沢方式」というものではなくて、ある個性の中に投影した金沢というイメージを、もう少し読みたい、聞きたいという感じがします。
私は最近、年のせいもあるかもしれませんが、切ないとか、はかないということは、決してだめだとは思わなくなってきました。はかない美というものは、続々と誕生しました。それから、どんな名所もいいとは思っていたけれども、大したことはない。先程、若者が不思議なところに集まっているという話が出ましたが、名所から名所へ移る。和泉式部が「世の中のおもしろさは人々が綾っていくところだ」と言っています。トランジットの動きの中に文化のおもしろさがあるということです。なぜいいかというと、それははかないからいいのだと。創造という世界に通 用する言葉を用意するのは大いに結構ですが、金沢しか語れないある美意識を世界に問うということも、一方では必要です。

●竹村 例えば、「見渡せば花も紅葉もなかりけり」というような感性は、花も紅葉も経験しているからです。そういうポジティブ・ネガティビティという価値観を、日本は確かに育んできたのです。しかし、それを育んだ時代というのは、ものすごい創造的な時代のあとだったと思うのです。つまり、自ら主体として創造している経験値を持っている人たちが、始めて「はかなし」の本当の価値を再発見できるのではないかと思います。

●福光 この会議をつくっていく上で大きな迷いがあったわけです。というのは、金沢の話と普遍的な都市の話は、別 にした方がいいのではないかという思いを強く持っていたのです。金沢の話をすると、それが普遍的ではないという意味ではなくて、何か特殊会のようになるのではないかという思いが強かったのです。しかし、今回は、金沢の会議を見い出すことを相当しっかりやれば、普遍的な会につながるのだというご指摘、あるいはフレームを与えていただいたような気がしております。 創造という言葉がもたらすプラスの意味のような、すごく明るいような、元気いいような感じばかりではなく、マイナスしていく創造もあるという部分も含めて、創造というものにもっとエッジを付けた方がいいということを、これからどのように組み合わせていくか、ということではないかと思います。 今回大変よくわかったのは、国際会議のようなものを年に一度、ドッとやるのはやめようということです。いろいろなタイプの議論の仕方を一年間組み合わせていって、あるまとめとして、どこかのポイントがある。もちろん、実験の場の進め方も含めてそういう方向に向かっていきたいと思います。大変ありがとうございました。


●水野 金沢の老舗の人たちは自分たちの作るものが大量生産ではなく、少量 で、愛好家の人たちを得るための作業だと言っています。そこに創造が経済につながってくる、金沢らしい筋道があるのではないかと思います。そういう意味で、都心の新しいあり方みたいなものを模索したいと思っていますが、ここで結論が出たわけではなく、創造都市会議で続けていきたいと思っています。
来年度の本番に向かって、もう一度体制を建て直してスタートしたいと思います。ぜひ皆さんのお力もお借りしたいと思います。今日は、どうもありがとうございました。

  


 
金沢ラウンド誕生について
パネリストプロフィール
モデレータープロフィール
開会あいさつ
福光松太郎
プレゼンテーション
 水野一郎
 伊藤光男
 竹村真一
 米沢 寛
 金森千榮子
 市村次夫
 川勝平太
 小林忠雄
 大内 浩
 松岡正剛
 山口裕美  
 米井裕一
 佐々木雅幸
●セッション1
都心で実験してみたいこと
●セッション2
これから議論すべきテーマは何か
●セッション3
創造都市とは何か
 
全体会議のまとめ
委員長総括
実行準備委員会